「大和に多く出土する銅鐸とは別に、弥生時代後期の三河と遠江(とおとうみ)の遺跡から出土する、三遠式と呼ばれる銅鐸があります」
「三遠式は大和にも見られるのです。それから、京都大学の資料では、外縁付紐式銅鐸と呼ばれるものは出雲に集中しています。でも、僕の考えでは、出雲は銅鐸と銅矛の生産地で、各地方から請け負う工房が幾つもあったと思います」
「ですから、出雲は中立国的な立場にあったはずです」
「要するに、三遠式が多数存在するという事は、大和を越えて出雲などに銅鐸を発注するルートを確保していたということです」
「京都大学の資料では、長野県塩尻市の柴宮遺跡から出た銅鐸が、北に折れ曲がった中央構造線上にたった一個あるだけです」
「三遠式は大和にも見られるのです。それから、京都大学の資料では、外縁付紐式銅鐸と呼ばれるものは出雲に集中しています。でも、僕の考えでは、出雲は銅鐸と銅矛の生産地で、各地方から請け負う工房が幾つもあったと思います」
「ですから、出雲は中立国的な立場にあったはずです」
「要するに、三遠式が多数存在するという事は、大和を越えて出雲などに銅鐸を発注するルートを確保していたということです」
「京都大学の資料では、長野県塩尻市の柴宮遺跡から出た銅鐸が、北に折れ曲がった中央構造線上にたった一個あるだけです」
このように、銅鐸はフォッサマグナで断絶していた。これは余りに不自然である。なぜならば、紀元100年頃の弥生後期でさえ、関東には近畿と同じほど多くの人が住んでいたからである。従って、銅鐸の分布がフォッサマグナで途切れているという事は、フォッサマグナから東は銅鐸圏ではない、すなわち別の倭の国であった事になる。
「銅矛も武器と言うよりは祭祀用と考えられています。それで、銅鐸も銅矛も墳墓から見つかるというよりは、山中に埋められた状態の方が多いのです。これが同じ青銅器でも鏡とは違うところです」
「銅鐸は山中に埋めるのが目的で造られたのです」
「根拠は、地震です」
「島根に限らず、近畿圏や東海・中部圏の銅鐸は、中央構造線をはじめとする活断層周辺から発掘されているのです。880年の出雲地震は、宍道(しんじ)断層が原因と考えられています」
銅鐸出土地名 断層および構造線
静岡県引佐郡細江町 岡地舟渡一号銅鐸 浜名湖北 中央構造線
伊豆、田方郡修善寺・堀切・益山寺銅鐸 丹那・浮橋・大野断層
掛川市長谷三遠式銅鐸 森-掛川-御前崎ライン(南北)
鯖江横江村銅鐸 プレ三遠式 鯖江断層
福井県坂井郡春江町井向島田銅鐸 福井断層
福井県三方郡三方町向笠銅鐸 三方断層
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/yamataikoku10.htm
伊豆、田方郡修善寺・堀切・益山寺銅鐸 丹那・浮橋・大野断層
掛川市長谷三遠式銅鐸 森-掛川-御前崎ライン(南北)
鯖江横江村銅鐸 プレ三遠式 鯖江断層
福井県坂井郡春江町井向島田銅鐸 福井断層
福井県三方郡三方町向笠銅鐸 三方断層
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/yamataikoku10.htm
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 銅鐸が山中=地中に埋められたのは主として地鎮祭ではあるまいか?には賛成したい。
● 例えば諏訪大社の薙鎌神事を、吉野祐子は大風を押さえつける神事で、それは金属(金気)で風(木気)を押さえようとする大陸の風水的な着想であろうとする。
● 茨城県の鹿島神宮にある「要石」もまた地鎮祭と同源であろうと考えられるのは、のちに鹿島神宮がなまず信仰・・・すなわち地震封じの神=武甕槌(タケミカヅチ)がこれとされてゆくからである。
● 同じく阿蘇神社の鯰社も別府~阿蘇へかけて巨大な活断層が走る(別府一宮断層)と無関係ではない。
● 富士火山帯と東海トラフによって関東地方は地震多発地帯である。しかも東海地方は静岡県~茨城県の海岸部にかけて古代の人口密集地であり、祭祀形態に金気での鎮撫を有した神社が多い。
● それは別府一宮活断層と南海トラフの関係に近似する。
● 銅鐸が出土する地域が主に太平洋の活断層が生み出す作用反作用による玉突き地震多発地帯にリンクしていることはもっと研究されるべきだろう。
● しかし島根が、福井が・・・という見方とともに、持統天皇が諏訪に大風を鎮撫したのが諏訪を風穴の右代表としたという発想から、それらも中央から見た、地震の「目」として鎮撫した可能性も研究されてよいだろう。
●そして、これをきっかけにして地震と古代史を過去のデータからリンクさせられないか・・・という視点で考える研究者の登場を期待する。
●その人はやがて気がつくだろう、現在の原発施設などがいかに活断層の真上に作られたかという危険性と不思議を。
● 例えば諏訪大社の薙鎌神事を、吉野祐子は大風を押さえつける神事で、それは金属(金気)で風(木気)を押さえようとする大陸の風水的な着想であろうとする。
● 茨城県の鹿島神宮にある「要石」もまた地鎮祭と同源であろうと考えられるのは、のちに鹿島神宮がなまず信仰・・・すなわち地震封じの神=武甕槌(タケミカヅチ)がこれとされてゆくからである。
● 同じく阿蘇神社の鯰社も別府~阿蘇へかけて巨大な活断層が走る(別府一宮断層)と無関係ではない。
● 富士火山帯と東海トラフによって関東地方は地震多発地帯である。しかも東海地方は静岡県~茨城県の海岸部にかけて古代の人口密集地であり、祭祀形態に金気での鎮撫を有した神社が多い。
● それは別府一宮活断層と南海トラフの関係に近似する。
● 銅鐸が出土する地域が主に太平洋の活断層が生み出す作用反作用による玉突き地震多発地帯にリンクしていることはもっと研究されるべきだろう。
● しかし島根が、福井が・・・という見方とともに、持統天皇が諏訪に大風を鎮撫したのが諏訪を風穴の右代表としたという発想から、それらも中央から見た、地震の「目」として鎮撫した可能性も研究されてよいだろう。
●そして、これをきっかけにして地震と古代史を過去のデータからリンクさせられないか・・・という視点で考える研究者の登場を期待する。
●その人はやがて気がつくだろう、現在の原発施設などがいかに活断層の真上に作られたかという危険性と不思議を。
かわかつ
こりゃいい記事だ、役立ったと思ったらクリック願います→https://history.blogmura.com/にほんブログ村 歴史ブログ
コメント