確かに同じ青銅器であるものが九州では銅矛・銅剣だけが来ているというのも奇妙な着想である。
すべてがセットで来たか。
銅鐸は日本以外では朝鮮式小銅鐸が出ており、同じものは大分県宇佐市の別符(びゅう)遺跡などで出ており、それらが九州や西日本各地で巨大化してゆくのが道理だと言える。
昨今のさまざまな考古学的発掘からどんどん新しい考察が生まれている。
脳梗塞男の料理とエッセイ、ときどき爆笑、ときどき不満爆発? 著書『秦氏が祭る神の国・その謎』2005年 1955年大分市生、京都育ち。 脳梗塞、高脂血圧、緑内障、糖尿病と闘病中。
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kawakatu
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音という意味では銅鐸は、途中までは確かに楽器だったんですよ。
それがこの記事の一覧表にもあるのですが、舌だけが出てくる遺跡があるでしょ?つまり舌をはずしてしまって、もう楽器じゃなくって祭器でしかなくなるんですね。
どうも古代日本人は銅鐸の音に関心がなくなってますよねえ。
その音調が合わなかったということなのかなと見えてしまいますよねえ。その代わりに大きくなる。不思議です。
kawakatu
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あと、東南アジアには大小のゴングを1人一つずつ持ってアンサンブルをする例もありますから、共同体の結束確認作業の一つとして銅鐸で村の中の住人が大小の銅鐸でアンサンブルしてたかも、なんて想像してしまいます。銅鐸は共同体のための楽器という側面を強く感じますね。妄想が膨らみます(笑)
kawakatu
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kawakatu
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銅鐸は地鎮祭の祭器でもあるんですね。あの銅鐸表面の文様や絵は当時の人にはかなり呪的な意味合いが強かったことでしょう。
他の国との外交の中にも銅鐸が深く関わっていたのかもしれませんね。別の国を侵略して分捕ったりもあったことでしょう。戦では、被征服者の祭祀のシンボルを奪うのが精神的なダメージとしては大きいですからね。
kawakatu
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