「縄文の壁は、弥生文化適応にたいする縄文文化側のイデオロギー的抵抗を示し、各地で新文化への適応の遅速現象が生じる契機となった」(小林青樹2005)

「が、これと呼応するように環境変動も連動している・・・(中略)
炭素濃度は、地球環境の変動とある程度相関し、世界各地で環境変動と文化的動態との関係が論じられている。縄文から弥生への転換時期の部分を抽出し、これを遺跡数の動態と比較してみると両者は非常に類似する。」
(小林青樹『縄文から弥生への転換』)

「縄文から弥生への転換は、反復的に生じた環境変動とも連動しつつ、隣同士の地域がバケツ・リレー式にいくつかのイデオロギーで形成された「縄文の壁」を越えつつ長い時間をかけて進行していった。一方、驚くべきことに、北日本の縄文集団はこの壁をものともせず、いち早く弥生文化の先進地まで赴き、新しい文化に接し、また逆に影響を与えていた」(同上)

「このように、縄文から弥生への転換は、単純に新しい文化が東へ伝播してゆくというものではない。実際には、各地域の縄文文化における改革派と保守派が以前よりも活動を活発化した時代で、その姿勢表明が新文化への適応の遅速現象を生じさせて「縄文の壁」となり、その地域の個性となった。しかも、北日本の亀ヶ岡文化こそが急進的な改革派であり、弥生文化成立に貢献していたのである。このようなあり様は、決して縄文文化側の行きづまりや降伏ではない」(同上)


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