列島にイネが初めて伝播してきたのが
北西部九州(東シナ海から五島列島経由長崎県菜畑)におよそ今から5000年前の縄文時代であると最新の考古学が言っている。
プラントオパールのC14分析からも、また土器片についたコクゾウムシの存在からも、あるいはイネDNAの中国と日本の近似からも、多くのデータが
「中国雲南省付近から5000年前くらいに長崎」と示している。
ほぼこれは確定したと言えるのではなかろうか〔佐藤洋一郎2007〕。
その後、500年ほどかけて九州北部へ、さらに西日本一帯に伝播し終えるのが3500年前である。これはあくまでも縄文時代の陸稲の話であるが・・・。
つまり最初の陸稲の伝播から、九州から畿内までたどり着くのに1000年もかかったことになる。
ということはイネは入ってすぐに受け入れられたわけではないということである。
東北地方で陸稲栽培が始まるのはさらに畿内から700年遅れる。
さて水耕栽培のイネが入るのが今のところ縄文晩期~弥生初期。
水稲もやはり時間がかかっている。
これを「縄文の壁」と呼ぶ。
陸稲をおこなっていた縄文人たちは、にわかに水田が現れても、しばし傍観していたようである。
これまた長い時間がかかって列島に浸透していった。
その間に、なにがあったか?
段階を追って種の混血による自然の改良が起きたと思われる。
いくつかのジャポニカ種の自然交配によって突然変異種が現れ、弥生人にまず受け入れられるのにかなりの時間と経験を要しただろう。
それが在来種の縄文イネとの自然交配で生まれたと気づく。
そこから縄文人と弥生人の共生の歴史が始まると考えられる。
同時にイネも寒さに強く、実りの多い今の温帯ジャポニカの歴史も始まった。
つまり、イネの改良が日本人の混血のきっかけとなったと考えられるのだ。
参考文献『DNA分析から見た弥生時代の稲作』佐藤洋一郎
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