角 シャーマン 鬼 製鉄 ツヌガアラシト  チブサン古墳

雷神は雷鳴の象徴で、太鼓を打ち鳴らす白い人物の姿で表現されています。
その太鼓を鳴らす人物の原型は北欧のシャーマンに由来しているそうです。
シャーマンは鉄製の鹿の角を頭に付け、手には太鼓と刃物を持っています。
これが日本に伝わり秋田のナマハゲに変化したという説があります。
秋田美人が色白なのも北欧系人種のDNAが混血しているからでしょうか?
 高見さんの話では、中国では鬼とは死者の霊を示すものだった。そして2700~2800年前の古代中国、殷(いん)・周(しゅう)・春秋(しゅんじゅう)戦国の時代に「善鬼(ぜんき)」と「悪鬼(あっき)」とに分ける考え方が確立していたという。
悪霊となって祟(たた)り、疫病や干ばつ、洪水などをひき起こすと考えられていた。
これが「悪鬼」だ。
国の王は、こうした悪霊を封じるために、軍事面ばかりでなく天文学や気象学にも通じていなければならなかった。そこで王は、シャーマンを代役にして彼らに司らせたというわけだ。シャーマンは面をかぶり霊を慰めてきた。

 一方の「善鬼」の方は、天寿をまっとうして死に、子孫によって手厚く葬られた祖先の霊で、これらは子孫の家や一族、村、国家に加護を与えると考えられていたので、善鬼の場合も王やシャーマンがあやつっていたという。こうして中国では、王やシャーマンが面をつけて悪霊を追い払う「儺(ぬお)」という儀礼がはじまった。
ところが、世は戦乱の最中、北からモンゴル民族が攻め入り、漢民族が追放されると、儺の儀礼そのものも追われ、次第に中国の辺境地であるアジア各地に散らばって行く。果ては海を渡り、ここ九州にも伝播していくこととなった。それが、奈良時代に「追儺(ついな)」と呼ばれて、節分豆まきの原形となったという。

 九州の中では、追儺のように“追われる鬼”として太宰府天満宮で1月7日に行われている「鬼すべ」があるが、その他にも、祖先の霊が善鬼となった国東(くにさき)の天念寺(てんねんじ)の「修正鬼会(しゅうしょうおにえ)」や、古代製鉄の技術をもった先住民の霊であると考えられる鬼が登場する大分県国見町の「ケベス祭り」など、ユニークな鬼の祭りが多い。
 さらに「鬼の歴史」を紐解いてみると、「ケベス祭り」の鬼のように、製鉄技術をもった先住民を「鬼」とみなしたり、隼人(はやと)族や熊襲(くまそ)族のような大和朝廷に反旗を翻(ひるがえ)していた一族も「鬼」とされた。目に見えず得体の知れない手強いものを「鬼」として恐れた考え方からすると、九州には実に多くの手強い「鬼」がいたということになる。鬼の面を見ていると、「製鉄の火熱のせいで赤ら顔に変貌しているのを鬼と見たり、他国の人々が異質な顔をした鬼に見えたのだろう」と容易に想像できるのだ。
http://www.nishitetsu.co.jp/n_news/backnumber/n9902/special_main.htm

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●福井のツヌガアラシトがなぜ牛かといえば、北方系シャーマンが牛、鹿など角のある冠をかぶり、熊などの毛皮に身を包んでいたこととリンクするのだろう。
●牛。鹿、雷神などの世界的な民話や神話は時代的に最も多く渡来するのはおそらく日本の中世だろう。
●元寇
●北方系シャーマン信仰とたたら製鉄の来訪はリンクしている。
●ゆえに一見、たたらも迷信も中世以降に顕著で、古代からではないという狭い学究が主であるが、その源流はすでに古代からあったと見なければならない。
●角を持つ人物としてツヌガアラシトに相似する画像は九州の装飾に見られる。
●チブサン古墳
●当初日本の「鬼」が持っていなかった角がやがて全国的に「標準装備」されてゆく背景には、北方系信仰の中世に顕著な流入があったことは否めない。
●それはその時代に入る北方系砂鉄製鉄=たたらとリンクするので・・・
●鬼、牛、鹿、雷神、地震の神は、古代から既知の山の神、あるいは江南系製鉄とシャーマニズム信仰に影響されていた「鬼」の構図に新たなイメージを植え付けていったのであろう。

かわかつ

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