このシリーズはブログアクセス8万人を記念してクリスマス特集であります。
1 サンタクロースのいないクリスマス
2 クリスマスの豆まきと猫たたき
3 クリスマスはキリストの誕生日か?
4 クリスマス・ツリーの起源
を予定しております。
2 クリスマスの豆まきと猫たたき
3 クリスマスはキリストの誕生日か?
4 クリスマス・ツリーの起源
を予定しております。
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もうひとつのクリスマス 1 サンタクロースのいないクリスマスと「ナマハゲ」
クリスマスの起源は一般にイエス・キリストの生誕日を祝うものとされている。けれど諸氏お聞きおよびのとおり、それは宗教の宣伝手法だった。その成立過程は後に回すとして、その大元である欧州諸国のクリスマス(冬至祭・聖誕祭)祭り風習を見ていくと、なぜか東アジア、日本、インド、アナトリアなどに類似の風習があることに気がつく。このシリーズは民俗、食べ物、ジェンダー(性風俗)の面からその派生と伝播の真実に迫りたい。
■ドイツ南部のベルヒテスガーデンのクリスマスにはサンタクロース(聖ニクラウス)は登場しない。そこがカトリック宗教圏だからではない。もともといないのである。そのかわりに大昔から魔物が登場する。そしてこれこそが本来の北欧の冬至祭の形だったという。
12月5日の夜中に祭りは始まる。いわゆるクリスマス当日の25日でもイブでもない。
ブッテンマンドルあるいはブットマンドル(ずんぐりむっくり男)と呼ばれる身体全体を麦ワラで包まれたそれは、まるで南方の精霊のようである。
ブッテンマンドルあるいはブットマンドル(ずんぐりむっくり男)と呼ばれる身体全体を麦ワラで包まれたそれは、まるで南方の精霊のようである。
この仮装は、日本の祭りにおける「仮屋」「神小屋」同様に、厳粛に納屋の中で人目を避けて身につけられる。腰にはカウベル(牛鈴)をさげ、手には木の枝のムチを持ち、闇の中を村中の家々を訪ね歩き、子供や家人に襲いかかるのだ。人々はビールやワインでこれを大歓迎する。まるで秋田のナマハゲそっくりである。秋田県地方に白人血脈を言うものが多いのに符合する、実に奇天烈な年越し祭である。
■この風習は同じ南ドイツのミッテンヴァルトにもあり、「麦わら熊」(シャープ)と呼ばれる。
やはりワラ小積みのように身を麦わらで包み、頭には中国の羽人(うじん)や四川・雲南の壁画の人物たちやあるいは日本の南信濃の新野雪祭りの舞人のように、長い角をピンとたてている。鈴とムチを鳴らすのはブッテンマンドルと同じである。
やはりワラ小積みのように身を麦わらで包み、頭には中国の羽人(うじん)や四川・雲南の壁画の人物たちやあるいは日本の南信濃の新野雪祭りの舞人のように、長い角をピンとたてている。鈴とムチを鳴らすのはブッテンマンドルと同じである。
■ドイツ・チューリンゲン地方ではキビ(ヘルシェ)の妖精がやって来る。これをヘルシェクラーゼと呼び、常にお供のヘルシェルプリヘェがコンビ。
麦ワラといい、ここのキビといい、どうやら北欧では穀物の精霊を信じているらしい。それは日本では米ワラや、南洋では茅やサトウキビの葉っぱ、バナナの葉っぱに変化するに過ぎず、要するに穀物霊=豊穣の精霊が年末に「来訪」すると信じられているのだ。海ではつながらない北欧、アルプスの山間部にまで、これらの海人的祭り風習がなぜ存在するのか?それをつないだ人々は果たしていたのだろうか?
麦ワラといい、ここのキビといい、どうやら北欧では穀物の精霊を信じているらしい。それは日本では米ワラや、南洋では茅やサトウキビの葉っぱ、バナナの葉っぱに変化するに過ぎず、要するに穀物霊=豊穣の精霊が年末に「来訪」すると信じられているのだ。海ではつながらない北欧、アルプスの山間部にまで、これらの海人的祭り風習がなぜ存在するのか?それをつないだ人々は果たしていたのだろうか?
■これら以外にも各地により来る精霊の年越し祭は存在するが、その共通点は
1 必ず冬至の頃に行われ
2 麦わら雑穀の葉、毛皮、木の葉に身を包み、顔は仮面などで隠し(神に変化する)、
3 夜中に村中を練り歩き(日本のオコナイや先島諸島のマユンガナシに共通)、
4 主に悪さをした子供や家人を脅かす。
5 その名前はたいがい家畜や穀物そのもの
2 麦わら雑穀の葉、毛皮、木の葉に身を包み、顔は仮面などで隠し(神に変化する)、
3 夜中に村中を練り歩き(日本のオコナイや先島諸島のマユンガナシに共通)、
4 主に悪さをした子供や家人を脅かす。
5 その名前はたいがい家畜や穀物そのもの
■民俗学者ヴァイザーは「刈り取られた麦の穀物霊や冬に枯れる樹木の霊などが目に見える形をとったもの(神霊の具象化)」であろうと言う。そしてこれらの先住民的な原始宗教の具象物が、のちにカトリックが拡大する過程で、セント・ニクラウスに取って代わられたと推測するのである。
■聖・ニクラウスのお供をする魔物・クランプス
オーストリアのマリア・ルカウ村ではサンタと魔物がセットで登場し、サンタは本来の聖・ニクラウスの職業である司祭の姿をし、魔物は頭に悪魔のしるしであるヤギの角を何本もはやし悪い子供を探しておし
おきする。まるでナマハゲと同じ役目をするのがクランプスなのである。
オーストリアのマリア・ルカウ村ではサンタと魔物がセットで登場し、サンタは本来の聖・ニクラウスの職業である司祭の姿をし、魔物は頭に悪魔のしるしであるヤギの角を何本もはやし悪い子供を探しておし
おきする。まるでナマハゲと同じ役目をするのがクランプスなのである。
聖と魔がコンビになったのも、やはり当初は魔物=超自然=精霊=穀物霊を祭る祭にあとからキリスト教のサンタが入り込み、その形式がサンタ>魔物であるところからは、キリスト教が先住の風習・民間信仰を統制していった歴史を物語るのである。
これを大人の目から見れば「飴とムチ」、勧善懲悪のセットと見る研究家もある。
天国と地獄をわかりやすく子供たちに見せて教える世界宗教おさだまりのやり方だと見るのである。
これを大人の目から見れば「飴とムチ」、勧善懲悪のセットと見る研究家もある。
天国と地獄をわかりやすく子供たちに見せて教える世界宗教おさだまりのやり方だと見るのである。
■卑近な例であるが、映画「天使と悪魔」でも、主人公が同じようなセリフをはいている。
「宗教は聖でもあるが悪でもある。キリスト教も同じく、世界的に広がろうとしたときには、科学(ガリレオなど)を否定しなければならなかった」といった内容だったか。
科学と宗教は常に対立しなければならなかった。ある意味それはお互いの対立構造がお互いを宣伝することに利用されたのだ。二律背反によって、一見、激しく対立しているように見えて、ある部分ではもちつもたれつ。冷戦時代の米ソのような関係である。あの映画ではそれをバチカンとイルミナティの対立としておもしろく描いて見せていた。
「宗教は聖でもあるが悪でもある。キリスト教も同じく、世界的に広がろうとしたときには、科学(ガリレオなど)を否定しなければならなかった」といった内容だったか。
科学と宗教は常に対立しなければならなかった。ある意味それはお互いの対立構造がお互いを宣伝することに利用されたのだ。二律背反によって、一見、激しく対立しているように見えて、ある部分ではもちつもたれつ。冷戦時代の米ソのような関係である。あの映画ではそれをバチカンとイルミナティの対立としておもしろく描いて見せていた。




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