鉄に関する歴史考察には「鉄の生産」と「鉄器」という分類が必要である。
そこにある鉄器が「そこで作られたもの」である場合と「製品が来た」場合とでは、同じ鉄器研究でもまったく次元が違ってくる。

「鉄製品(日用生産工具、副葬武器、装飾品)、鉄器生産のいずれを挙げても弥生終末期まで、ヤマトはエアー・ポケットのような状態だった」
「鉄に関わる技術・文化の波は西から、北から押し寄せるものの、それらを十分に享受することはなかった」

それがなぜ古墳時代になったとたんに突如としてヤマトに鉄文化、製鉄技術が花開くのだろうか?

「(古墳時代からヤマトの)新しい鉄の文化や技術がはじまる」
それはとくに古い時代のツクシのように品質が向上してゆくのではなく、
「威信性や象徴性に比重をおいた形で、鉄文化の充実を目指したがために」
古墳時代前期後半以降からにわかにヤマトにおいて古墳への鉄器埋納ブームが起きたのである。
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なぜ急に欲しくなったのか?

「それがヤマト独自の力によるものでないことは十分に理解できると思う。」(以上ここまで村上恭通)
その要因は経済的、物質的なもののみではなく、むしろ対外的威信性のためのコレクションに起因し、それが可能になるにはツクシの協力が必要であったということになる。

新興ヤマトが大陸に威信を見せるためにはどうしてもツクシが必要だった。つまり深読みすれば磐井の乱はいいがかりと結論できるだろうか?考古学から磐井の乱は乱でなくヤマトの策謀だったという仮説は十分に立証できるだろう。




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