■クリスマス・ツリーと聞いたら、世界中の人が「モミの木あるいは「ドイツトウヒの木」を思い浮かべることだろう。けれどこれらの常緑針葉樹がクリスマスの木になったのはそれほど大昔の話ではないことをご存知だろうか?

■ヨーロッパに限った話しではないが、今、天然の原生林が豊かに茂り地球全体を覆っていた温暖な時代があったことは誰でもご存知のことと思うが、それがやがて地球が冷えてゆけば自然、地域差が生じた。クリスマス以前のヨーロッパではブナ、オークなどが繁茂していたため、古い冬至祭では聖なる樹木はまだモミではなく、それは「冬至の丸太」などと呼ばれるオークやブナが主流だった。と聞いてもモミの木のツリーに慣れ親しんだ私たちにはピンとこないが、丸太の形というのは実は今でも唯一、世界中でクリスマスのお菓子として知っているある食べ物がちゃんと残されている。日本ではあまりなじみがないかもしれないが、その名は「ビシュ・ド・ノエル」という丸太の形をしたケーキである。


実はあちらでは今でもクリスマス・ケーキと言えばこれである。それは「バルバラの枝(キリスト教世界全般)」とか「「クリスト・クロッツ(ドイツ)」とか「「バドニャク(セルビア)」とか「五月のマイエ(フランス)」とか各地でさまざまに呼ばれてきた、聖なる小枝や樹木はみなブナやトウヒやあるいはカンバなどの、丸太や小枝を身につける風習がばらばらに存在していた。北欧などでは今でもクリスマスに関係なく新築の棟上とか、すべての儀式に立てられる。日本で言えば焼畑開始神事のボンデン樹とかこいのぼり、あるいは祭のときに立てられる竹、笹飾り、御柱などと同じ意味を持っている。

■それが次第に丸太や小ぶりな若木を切り取ってきて、根っこを焼いて家庭に置くようになった。植物は地域差があるから、当時はモミの木などの統一された樹木という観念はなかったのだ。

■これらに用いる木の、根っこは必ず焼かれて(長持ちする。今でも生け花などで軸を焼く)切り取られる。つまり鉢植えはありえない。それは毎年の行事であったためであり、そのつど、瑞々しい切ったばかりの木でなければならず、 祭が終わると燃やされる。だから今でもモミの木も切り取って売られている。


■これが16世紀くらいになると建築や薪などに乱獲されていくのは日本も同じである。そこで人々は効率よく育つ樹木を栽培するようになった。それで最も手っ取り早く育つのが針葉樹だったというわけである。

■特にトウヒやモミの葉は一年中青々としている。これは日本でも正月の松飾りが選ばれているから世界共通の生命力への憧れをあらわすことは異論があるまい。さらに針葉樹ならヒイラギのような魔よけのとげとげの代わりになる。こうして次第にクリスマス・ツリーはモミの木が広がっていった。

■しかしクリスマスや冬至祭以前の太古から、樹木自体の持っている長命で、切ってもすぐに芽を出す性質は原初の人類の憧れだった。とくに常緑の樹木はその生命力が愛されてきた。クリスマス・ツリーが生まれたのは、そうした「樹木の再生能力」を永遠の命と捉える思想の延長線上に過ぎない。復活と再生、あるいは招魂のシンボルとしての「神樹信仰」は石器時代から存在したのである。

■日本で「高木信仰」、朝鮮で「神壇樹」、中国で「蓬莱樹」などと、アジアでも巨大な樹木が世界の中心にある、そこから太陽が昇るのだという巨木信仰は存在した。

■インドでは15メートルもの竹に飾り物をつけて祝う「インドラの旗竿」という風習が『マハーバーラタ』序章に記載されている。
■ミャンマーには「パデザ・ビン樹」風習が。
■ヒッタイトには「テリピヌの木伝説」とオークの木信仰が『ヒッタイト文書』に、


■古代ギリシャでは「エイレシオーネーの枝(オリーブ)」が『ブルターク英雄伝』に・・・といった具合に神樹信仰はもともと世界中に派生していた。
■これらが大元にあってクリスマスや冬至祭にも取り入れられていった。
■モミの木はヨーロッパ北部にしかないので、南部ではトウヒを使う。ドイツの唄にも聖なる木としてモミの木の唄があることはよく知られている。♪オーターネバウム、オータネバウム・・・・知ってるでしょ?
■キリスト教のクリスマスにツリーを立てる習慣が始まるのはアルザス地方だと言われている。当初のツリーデコレーションは食べ物だった。最初はリンゴからである。それがパンやクッキーになり、やがてそれらを象ったデコレーショングッズが生まれた。


■もうひとつ、キリスト教に影響を与えたオリエントの聖人が持つ杖の話もある。その聖人は聖クリストフォロスと言った。手にした杖には葉や木の実が生じたという。巨大な体格で、いかつい相貌であった。王や悪魔に仕えた後に、イエスに仕えようと探し歩いていた。そしてある隠修士が「川のほとりで渡し守をしながら待てばナザレの王に会える」と言われ、待っていると子供に出会った。聖クリストフォロスは子供を肩車し川を渡してやった。それがイエスだった。イエスの教えどおりイエスが去った後には、彼の杖にはナツメヤシの葉が生じた。


■彼が渡し守だったことは、船の守り神だった聖ニクラウスと同じである。つまりオリエントの聖人の杖や渡し守の伝説がもともとあって、それがキリスト教のオリエント布教の話に取り入れられたのである。そこから聖ニクラウスは船乗りの守り神だという性格も作られたのだ。彼が中近東の聖人であり、杖が神樹になったのもイエスのおかげだという話しに仕上げられていったわけだ。

■もともとイエス・キリストはユダヤ人である。そしてユダヤ教が次第に原初の形態から拡大化していくのを、イエスは元に戻そうとしただけである。しかしそれはユダヤ正教会から見れば迷惑、王だと主張することは当時ユダヤを管理していたローマから見ても迷惑だった。しかしキリスト教はそもそもこの中近東のセム系ユダヤの中から生まれた。いわばそれは原始ユダヤ教で新興宗派だったと言えよう。弱小だったそれがヨーロッパ世界、オリエント世界にまで広がってゆくのはイエスがやったことではなく、その弟子たちの仕事である。弟子は人間でしかない。次第に拡大繁栄できた宗教がピュアな奇麗事だけの事業であったはずもない。地域地域の民間伝承を取り込むということは、それは冷淡に見れば宣伝拡販の常套手段である。

■いずれにせよ、聖人の杖やツリーに食べ物をかけていた風習からは、南方ではバナナ型神話、記紀では大月姫などの食べ物を産む穀物神の思想が読みとれる。これまた共通観念である。そしてやはりオリエントがひとつのキーポイントなのは間違いない。まさに聖クリストフォロスが渡したのは人だけでなく文化だったのかもしれない。海洋民族が伝えた東西の風習が海岸部ばかりでなく、内陸にまで深く入り込む背景には、川を遡上した彼らと、シルクロードを往来した砂漠の民たちの絶え間ない情報交換があったためなのは言うまでもないだろう。

1~4章を通しての参考文献 舟田詠子 『誰も知らないクリスマス』 朝日新聞社 1999
                  荻原雄一 『サンタクロース学入門 ひもとけば、愛!』高文堂出版社 1997

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では、みなさまMerry X’mas & A Happy New Year!

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次回は日本の奇祭、聖なる正月いろいろ
東日本の餅がなぜ四角になったか?その真実などなどです。


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コメント

 コメント一覧 (3)

    • 1. hop*519
    • 2009年12月24日 21:24
    • 時間と空間の広がりの中に人々の営みが伝播していく
      素晴らしい名文ですね。
    • 0
      kawakatu

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    • 2. Kawakatu
    • 2009年12月24日 22:59
    • このごろ西洋史もなかなか楽しいものだと感じ始めています。
    • 0
      kawakatu

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    • 3. にっぽに屋にっぽん
    • 2009年12月25日 23:10
    • ( ´ー`)y─┛チァーパーボェー
      広葉樹の方が神が宿りそうな気はしますね。
      傑作&ランクリ
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      kawakatu

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