■「縄文ランドスケープ論」
「縄文人の居住地にとってまず欠かせないのは、ランドマークとなる富士山のような神奈備(コニーデ)型の山容である。次に集落のつくりそのものや、広場に置かれたモニュメントにも着目してほしい。集落内の中央広場と環状配石墓のなかに立つ大石、それにランドマークの山頂を結んでみる。また集落では配石遺構・環状列石・環状盛り土遺構・巨木柱列などの記念物と山頂も結んでみる。するとそれぞれのラインの延長線上には、春分・秋分の日の出・日の入りが見られるはずだ。
 景観(ランドスケープ)という言葉が、たんに目に映る風景だけを意味するのではなく、人々の営みと深くかかわっていることがおわかりいただけたと思う。」(「縄文人の目にはなにが見えていたのか」安斎正人)

「縄文ランドスケープ理論」はアイルランドのストーンヘンジなどの古代祭祀遺跡に関する英国考古学からの景観考古学者・小林達雄らの発想である。例えばポール・デヴェルー『大地の記憶』(青土社 1998)。デヴェルーはもともと考古学者ではなく『レイ・ハンター』という雑誌の編集長である。このレイとは古代遺跡と地形状の特異な点の配置を言うようである。その論点は

1 考古学
2 あると見る
3 古代天文学
4 それらの統合としての「地霊学」探求

つまり簡単に言えば「古代の巨石建造者」たちは地霊学者であり、天文学者であり、海洋民族だったということ。精霊(祖霊と言ってもいいか?)に逢う為に巨石構造物を作った・・・。

要するにこれは縄文の巨木・巨石崇拝と目印ランドマークとしての存在、祖霊崇拝とほとんど意味が違わぬ観念ではあるまいか?

もっとわかりやすく言うならば、現代のわれわれが「スピリチュアル・スポット」として訪問する奇岩や霊峰富士や三輪山に、霊的な何かを感じる、それが古代人は日常茶飯だったのであり、かつそれらはみな、集落へ帰還する(それをして一般は「祖霊に導かれる」などという)ための海と内陸部からの実用的なランドタワーだったのだと・・・。

海洋民が航海に用いてきた三点視点から直角三角形を作り魚場や目的地を知る天文知識が応用されたということになろうか。つまり縄文ランドスケープもストーンヘンジも、構造物は山と星と構造物を三点に結ぶ直角三角形のレイ・ラインを構築し、目印であり、霊的なスポットであり、そこに祖霊を感じたということだろう。

して見ると前記事で書いた弥生遺構や古墳の多くが水辺の目印であったり、あるいは山塊の中腹に作られていたことと(つまり初期墳丘墓の位置に)はなんらかのつながりはないのか?それが「倭人」という先土器時代からの海人族であろうという推測と、どうやら合致するのではないか?そうKawakatuは感じるのである。

もちろん考古学者の多くは「地霊」「霊感」「スピリッツ」などには耳も傾けはしない。彼等は魏の曹操と同じ実利主義者である。しかし実際に巨大構造物や柱を立てたのは考古学者などではなく、縄文人。それも科学的考察と技術と、現代人を上回る勇気と自然畏怖観を併せ持つ、より完全に近い、それでいて寿命の非常に短い時代の住人である。孔を掘り、柱を掘り出したところで考古学者のように給料がもらえたわけでもない。つまりより純粋な着想でそれを行った人々である。

とすると前方後円墳にも祖霊祭祀場としての意味があったのならば、同時にそれがランドスケープだったはずである。海から見て、また低地から仰視するオベリスクとして、倭人にはあの高さと大きさが必要だったのではないか?そうでなければなぜ日本の古墳だけが巨大なのか?

※人類の根源的な祖霊信仰とはいわゆる現代の霊感などとは別個に理解する必要がある。
重要なのはそこを目印にしたという事実であり、それが星信仰などと結びつくのは中世以降の迷信的な勘違いからである。どこが違うかをよく見極めておかねば非常に危険だといわねばならない。

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