尾張氏=葛城氏=海部氏=紀氏=日下部氏=草部吉見系阿蘇氏=多氏=熊襲=狗奴国
■『日本書紀』神武戊午(ぼご)年条
「高尾張邑(或る本に云わく葛城邑という)」

■同書己未(きび)年条
「又、高尾張邑に土蜘蛛有り。又高尾張邑に土蜘蛛有り。其の人と為り身は短くして手足長く、侏儒と相類たり。皇軍葛網を結いて掩襲ひ殺しつ。因りて其の邑を改め号けて「葛城」と曰ふ」

高尾張邑にツチグモがいて、神武の軍隊がかづらの綱を使ってゆわえつけて殺したことから、高尾張邑は葛城邑となったと書いてある。つまり高尾張=葛城である。葛城氏と尾張氏はつまり同じ場所にいたこととなる。
その葛城氏の方はでは土蜘蛛の一族であろうか?そして尾張氏はそれを管理していた先住氏族だろうか?
あるいは葛城氏=尾張氏なのだろうか?
いずれにせよ「高尾張邑」とは旧大和国吐田郷の突き出した丘陵地帯を言う。尾張氏が従えていた土蜘蛛・・・つまり先住民たちはここに盤拠していたことになる。今、葛城一言主神社にその痕跡が残されている。

■『日本三代実録』貞観六年八月条
「尾張国海部郡の人、冶部少録従六位上 甚目連公宗(はためのむらじ・きみむね)氏・・・同族十六人に姓を高尾張宿禰賜いき」

※今の愛知県海部(あま)郡甚目寺町に甚目寺(じもく・じ)があり、漆部神社がある。
そんな甚目寺の西隣にあるのが漆部神社。

神社名:漆部神社(ぬりべじんじゃ)
鎮座地:愛知県海部郡甚目寺町大字甚目寺字東門前11
祭神:三見宿称命(みつみのすくねのみこと)、相殿・八大明神、相殿・木花咲耶姫命
社格:式内社、旧郷社

三見宿称命は火明命の五世の孫で尾張氏と同族、漆部の祖神。漆部とは漆を栽培、採取し、漆製品を製作する氏族のこと。尾張氏とともにこの地方へ移住し、この地に神社を建て祖神を祀ったという。
創建は不明だが、甚目寺より先にできただろうから1500年以上前だろう。その後、仏教伝来後に神宮寺として甚目寺が建てられたと思う。
http://alay.at.webry.info/200611/article_12.html

※要するに大和の葛城と甚目寺の漆部は同族と見てよく、「かづらき」=「うるしの木」とも考えられる。
そして漆部神社祭神の三見宿祢とは  で、相殿の祭神・木花咲耶姫は四国の水軍・河野・村上水軍が瀬戸内の大三島に祭る大山積の娘で、大元は隼人にある。だから尾張氏、葛城氏の大元は南九州の海人族が早くから大和地方にいた証明になり、それが土蜘蛛の正体であるか?では葛城氏と尾張氏はどこからいつやってきて彼らを配下にしたか?それは神武東征以前だったことになるから、紀元前の話になる。つまり葛城・尾張氏は大和最古の氏族だったと言えることとなる。

尾張氏はもともと大和の葛城の高尾張を本拠として、紀ノ川によって熊野、大阪南部泉州、葛城地方を少なくとも紀元前から手にした先住王であろう。そして同族には海部氏がいて、同じくアメノホアカリを祖神とするが、このアメノホアカリとはもともとは隼人=海部氏の神であり、両者が同族となったから共有されたと見える。

海人族・海部氏の源は、こうして南九州の隼人らであることがわかる。

さらに木の国=紀伊には「木国造」がいたが、これは大和国造・・・つまり倭国造の祖先であり、また紀氏の祖先として共通する。

つまりこうなる。
葛城氏、尾張氏、海部氏、紀氏、倭国造は同族である。
そしてそのすべてに関わる出身地として南九州が想定できる。
さらに若狭湾では海部氏と日下部氏は同族であるから、日下部氏の出身も南九州の熊襲のいた地域である草部の吉見系阿蘇氏が想定できる。

クリッククリクリ!↓

↓       ↓          ↓        ↓
With2ブログランキングへ