「復活版!かわかつワールド 百物語11」から転載
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「子供の成長過程において、霊魂が常に不安定という霊魂観があり、七つまでは神の子で、幼くして死んだ子は神の子として再び生まれ替わることが期待される。成人に至るまでの鎮魂の儀礼にもかかわらず、夭折した者は生死の円環の上からはずされてしまう。円環する生命の輪からはずされる凶魂、それこそがオニ(いわゆる悪鬼)なのである。日本人にあっては、この世の顕界とあの世の冥界(幽界)は、一元的な連続の環の上にあり、誰でもが環のどこかに位置づけられていて、それぞれの担う役割が決められている。」
萩原秀三郎『鬼の復権』「円環する生命とオニ」

子供が七つまでは神の子という意味は、いつ神に連れ去られてもおかしくない存在=弱者ということである。昭和初期から明治、江戸時代以前はそういう、子供がすぐ死んでしまう環境だったという意味である。

子供というものは現代でもやはり死ぬものであろう。
いかに病理学、医学が発達したとは言え、夏になれば水難で死ぬものが毎年出るが、その多くはやはり子供である。昔は河童に引かれたとか言っていたが、結局、運命の糸が細い者は、はかなくも去ってゆく宿命にある。神隠しという言葉も、結局は「神が連れ去った」と考えようという諦観の表れであろう。今のわれわれのように「なぜ毎年死者が出ることがわかっているのに、池に柵をしないのか?」という理屈ではものを考えない時代だったのか。いや、実はそうではあるまい。子供とは死ぬものだと思おうとする背景には、貧しくて口減らし、間引きをしていた時代があったという事実の表側の姿勢を垣間見たに過ぎない。むしろそれでほっとした時代が確かにあったと考察しなければ、解釈がしにくい。

千葉県葛飾郡沼南(しょうなん)町の弘誓院(ぐぜいん)には「間引き絵馬」あるいは「子返し絵馬」と呼ばれる大絵馬がある。
また、茨城県利根町布川徳満寺地蔵堂にも「子かえし絵馬」がある。

この絵馬に書かれている小文は、江戸時代に流行した「子孫繁昌手引草(しそんはんじょうてびきぐさ)」という赤子殺しを戒める戒文である。描かれた絵の中で、母親が夜叉のごとく生まれたばかりの女の子を褥(しとね)にくるみ見えなくしてから、手を突っ込んで首をしめようとしている。彼女の後ろには鬼の姿をした神が、ことが済むのをじっと見つめている。




中国では飢饉の時、わが子を背負い籠に入れて夜中に村中が集まり、闇にまぎれて交換する「鬼市」という風習があったと聞いている。そこから中国人の食習慣を表す「中国人は四本足なら机以外、二本足ならわが子以外、なんでも食う」という言辞が生まれるが、真実は、後半が「二本足なら椅子以外」が正しいようだ。飢えればわが子でも喰らう夜叉とならねばならぬ、人の原罪・業がそこにはある。

「間引き」という語は民俗語彙には表れてこない新しい時代の造語であるが、それは恐れ多くもわが子を、神の掌中へと「オッケース(おっかえすの常総弁)」行為に他ならない。誕生から七つまで、子供とは「この世とあの世の境目の存在」であるという認識が世界中にあった。ゆえに神に返すならば七つまで、いや早いほうがよかったのである。

こうした事情がわかってこそ、「この子の七つのお祝いに」の童歌の文句は正しく理解できるのだろう。

そこには愛憎がある。
表側では「よく七つまで無事に育った。もう安心だから神様に感謝に御札を納めに参りましょう」というハレの素直な情愛が。
裏側では「ああ、まだ育てなければならない。金がないのに」というまさに夜叉のごとき本音が隠されていた、と考察せねばこの歌の呪文は解けないのだろう。

神に愛される、神の子であるためには、裏側に、いつでも神に命を捧げるという理念が存在する。それが宗教にも確かにあるだろう?
それとおなじように、不条理と突発が、子供の命を奪い去る。いまだ昼と夜のはざまに生きる、呪としての存在である子供に、往古から人は鬼と神を見てきた。聖徳太子が童形(どうぎょう)で描かれたり、神が子供の姿になって顕現したりするのも、子供の中の鬼と神の二重性。あるいは夜と昼、うつせとあの世、彼岸と河岸の「どっちつかずの異界」が見えたからだ。


「成人に至るまでの鎮魂(七五三、端午の節句、節分など子供のための儀式)」を十二分に施してきたのも関わらず、「円環からはずされる凶魂」に今年もまた、すでに幾人かが選ばれた。これからもそれは続いてゆく。なにも変わってはいない。神の生贄は暗黙のうちに粛々と行われ、うしろどで、神は今日も血を喰らうのである。永遠の儀式を止められるものは親である君の愛しかありえない。

 とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこの細道じゃ
 天神様の細道じゃ
 ちょっと通してくりゃしゃんせ
 御用のないもの 通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに
 御札をおさめに参ります
 行きはよいよい帰りは怖い
 怖いながらも
 とおりゃんせ とおりゃんせ・・・
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くれぐれも申し上げておくが、早いほうがよかったと言っても、いくら子育てに疲れたからと言って、わが子を進んで神に差し出す馬鹿になれと言っているわけではなく、むしろ言いたいことはその逆だくらいのことはわかっているでしょうな?書いてあることを鵜呑みにして実行するなどのおろかな盲目的勘違いなきように。もう一回言いますよ、くれぐれも真似せぬように。Don’t try This at home!

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