戌亥の隅 いぬいのすみ
北北西
御伽草子 一寸法師
「(鬼どもは)打ち出の小槌、杖、笞、何にいたるまで打ち捨てて、極楽浄土のいぬゐの、いかにも暗き所へ、やうやう逃げにけり」
「(鬼どもは)打ち出の小槌、杖、笞、何にいたるまで打ち捨てて、極楽浄土のいぬゐの、いかにも暗き所へ、やうやう逃げにけり」
「納屋や倉が、しばしば西北方(戌亥の方向)に位置していることも重要である」
「三谷(栄一)は、戌亥の隅が「家にとって最も重要な地点で、酒が沸き(ママ、湧き)黄金が出るという、庶民ののぞむ富徳や祝福がもたらされる尊い場所であった。」「そして、それはタマなる風の訪れる方向でもあったのである」」(萩原)
「三谷(栄一)は、戌亥の隅が「家にとって最も重要な地点で、酒が沸き(ママ、湧き)黄金が出るという、庶民ののぞむ富徳や祝福がもたらされる尊い場所であった。」「そして、それはタマなる風の訪れる方向でもあったのである」」(萩原)
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西は陰陽の酉であるが、北北西は戌亥。申、酉、戌の方位は金気の方角とされ、山師は非常に好んだが、実は仏教以前には北北西は鬼門である。鬼門を北東とするのは、仏教が丑寅の方位を北東とする中国からの伝承をそのまま使った。それで丑寅は牛と虎だから鬼は頭に角を持たされ、下履きは虎の毛皮をはかされる。
だから戌亥の隅は鬼が去る(申)方角というのが古い。
だから戌亥の隅は鬼が去る(申)方角というのが古い。
多くの神社紹介サイトはあるが、神殿の向きまで書き込むサイトは皆無である。
しかしながら、多くの神社辰巳に向いて、戌亥を背にしている。
鍛冶屋にとっては双方ともに季節風の吹くよい方角である。
神社にとっては東南東は日が昇り月が沈む方向であり、北北西はその逆である。
しかしながら、多くの神社辰巳に向いて、戌亥を背にしている。
鍛冶屋にとっては双方ともに季節風の吹くよい方角である。
神社にとっては東南東は日が昇り月が沈む方向であり、北北西はその逆である。
一寸法師の鬼の言葉には仏教的な「極楽浄土」のあるのが戌亥で、そこが恵方だと、新旧の信仰が混然となってしまっている。これが中世の説話感覚なのであろう。
われわれはそこから、混然となった部分を分解し、解体してあげねばならず、本質の古い信仰をそこに見いださねばならない。
それほど日本人の信仰はチャンプルーになっており、ちゃらんぽらんである。
だから奇妙な神秘主義にだまされる人が多い。
それほど日本人の信仰はチャンプルーになっており、ちゃらんぽらんである。
だから奇妙な神秘主義にだまされる人が多い。
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