イネ科の植物には多くの種類があるが、その中でイネや小麦だけは好日照植物である。
原始的イネ科の植物の多くが、世界中にちらばっているが、アフリカの大地溝帯に行くと、それらが大概、橋の下や、樹木の影に自生しているそうである。
それらの中から人類はイネを選んだ。
そしてそれらに不向きな天候不順な地域では、アワやヒエなどを選ぶしかなかった。
縄文時代には多くの九州人が北日本にし入植し、なんとかイネを育てようとしたが、これに失敗し、結局水田は定着させられなかった。
当の北日本人たちも、九州の先進の稲作などを取り込もうとして、多くの交換用産物を工夫していった。例えば北海道の豊富な海産物・・・昆布、やサケ、マス、ニシン、大型哺乳動物の肉など・・・現在の北海道を代表する食材の開発と生産、漁撈、狩猟の文化は、すでに縄文時代には九州との貿易と文化導入を契機にして始まっていたのである。(編集かわかつ)

つまり「このような過少生産の社会では、集団の再生産のレベルを超える過剰な資源は存在してもしなくても同じことだろう。その意味では、北海道と本州のあいだに資源をめぐる格差、正確には当面問題となるような格差は存在しなかったことになる。資源の「量」それ自体が狩猟採集社会と農耕社会の進路を分けたとみるのは短絡的にすぎる」

参考文献 瀬川拓郎「狩猟という選択 北海道の続縄文文化」(『歴博フォーラム 弥生時代はどう変わるか』)から