歌垣=男女交歓、民謡、和歌会、芸能全般、フォークダンス、フォークソング

「かわかつワールド」から転載
http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/227.html

わらべ唄に「かごめかごめ」がある。
基本的に男女の取りっこを遊びにしたものである。

照葉樹林帯文化には南はインドシナ半島から東は日本、さらにはハワイまで歌垣という風習があり、これを男女交歓と言う。

まず基本は歓迎の歌を歌う風習である。
まれびとにを迎えるのに、村の女たちが集って輪になり、即興の歌詞で歓迎する。いわゆる民謡の始まりである。
西洋のフォークダンスに似る。

これが転じて祭の夜の自由な男女交際(上品な書き方でかわかつらしくない?)も歌垣と言う。
平安時代の和歌会も、源流はここにある。
品のいいのも悪いのもみな、原点は男女の意思疎通のためのパフォーマンスから。

南方の少数民たちは歓迎儀礼を、いとも簡単に声高らかに、誇らしく、かつほがらかにメロディに乗せてやってくれる。このときにはもちろん男女交歓の意味はない。勘違いしないこと。OKなんだと慌てて飛びかかることのないように。
その晩にたいがい歓迎セレモニーがあるので、それまでに酒を飲みながら目線があうまで待て。いや冗談。

そのようなおおらかな儀礼は、ようするに外の血を入れるための儀礼である。
旧日本軍の兵隊さんでも、ラバウルあたりで、そういういい目にあって、そのまま島人になってしまったものがいたそうである。歌にある「私のラバさん、酋長の娘」・・・
ラバさんとは、ラバー=英語の恋人である。
作家の島尾敏雄は奄美でそういう美人と結婚した。
うらまやしいいいいいいいいいいいいい

こうした民謡が発展し、ダンスが合わさって、フォークダンス、神楽、田楽、能狂言、文楽、歌舞伎、ミュージカルが生まれる。つまりは恋歌の開始は来訪神の歓迎儀礼に端を発する。

そこに憑依と呪が生じるためには、陶酔するためのいろいろな道具が必要となる。当麻、はっしし、カフェインなどの薬物の煙と仏壇のお線香の煙は、実は同源だと言っていい。たばこもそう。また砂鉄による護摩投棄は燃えさかる炎に火花を生じさせる。夏になると若いもんが花火をあげて発情するのも原始シャーマニズムの名残である。若者は原始的発情を胸に秘めているのが常。老人には暑苦しい行為。

頭を振る。回転する。煙でいぶす。酒を飲む。
すべて憑依への近道。
仏教ではそれを厳粛に儀式化したに過ぎない。
火祭りが時として仏教、修験の行事に含まれるのは、それが神仏混淆したからである。

火祭りの根源は山焼きである。
焼畑でとれる作物は、多く粘着性のものがあり、里芋、山芋、オクラ、餅米などの嗜好性はたろ芋やバナナの粘着性に同じ。ねばねば好きは南方縄文系。茨城県は海人の国で、だから南方系縄文文化が残存し、納豆大好き・・・非常にわかりやすい。山形県人、大分県人、熊本県人も同じく里芋大好きで南方系海人族。
餅が大好きなのは?日本人全部がおねばの強いうるち米ファンである。もともとは餅米の粘着をコメに求めるためにそうなった。

これらもまた石器時代にすでに南北で交歓があった証拠となるのか?
知らない。
少なくとも餅が丸いのは月や里芋の丸さと関係があるだろう。

日本人は月と言えば満月を連想するが、これが中近東だと三日月で、それは回教からだろう。イスラム教はあまり古くはないが、月をシンボルとする風習はもっと古くからあったのだろう。
東西で共通するのは月をトーテムとする氏族は、差別と関係あるか?

秦氏 は月トーテム氏族で、京都の松尾にある月読神社には聖徳太子が祀られている。いや、鎮魂されたと言うべきか?
かわかつHP「松尾と稲荷」から

男女交歓が大事だったのは血脈の停滞によって、子孫に奇形が生じぬようにするためで、非常に大事な観念だった。だからよくありがちな仲の悪い村同士の男女の禁断の恋いなどというのは、実際はありえない話で、悲恋で泣かせるための作り話だろう。本当はどっちの村も大喜びだったはずである。しかし、それでは話にならないわけだ。
琴線をゆるがすノウハウがすでに大昔からあったということ。

男女交歓こそは二進法の極地で、すなわち陰陽である。
だから道祖神は夫婦一対が多く、さえの神も陰陽物で表現される。
これが記紀では猿田彦と猿女の出会いで、これこそ国家の根本である。