この記事はここが使えなかった間に「かわかつワールド」に掲載した記事の転写とコメントの付加である。なぜ同じ記事をここに送り直すかというと、それだけ大事な記事だということと、かわかつワールドは認知度が低かったためである。ティカップブログは寄りつき度が低いので、いくつかの記事を転載する必要がある。またかわかつ自身のつかいかってのよさから(辞書機能としての検索と書庫が便利)も数日辛抱願います。m_ _m
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北方系民族のシャーマニズムを書く前に知っておかねばならないのは、「シャーマン」という言葉自体がツングース系民族たちの言葉だということ。
シャーマンという言葉が最初に文献に現れたのは中国宋代の『三朝北盟会編』である。
曰く、
「兀室(こつしつ。つまり蒙王家を指しこの場合は当時の蒙王・完顔希伊)は狡猾で才能がある・・・・その国の人は珊蛮(さんばん・しゃばん)と呼ぶ。珊蛮とは女真語の巫嫗(ふおう・巫覡)である。神と交流し変身することができるので、神のようだった」
とあってこの「さんばん」がシャーマンのことである。
珊蛮という中国表記はのちに「薩蛮」ともあり、薩摩の「薩」の文字には憑依霊を手繰る巫術などという意味がある。この神を単独で「薩神(さっしん)」と言う。
つまりシャーマンとは英語でも中国語でもなくツングース語から出た。その意味は「はっきりと知り通づる」「はっきりと理解する」である。中国はこれを「神の言葉を理解し、霊験がある」すなわち巫覡であると見たわけで、ここから民族学的に巫覡をシャーマンとした。
シャーマンという言葉が最初に文献に現れたのは中国宋代の『三朝北盟会編』である。
曰く、
「兀室(こつしつ。つまり蒙王家を指しこの場合は当時の蒙王・完顔希伊)は狡猾で才能がある・・・・その国の人は珊蛮(さんばん・しゃばん)と呼ぶ。珊蛮とは女真語の巫嫗(ふおう・巫覡)である。神と交流し変身することができるので、神のようだった」
とあってこの「さんばん」がシャーマンのことである。
珊蛮という中国表記はのちに「薩蛮」ともあり、薩摩の「薩」の文字には憑依霊を手繰る巫術などという意味がある。この神を単独で「薩神(さっしん)」と言う。
つまりシャーマンとは英語でも中国語でもなくツングース語から出た。その意味は「はっきりと知り通づる」「はっきりと理解する」である。中国はこれを「神の言葉を理解し、霊験がある」すなわち巫覡であると見たわけで、ここから民族学的に巫覡をシャーマンとした。
その人種はウラル・アルタイ語族で、日本人や半島人と同系統である。
その民族は朝鮮、満州、蒙古、ホジェン、エヴェンキ、オロチョン、シボ、ダフール、ユーグ、ウイグル、カザフ、キルギス、タタールなどである。中国では彼らを「粛慎(日本語で「みしはせ」)、ゆうろう、匈奴、東胡(ツングース)、忽吉、靺鞨、鮮卑、烏恒、扶余、高句麗、突厥、回鶻、女真、柔然、奚、室韋、韃靼、蒙古、吐谷渾、高車などと表記して原語に近い読み方をあててきた。
その民族は朝鮮、満州、蒙古、ホジェン、エヴェンキ、オロチョン、シボ、ダフール、ユーグ、ウイグル、カザフ、キルギス、タタールなどである。中国では彼らを「粛慎(日本語で「みしはせ」)、ゆうろう、匈奴、東胡(ツングース)、忽吉、靺鞨、鮮卑、烏恒、扶余、高句麗、突厥、回鶻、女真、柔然、奚、室韋、韃靼、蒙古、吐谷渾、高車などと表記して原語に近い読み方をあててきた。
彼らのシャーマンの90は巫女、70は巫男。
鹿の角状の二本の突起するつのついたかんむりを被る。
鹿の角状の二本の突起するつのついたかんむりを被る。
かつてはシャーマンを「踊りながら狂喜乱舞する人」と考えていたが、これは的確ではない。やはり彼らは「知って」「理解して」「あえて憑依し」「託宣」する知識人だったのだ。
参考文献 王 宏剛・関 小雲/萩原秀三郎監修『オロチョン族のシャーマン』 第一書房 1999
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シャーマンという言葉自体が北方系ツングース族の言葉であるということは、そもそも南方系だと考えられていたカンナギの習慣もシャーマニズムと、過去の先達は考えたのである。ということは南方系シャーマニズムの源流は北方にあったと(よくにていたから、民族学者はそう表現したのだろう。)考えられたことになる。
事実、その様式は、本質的によく似ている。その本義である「神の概念以前の精霊(スピリット)」が動物霊であったり、森林であったり、来訪神であるところも似ており、それは日本の先史時代の場合も同じである。
日本の民俗学者、人類学者たちはかつて、あまりにも照葉樹林帯文化と日本の土着の信仰風俗が類似するため、一直線に南方へ訪問していったが、雲南以南だけでなく、このように落葉樹林、草原の民俗もまた同じ風習を共有していたことがわかってきた。
そしてツングースから分かれて北米大陸へ移動していったネイティブたちもまた、日本人と同様の精霊観念を持ちながらインカへ、マチュピチュへ、そして南極近くまで、はるかなる旅を続けたのだ。
ゆえに、もっとおおざっぱに言うならば、世界の精霊信仰はどこかでかならず共通観念の裏付けがあり、それらの習慣によってだけで、「日本人はここから来た!」などと判断するのはいささか危険なのではなかろうか?
日本列島にやってきた人々のパイオニアである北方系ツングースと南方系ラピタ、インドシナ倭人たちは今、どうなったのか?それは南北に分かれて住んでいるアイヌと琉球人の遺伝子が非常に似ていることと多いに関わるだろう。
二つの地域にいる彼等は、果たしていつから本土から遠ざかったのか?
実は歴史の中にそのヒントは隠されているのではなかろうか?
彼等が追いやられて出身地、本願地へ戻っていった歴史が史書のどこかにちゃんと書かれいることにわれわれはもっと気づかねばならない。
というのは、渡来の時代以降、精霊もまた「神」という教義によって妖怪にされていく「神やらい」「鬼やらい」が祭となって残存しているとかわかつは考えるからだ。
事実、その様式は、本質的によく似ている。その本義である「神の概念以前の精霊(スピリット)」が動物霊であったり、森林であったり、来訪神であるところも似ており、それは日本の先史時代の場合も同じである。
日本の民俗学者、人類学者たちはかつて、あまりにも照葉樹林帯文化と日本の土着の信仰風俗が類似するため、一直線に南方へ訪問していったが、雲南以南だけでなく、このように落葉樹林、草原の民俗もまた同じ風習を共有していたことがわかってきた。
そしてツングースから分かれて北米大陸へ移動していったネイティブたちもまた、日本人と同様の精霊観念を持ちながらインカへ、マチュピチュへ、そして南極近くまで、はるかなる旅を続けたのだ。
ゆえに、もっとおおざっぱに言うならば、世界の精霊信仰はどこかでかならず共通観念の裏付けがあり、それらの習慣によってだけで、「日本人はここから来た!」などと判断するのはいささか危険なのではなかろうか?
日本列島にやってきた人々のパイオニアである北方系ツングースと南方系ラピタ、インドシナ倭人たちは今、どうなったのか?それは南北に分かれて住んでいるアイヌと琉球人の遺伝子が非常に似ていることと多いに関わるだろう。
二つの地域にいる彼等は、果たしていつから本土から遠ざかったのか?
実は歴史の中にそのヒントは隠されているのではなかろうか?
彼等が追いやられて出身地、本願地へ戻っていった歴史が史書のどこかにちゃんと書かれいることにわれわれはもっと気づかねばならない。
というのは、渡来の時代以降、精霊もまた「神」という教義によって妖怪にされていく「神やらい」「鬼やらい」が祭となって残存しているとかわかつは考えるからだ。
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