キリスト教世界においては、今日は冬至祭である。
その本義は・・・

 「ヨーロッパの暦は古代ローマ帝国の暦が元になっている。その古代ローマ暦はメソポタミア暦の影響を受けていると考えられる。というわけで、 ヨーロッパの暦の起源は古代メソポタミアである....と言われることが多い。
 しかし調べてみると、ギリシャ暦は夏至から始まり、メソポタミア諸国伝統の 春分年初をとっていない。ローマの暦は春分年初なのだが、メソポタミアものが ギリシャをとびこしローマに直接伝わるとは考えにくいような気もする。しかし一週間が7日という特殊な節はメソポタミア産であり、早期にヨーロッパに伝わっていた ので、やはり暦もメソポタミア起源なのかもしれない。
 惑星の名前や角度が1周360度など、皆メソポタミアから伝わったものというのは有名な話だ。

 紀元前18世紀ごろの古代バビロニア王国では、1年は春分の日(3/21頃) 近くの新月の日で始まった。春分の日はおひつじ座のある星が太陽と同時にのぼるのを観測して調べたとされる。
 月は陰暦、1年はだいたい太陽暦の太陰太陽暦なので、うるう月をときどき 入れて1年が12ヶ月だったり13ヶ月だったりする。

 紀元前7世紀頃のカルデア(新バビロニア)王国では、天文学がさかんで 19年7閏法という太陰太陽暦が使われた。19年間に7個のうるう月を入れると、うまく月の満ち欠けと年始が19年ごとにほぼぴたりと合う。 新年はおなじく春分の日近くに新月の日である。

 古代ローマでは紀元前8世紀ごろ、ロムルス暦が使われ始めたと言われる。 月の満ち欠けを基準とした太陰暦で1年が約304日、冬の間2ヶ月は日付がないへんな暦であった。新年は春の適当な新月の日となっているアバウトな暦であった。

 冬の2ヶ月もヤヌアリウス、フェブラリウスとして暦の最後にいれたユマ歴が紀元前710年にできた。ただし月の満ち欠け12回で1年としたので1年=355日だった。ユマ歴でも年初は春分の日近くの新月の日だった。

 しかし、1年355日では実際の1年とずれるので、しばらくしてうるう月が ときどき入れられるようになった。 ローマでは年末(フェブラリウスの月)の23日に1年のしめくくりの祭り「テルミナリア」を行う。閏月は2月23日の直後に1ヶ月入れられた。  このとき1年の始めがローマ政府により1月 (ヤヌアリウスの月)に変更された。ヤヌアリウムスの月の神ヤヌスはえらいので、ヤヌアリウスの始まりを1年とする、としたらしい。

 紀元前46年、有名なシーザーによるユリウス歴が制定された。。4年に1日うるう日をいれることにより1年は365.25日となり、年初は1月と改めて指定された(このころもまだ、 古い習慣で3月も正月のように祝っていた)。これはもう月の満ち欠けに関係なく、1年を12ヶ月と定めていた。

 さて、この時点では、旧新年の始まりは春分の日=今の3月21日頃であった。 ユリウス暦の新年はその2ヶ月前=今の1月21日前後になりそうである。
 これがいかにして今の1月1日までずれこんだのか?

 古代のローマでは、太陽の高度が最も低くなる冬至を太陽の復活として 冬至祭を行い、盛大に祝っていた。農耕民族の祭りといえる。
 さらに、ユリウス暦制定のころ、ローマではミトラ教が最大派閥で あった。ミトラ教では、主神の太陽の神ミトラが冬至に死んで、 その3日後に復活(3日後ではなく冬至の当日に復活するという文献もある)することになっていた。 そのミトラ復活の日12月25日は、冬至祭と重なり、 ローマあげての祭りであった。  その後起源1~4世紀の間にキリスト教がミトラ教にとってかわるが、そのときミトラ教の祭日12/25も、キリスト教の祭日=キリスト生誕の日 として受け継がれた。正式には325年のニケア公会議で12/25が クリスマスと採用された。実際のキリスト生誕の日がよくわからないせいも あった。これがクリスマスの起源である。
 詳しい話は、クリスマスの由来というページをごらんください。

 キリストは生誕(12/25)から8日目にユダヤ教の割礼を受ける。西暦(AD)では、この キリスト割礼の日を1月1日に採用したのである。

 この1月1日の決め方は、東ローマ帝国の修道院長デュオニシオスの525年の著書に、初めて登場する。デュオニシオスは数学と天文学に詳しく、東ローマ帝国ではそのような彼の提案する暦(=西暦)を採用することにしたようだ。

 このおふれが出たとき(西暦532年か?)以来、ヨーロッパの公式暦は1月1日から始まるのである。この現在の 年初を「割礼年初」という。

 ただし、この割礼年初(今の1月1日)がヨーロッパ全土に広まるには数世紀を要したとされている。どうやら10世紀ごろにやっとヨーロッパの 年初は統一されたらしい。
 じゃそれまではどうなっていたかというと、ローマ紀元とよばれる ディオクレティアヌス紀元や、キリスト受難の年をから数えた紀元、また 年初も春分年初だったり、色々な西暦が使用されていたのだ。ちなみに、ディオクレティアヌス年248年=西暦532年である。」
http://astro.ysc.go.jp/izumo/shogatu.html

古代人にとって冬至と夏至の方角を知ることは、聖なる世界に近づくことであり、また大切な種まきと収穫の季節や時間、暦を知るための重要な関心事だったようだ。それで冬至の日の出・日の入りを正面に見る場所に祭祀場を設け、そこで豊穣と健康と長寿と死者の復活を祈願した。ストーンヘンジなどはおそらくそのための装置であろう。

実に理にかなった、そうした行為が粛々と祭祀場で繰り広げられたに違いない。

西日本の今年の冬至は暖かい。
東日本でも本来は雪であるはずが雨になっている。
予想外の気候であるが、喜んでばかりはいられない。
その雨の大元は、北にあるシベリアが暖気に覆われて、凍土を溶かしているのだ。

とは言いながらあがらえぬ。
わたしたちが精進潔斎しているあいだに、饗宴を謳歌している人々がこの地球の半分を占めている。

それもこれも含めて正邪のすべてはわたしなどの想いとは別のところでたゆとうている。
許すしかない。

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