南方にある珊瑚の島 その先のリーフの先にいるものども
おんなたちは悲嘆にくれる
男の仕事は海だった
手力男は空に舞い 大鳥の群れかきわけて
ポナペの小鳥のこのわたし
悲しみのあまり胸痛む
貴方の声で今こそは 男の、椰子の先に座し
北極星のちと左
マイルパリファンに向かいつつ
ひだりの腕でロープ引き
島と島とのそのあいま 波をかぶっていざ行かん
おんなたちは悲嘆にくれる
男の仕事は海だった
手力男は空に舞い 大鳥の群れかきわけて
ポナペの小鳥のこのわたし
悲しみのあまり胸痛む
貴方の声で今こそは 男の、椰子の先に座し
北極星のちと左
マイルパリファンに向かいつつ
ひだりの腕でロープ引き
島と島とのそのあいま 波をかぶっていざ行かん
■同じく「ウェストファーユ島に卵取りの詩」
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カヌーを支度し島目指す
椰子の実を積み・・・・・・
・・・・・・・
北極星の東に上がり 西に暮れるユグリックを目指せ
カヌーを支度し島目指す
椰子の実を積み・・・・・・
・・・・・・・
北極星の東に上がり 西に暮れるユグリックを目指せ
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1975年沖縄海洋博で、サタワルの船乗りたちは全長10㍍ばかりのカヌーに乗り込み、約3000キロ離れたはるかなる沖縄まで、潮を頼り、太陽と星を頼りに48日かけてやってきたと聞く(NHK衛星1995)。この事実は世界中の先進国の、特に歴史学者を驚愕させた。
上記の民謡は彼等の間に代々伝えられてきた星を頼りの遠洋航海のいわば労働歌である。
上記の民謡は彼等の間に代々伝えられてきた星を頼りの遠洋航海のいわば労働歌である。
ふたつの歌にあるように、北極星を目印にし、「その少し左の下」とか「その東の下」などという目星航海ではるかに離れた島々へ旅をしていたのである。そのことに常識ある、権威と呼ばれた考古学者も文献史学者も目から鱗を引っぺがされたのだった。
日本ではかつて5世紀、九州の八代海に突き出た宇土半島から長崎周りで波荒き玄界灘、瀬戸多く危険な瀬戸内海の島波海道や速水瀬戸を貫いて、たった8人乗りのカヌーが、阿蘇ピンク石で造られた石棺を筏に載せ、はるかな紀ノ川、琵琶湖にまで到達していた。
そればかりか縄文時代後期には、博覧会の行われた沖縄から、南海にしかいないはずの貝を運んで、なんとはるかに南北海道まで何度も何度も往復の貿易を行っていた。
海の道・・・。貝の道は縄文時代にすでに半島との交易を可能にしていた。これは考古学資料からすべて間違いない事実である。
そのサタワルやヤップ島民の古代航路の存在を如実に示した海路航海図が最上段の写真である。その図は「サメの入り江は天の川と水平線が何月何日に交叉する海域に○○島がある」といった、実に正確な航海図だった。
そのサタワルやヤップ島民の古代航路の存在を如実に示した海路航海図が最上段の写真である。その図は「サメの入り江は天の川と水平線が何月何日に交叉する海域に○○島がある」といった、実に正確な航海図だった。
またポリネシアでは数年に一度、まったく計器類を持たないさまざまな島人のダブルカヌー(トリガー式)がマルケサス諸島にあるヌクヒバという島に集まるそうである。(堀田總八郎)
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■エジプトピラミッドと歳差角度
クフ王の大ピラミッド内部にある「王の間」「女王の間」に差し込むオリオンの星と竜座の星の光の線分が作る三角形から暦や位置を知ったらしく、ナイル川は天文図における天の川だったと考えられている。エジプト人もまた星を知り、季節を知り、天文遁行の達人だったようだ。
クフ王の大ピラミッド内部にある「王の間」「女王の間」に差し込むオリオンの星と竜座の星の光の線分が作る三角形から暦や位置を知ったらしく、ナイル川は天文図における天の川だったと考えられている。エジプト人もまた星を知り、季節を知り、天文遁行の達人だったようだ。
■歳差原理
地球は自転しながら太陽の回りを公転する。
その間、他の惑星や月などの影響で僅かながらであるが回転軸が首振り運動をしてしまう。この僅かなズレ・・・偏角は、理論上一年に約72分の1度である。この誤差が360度回って元に戻るまでの周期は72年に一度である。
地球は自転しながら太陽の回りを公転する。
その間、他の惑星や月などの影響で僅かながらであるが回転軸が首振り運動をしてしまう。この僅かなズレ・・・偏角は、理論上一年に約72分の1度である。この誤差が360度回って元に戻るまでの周期は72年に一度である。
72×360=25、920年乃至25,776年
という数式で表すことができる。この偏角を「歳差角」と言い、恒星が同じ偏角に戻るまでのズレ角で年代がわかるという。つまりこれは地球が教えてくれている天体時計である。
歳差年Yは次の数式で表される。
歳差年Yは次の数式で表される。
⒴=25,776⒳+α星 ⒳はOか整数
大ピラミッドの四辺の和の43200倍は、地球の赤道の円周の長さに等しく、完成時の大ピラミッドの高さのこれまた43200倍は地球の半径にぴたりと合致する。エジプト人はピラミッドによって地球の自転・公転からその大きさ、自分たちのサイズや位置までも計算していたのだと言う。
43200という数字は、さらに太陽の、南北僅か2,4度ずれる回帰線の歳差周期に合致する。
43200という数字は、さらに太陽の、南北僅か2,4度ずれる回帰線の歳差周期に合致する。
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■マラソンオリンピック金メダリストの年齢が決まらない?
1995年アトランタオリンピック、女子マラソン。金メダリストは懐かしいファツマ・ロバさんだった。ところが彼女の正確な年齢がいつまでもきめられないから記録がどうしてもファイルにできない。
なぜならエチオピアでは太陰太陽暦ではなく独自のエチオピア暦で年齢を数えていたためである。
その暦は世界基準暦で1997年1月1日が、1989年9月11日。しかも一ヶ月は30日で六年に一回のうるう年を入れる。これでは計算するだけで相当な時間がかかってしまったのも仕方が無い。
1995年アトランタオリンピック、女子マラソン。金メダリストは懐かしいファツマ・ロバさんだった。ところが彼女の正確な年齢がいつまでもきめられないから記録がどうしてもファイルにできない。
なぜならエチオピアでは太陰太陽暦ではなく独自のエチオピア暦で年齢を数えていたためである。
その暦は世界基準暦で1997年1月1日が、1989年9月11日。しかも一ヶ月は30日で六年に一回のうるう年を入れる。これでは計算するだけで相当な時間がかかってしまったのも仕方が無い。
世界の歴史上、このような暦はたくさんあった。つまりこれを「恒星暦」(まるでスタートレックである)などという。古代エジプトの暦は大犬座のシリウスを基点としたシリウス暦である。エチオピアではなんとまだそのように古代の暦が生きて使われていた。
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■日本の木造高層建築は海から見るランドマーク
三内丸山遺跡の巨大高層建築物は、現在、物見ヤグラよして復元されてしまったが、実は海や、離れた森から帰還するための灯台、目印だったと言われ始めている。それはほかの縄文高層建築物や出雲の大社もそうではないかという「日本海をつなぐランドマーク」説が有力視されることになった。
■海人族のランドマーク、日本のピラミッド山と巨石、古墳
日本各地には謎の遺物として多くの環状列石などの存在がよくとりざたされる。
たくさんありすぎるから、筆者の地元にある国東半島豊後高田市真玉町の猪群山ストーンサークルを例証にしておこう。
果たしてこれらの遺構が本当に古代海人族の航行や暦に利用されたものかどうか、筆者には今のところ手に余る素材でしかないが、理科系人間にはたまらない推理ゲームになるようだ。太陽のレイラインだけでなく恒星のレイラインというものが古代からあったのなら、なにゆえに記紀には星信仰が登場しないのか?そこが不思議だが、中世には妙見信仰や修験道による方位知識や、阿含経などの修験に通じる星祭り信仰などが真言密教などから派生してくる。記紀があきらかに海人系説話や伝承に彩られ、神の名や氏族伝承にも反映されたにしては、星や太陽による航海の話や、神社信仰の伝承がないのか?最古の記録だと思われる天武天皇の天文遁行に秀でるという記事は、確かに天武が大海人という海人族によって育成されたであろうその幼名には反映されてはいる。
日本各地には謎の遺物として多くの環状列石などの存在がよくとりざたされる。
たくさんありすぎるから、筆者の地元にある国東半島豊後高田市真玉町の猪群山ストーンサークルを例証にしておこう。
果たしてこれらの遺構が本当に古代海人族の航行や暦に利用されたものかどうか、筆者には今のところ手に余る素材でしかないが、理科系人間にはたまらない推理ゲームになるようだ。太陽のレイラインだけでなく恒星のレイラインというものが古代からあったのなら、なにゆえに記紀には星信仰が登場しないのか?そこが不思議だが、中世には妙見信仰や修験道による方位知識や、阿含経などの修験に通じる星祭り信仰などが真言密教などから派生してくる。記紀があきらかに海人系説話や伝承に彩られ、神の名や氏族伝承にも反映されたにしては、星や太陽による航海の話や、神社信仰の伝承がないのか?最古の記録だと思われる天武天皇の天文遁行に秀でるという記事は、確かに天武が大海人という海人族によって育成されたであろうその幼名には反映されてはいる。
縄文の遺跡と海人族の蝦夷とのつきあいは確かに縄文後期にまで遡れる。そして2000年たつと、三内丸山の人々は忽然といなくなる。現在、周辺の産地にあったはずのレバノン杉の花粉出土状況からは、その当時、太陽のなんらかの影響で地球は一時的な寒冷化にみまわれ、彼等も獲物であるオオツノシカなどを追いかけて南下せざるを得なかったことがわかってきているが、その南下の痕跡がアメリカ式石鏃の新潟南部への南下に合致するのだろうか?確かに古代の人口推移を見れば弥生時代直前に東北に集中した人口が南下し始め、おおよそ奈良県あたりにまで下がっていたことがわかっている。
以上参考文献 堀田總八郎『縄文の星と祀り』中央アート出版社 1997









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鞍馬山は船。
水祭祀。
保津川、木津川、宇治川はみな船大工が遡上した川ですからね。
木屋、小屋などの地名は船大工地名です。
船大工は木材を探しに山に入ります。そしてそこに炭焼き小屋や鍛治屋をおきます。船にはフナ釘が必要だからです。鍛治屋が鉄だけだと思ってみえなくなります。船と製鉄と水、これが海人を山に探す手立て。
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