北日本と九州との縄文~弥生時代の流通の痕跡として、国立民俗博物館教授・小林青樹博士は縄文土偶の西九州での出土、あるいは亀ヶ岡式土器集団が「鉄」と「最新技術」の見返りとして九州に持ち込んだ痕跡について言及しながら、九州の板付遺跡や雀居遺跡、高知県居徳遺跡などの出土例をあげておられる。

土器だけではなく・・・「さらに注目すべきは、土器だけがもたらされたのではなく、雀居遺跡からは北日本のものと見まがう赤漆塗りの飾り弓が出土している。この弓は(中略)東北北部というよりは北陸系の可能性が指摘できる」(青木『縄文から弥生への転換』『歴博フォーラム弥生時代はどう変わるか』第六章)

「これまで近畿地方においては、遠賀川式土器の成立に北日本の縄文人が関わっている可能性が指摘されていたが、弥生土器の起源地である北部九州において、弥生壺の成立に北日本の縄文系の集団が関わっていた可能性が強いと考える」(同上)

「そして以上のような関係の延長線上であろうか、板付遺跡で最初の弥生土器が誕生してから約三〇〇年後、中部関東を飛び越えて西日本の弥生集団の一部が北日本へ移住する。彼らは幾度か水田稲作を試みるが、環境等の問題もあり上手く行かず、仙台平野を中心とする地域などを除いて水田を持たない弥生集団として新たな道を歩み始める。これ以降、北日本の弥生時代は、青銅器と環濠集落を持たない独自の文化を形成することになる」(同上)
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