柳田國男「天狗の話」は1909年(明治42)三月『珍世界』第一巻第三号に掲載された小論考であるが、「当時の柳田は、先住民の末裔が「山人(やまびと)」あるいは「山男」と呼ばれて現存していると信じていた。」(礫川全次)この論考には柳田の山人=先住縄文人=天狗という考察方針が明確に提示されている。

「(前略)我国は小さな人口稠密(ちゅうみつ)な国でありながら、いわゆる人跡未到の地がまだなかなか多い。国と国、県と県との境は大半深山である。(中略)猟師・樵夫(しょうふ)、も容易に往来せぬ区域がずいぶんと広いのである。これらの深山には”神武東征の以前から住んでいた蛮民”が、我々のために排斥せられ窮迫せられてようやくのことで遁げ籠り(にげこもり)、新来の文明民に対しうべからざる畏怖と憎悪とを抱いて一切の交通を断っている者が大分いるらしいのである。」
(””筆者)

「中学校の歴史では日本の先住民は残らず北の方へ立ち退いたように書いてあるが、根拠のないことである。佐伯と土蜘(まま・つちぐも、土蜘蛛)と国巣(まま・くず、国樔)と蝦夷と同じかは別問題として、これらの先住民の子孫は恋々と(れんれんと)してなかなかこの島を見捨てはせぬ。奥羽六県少なくとも頼朝の時代までは立派な生蛮地であった。アイヌ語の地名は今でも半分以上である。(当然のことであるが、これらは柳田が生きた明治~大正の話である。筆者)」

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柳田の、当時の山人志向は著名な著作『遠野物語』(1910)へと発展していくのであるが、1911年には和歌山に住んでいる南方熊楠に宛てて「小生は目下山男に関する記事をあつめおり候」と手紙を送り、南方から情報を得ようとしている。(『柳田國男・南方熊楠書簡集』)

ところが翌々年には柳田は早々にこの計画を断念、山人への関心すら無くしてしまっていた。これは南方からの山人研究の方法への痛烈な批判をあびたせいだと考えられている(礫川)。
文献としては、この年、山人研究をとりまとめて分載した『山人外伝資料』がある。

「拙者の信ずるところでは、山人はこの島国に昔繁栄していた先住民の子孫である。(中略)(山人がほとんど死滅したといわれているような今日において、)彼等の不倶戴天(ふぐたいてん)の片割れたる拙者[柳田]の手によって企てるのである。」(『山人外伝資料』冒頭)

先住民にとっては不倶戴天の敵とも言える国家公務員だった柳田が、やや自嘲気味にこう書き記している。ついこのあいだまで、柳田自身が考えていた山人=先住縄文人を証明しようとした過程で、ついには当時まだ島嶼の山間部を漂泊していたサンカへの興味へと変化してゆくのであるが、山人=サンカと結語せぬままに、その方向性は結局後人に仮託されてしまうこととなる。そして、この日本民俗学の宿題ともいうべき命題を受け取ったのは門人の折口信夫らであり、また中山太郎であった。そして柳田が途中で頓挫させてしまった山人研究は、結局、歴史学の権威からは無視された状態で戦後を向かえてしまうのだが、ようやく歴史と民俗学の蜜月を形成したのが中世史の網野善彦であった。

しかしながら「天狗の話」が指摘した台湾植民地化時代の日本軍が「生蕃(高砂族)」警戒のために居住地との境界線に、直接的には台湾総督府に設けさせた「隘勇線(あいゆうせん)」という軍事境界についての考察には、日本古代の高地性集落を考えるうえで非常に大きな意味があったように筆者は感じている。

次回、隘勇線と古代先住民の考察。

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