四国の徳島に多い三輪型、苧環型神話の亜流について、これを河内の物部氏が守屋の死後移り住んだからだという、まことしやかな説がある。確かに四国には物部(ものべ)部落がある。

だが、それでは同じような蛇婿入り譚の数々が、なぜ日本全土に、それも沖縄や北海道にまで伝わるのかとなると、これはもう、物部氏だけでは計り知れないことになる。

そもそも三輪神話の派生は櫻井市以北の物部氏たちとはまったく関係ないと思われる。それは三輪が物部氏よりも大三輪氏の本拠となるからである。

守屋の本宗家があったのは三輪ではなく山を越えた大阪河内である。三輪や纏向、あるいは三輪山の向こう側にある石上神社のある場所は「いそのかみ」であり三輪とは無縁。三輪山の麓に大三輪氏が入るのは肩野物部氏を封じ込めるための意味があって、河内の物部氏とはまた別の祭祀であろうかと見える。

すなわち三輪信仰や大物主が大蛇であるのも、大三輪氏の伝承であろうと思われ、それはオオミワ氏というものが葛城鴨と出雲多氏から出てくる土器製造や鉱物開発、土木に関わる渡来集団で、河内では物部氏の下にいた工人の部民、豪族だったからであろう。したがって物部氏の祖であるニギハヤヒやながすねひこたちが蛇の氏族だったとする考え方も、今一度検証し直す必要があろうかと考える。

蛇とオオミワに関しては、諏訪の甲賀三郎、豊後大神氏の緒方(尾形)三郎とも併せて、葛城、鴨、役行者、オオタタネコなどの伝承と阿蘇氏などの神話混合の視点で考証されねばなるまい。

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