不特定な(奈良県吉野郡か?)旧石井村という場所に渡内橋(わたうち・ばし)という橋がある。
かつて橋を強くするために人柱があった場所であるという。
また近くに六地蔵の辻という昼なお人通りの少ない寂しい辻があり、ここいらへん一帯に「首切れ馬」がろうろするという伝承がある。

また、阿波の国石井村の伝承でも、綿内橋、札の辻があって、ここにも首ナシ馬が徘徊する。

茨城県鹿島郡那珂の郡にも札の辻があって、ここは首切れ馬の背に若い姫がまたがって夜な夜な徘徊する。

アメリカ、ニューヨークのど真ん中にあるスリーピー・ホローには札の辻はないものの、アービングはここに首のない馬と騎士がうろつくのだと書いて、映画にまでなった。

このように首のない馬が出現する場所はけっこう町のど真ん中であることが多い。

アメリカはいざ知らず、日本の首のない馬の伝説は、たいがい人柱神事のあった橋と、札の辻というかつての呪術によっておはらいがあった禁忌の交差点、あるいは六地蔵という鉱物神の仏教本地垂迹の聖地、あるいはまた大昔から馬の首を奉納して虫送り行事を行っていた水口(水門)のある場所などに蔓延しているようである。

「首切れ馬の伝説は、大きく分けて二種類ある。ひとつは、首切れ馬に偶然遭遇した体験談や、出没する場所だけを語る、短い伝承。もうひとつは、別の話と合体し、比較的複雑な物語をもつ伝承である。前者をコト、後者をハナシと分類してもいいかもしれない。」

徳島の石井町には三輪山形苧環神話もあって蛇がいたとされている。

馬の首を切り落とす風習は、狩猟とはまったく無関係な「封じ込め」であり、おけらまいりや牛馬信仰、あるいは生け贄神事などと同源の、「たたり封じ」「災害封じ」であるから、馬牧やらが多いところには必ずひとつやふたつは残っていると言っていいだろう。

場所は特にどこにというより、全国各地にあったこうした祭祀場、いわくのある呪場にはつねにこういう言い伝えが残される。
その語りの始まりは、とりもなおさずその馬の肉を、仏教的、儒教的常識を覆して食らうことができた人々・・・動物食に禁忌を持たぬ古い信仰・・・つまりのちに言う被差別民的下層民の中で、なぜか「たたり」をおそれたところから始まるのであろう。
禁忌を犯したという気持ちが、彼らの中にも、すくなからずあった・・・それは彼らが人間であったという証拠ではないだろうか。



佐々木高弘『民話の地理学』から編集