■宮守村金取遺跡(みやもりむら・かねどり・いせき)
岩手県遠野市宮守
旧地番 岩手県上閉伊郡宮守村字達曽部22地割72番地
※藤原事件旧石器捏造問題に関わらない遺跡
※推定9~5万年前の地層
●金取遺跡は、1984年に武田良夫氏が造成工事により露出していたローム層中から、大型打製斧形石器を採取したことによって発見された。この地層は阿蘇火山噴火による火山灰が降り積もっていることから、その年代は推定9~5万年前。
参考サイト→http://www.geocities.jp/mshomei/pareo/31kai-shiryou/kanetori/kanedori.htm
岩手県遠野市宮守
旧地番 岩手県上閉伊郡宮守村字達曽部22地割72番地
※藤原事件旧石器捏造問題に関わらない遺跡
※推定9~5万年前の地層
●金取遺跡は、1984年に武田良夫氏が造成工事により露出していたローム層中から、大型打製斧形石器を採取したことによって発見された。この地層は阿蘇火山噴火による火山灰が降り積もっていることから、その年代は推定9~5万年前。
参考サイト→http://www.geocities.jp/mshomei/pareo/31kai-shiryou/kanetori/kanedori.htm
●その後の金取遺跡発掘調査結果
5万年以前の石器片発見
「岩手県宮守村教育委員会は1日、国内最古級とされる9万-5万年前(中期旧石器時代)の金取遺跡(同村)の2003、04年度の調査報告を発表、石器を作る際にできる破片(長さ5ミリ、幅6・5ミリ)が見つかったことを明らかにした。
5万年以前の石器片発見
「岩手県宮守村教育委員会は1日、国内最古級とされる9万-5万年前(中期旧石器時代)の金取遺跡(同村)の2003、04年度の調査報告を発表、石器を作る際にできる破片(長さ5ミリ、幅6・5ミリ)が見つかったことを明らかにした。
報告書などによると、調査対象は計約134平方メートルで、出土した地層は火山灰測定などから9万-5万年前。
5万-3万5000年前の地層からも同様の破片17点が発見され、いずれも別の場所の石を用いた可能性が高いという。今後は地層をはぎ取り保存する。
5万-3万5000年前の地層からも同様の破片17点が発見され、いずれも別の場所の石を用いた可能性が高いという。今後は地層をはぎ取り保存する。
金取遺跡は1984年の発掘調査で8万5000-4万年前の石器が出土。旧石器発掘捏造(ねつぞう)問題が発覚して以降、問題と無関係な遺跡として、長崎県平戸市の入口遺跡などと並び国内最古級の遺跡とされる。」
http://iseki.blog5.fc2.com/blog-date-200506.html
http://iseki.blog5.fc2.com/blog-date-200506.html
■砂原遺跡(すなばる・いせき)
※藤原事件旧石器捏造問題に関わらない遺跡
※推定12万年前の地層
※ただし評価は分かれている
「島根県出雲市多伎町の砂原遺跡で見つかった約12万年前の旧石器が、2つの地層からみつかっていたことが30日、遺跡学術調査団の調査で分かった。2つの地層は数百年の年代差があるとみられ、石器を使った人類が2時期にわたって出雲の地で生活した可能性があるという。」
「地質に詳しい成瀬敏郎・兵庫教育大名誉教授(古土壌学)によると、2層の旧石器は近接していることなどから、年代差は数百年程度とみられ、旧石器人がいったん生活して立ち去ったあと、数百年後に再び出現した可能性があるという。」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/307435/
筆者ブログで既に扱った詳細記事→http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51105829.html
※藤原事件旧石器捏造問題に関わらない遺跡
※推定12万年前の地層
※ただし評価は分かれている
「島根県出雲市多伎町の砂原遺跡で見つかった約12万年前の旧石器が、2つの地層からみつかっていたことが30日、遺跡学術調査団の調査で分かった。2つの地層は数百年の年代差があるとみられ、石器を使った人類が2時期にわたって出雲の地で生活した可能性があるという。」
「地質に詳しい成瀬敏郎・兵庫教育大名誉教授(古土壌学)によると、2層の旧石器は近接していることなどから、年代差は数百年程度とみられ、旧石器人がいったん生活して立ち去ったあと、数百年後に再び出現した可能性があるという。」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/307435/
筆者ブログで既に扱った詳細記事→http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51105829.html
■入口遺跡(いりぐち・いせき)
長崎県 平戸市山中町
※藤原事件旧石器捏造問題に関わらない遺跡
※9万年前の地層から出土
長崎県 平戸市山中町
※藤原事件旧石器捏造問題に関わらない遺跡
※9万年前の地層から出土
「遺跡は神曽根川との比高約15mの河岸段丘に比較的広範囲に分布する。1999年から2003年にかけて平戸市教育委員会によって調査が継続されており,旧石器時代の石器が多量に出土している。遺跡の堆積層は 5層に分けられ,この内 3層下部と 4層最上部に石器が集中している。3層からは,これまで報告例が無いメノウ製の石器が出土しており,年代測定の結果, 9万年前頃の数値を示しており,これまで確認できなかった中期旧石器時代の可能性が指摘されている。」
http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin_detail.php?id=3113・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私見
旧石器の判定は新石器よりも随分難しい。
私見
旧石器の判定は新石器よりも随分難しい。
新石器時代は日本では縄文時代に相当する時代であるが、その加工は一目して人工物とわかる鋭く、薄く、精緻な外見をしている。しかし旧石器ははっきりもうして素人が見てもほとんどそれと気がつかぬほど自然崩壊と差がない状態ゆえ、専門家が力説してもなかなか一般好事家は首肯しがたい部分がある。
かてて加えて、2000年に起きた藤原旧石器捏造事件以降、旧石器時代のみならず日本考古学のそれまでの調査のすべてが不信の波風にさらされている状態である。事件以後、旧石器は35000年前くらいから以降の出土物には常に不信感が伴って、考古学者自身もなかなか発表したがらないという状況になってしまった。
上記遺跡はすべてが発掘に、あの藤原某が関わっていないうえに、年代もはるかに古い時代にあたり、ふたつの遺跡は島根県、長崎県からの出土ゆえに、東北地方で起きた捏造問題とはまず関わるはずもないが、※付随させて「捏造事件に関わりない遺跡」と但し書きをつけねばならぬのが好事家としては実に悲しい。
さらにそれを意識する余り、筆者でも「本当か?」と眉につばをつけたうえでの追求をしてから記事にしなければならぬのも悲しく、深読みすれば、まだまだ考古学者たちの中にはニュース・ヴァリューを狙った売名行為もあるのではあるまいか?などといらぬ心配が必要になることもある。およそ考古学発掘のニュースは現場、マスコミ双方に、それぞれ深謀遠慮が垣間見えることも多々あり、NHKや朝日新聞などの発表に、たまさか学者、発掘当事者の発表をかなり潤色、発展させた論説や見出し記事が多いことは諸氏ご存知の通りである。すべてがウソとはいわぬまでも、せめてスポーツ紙のような「捏造」見出しだけでもやめていただきたいものだ。
同じ好事家の中には激しい論調で「そもそも考古学の発表そのものは信じてもいいのか?」とすべてを否定しようとする流れも垣間見えることがるが、それを言い出すともう歴史も考古も全否定することになり、結局何もわからなくなっていく。結果しろうとの推理推測ばかりが横行することになりかねないわけで、どれを信じるか、誰を信じるかは、その学者、研究者の人となりに頼るしかないだろう。そのためには研究書をつぶさに読んでさしあげるというファン自身の努力も充分になされなければならない。そのうえでの評価で考察すべきである。
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さて、上記三箇所の遺跡のうち、島根県砂原の12万年前石器だけが、いまだに石器としていいかどうかが決まっていないようだ。12万年前という数値は、韓国の旧石器が50万年前という最古の資料があることで見れば、それほど現実離れした数値とは言えない。ただし、韓国の数値が正しいかどうかは別問題である。そのことはいずれ書くことにする。
長崎の入口及び岩手の金取については、まず確実な資料として認めてよさそうである。
これらの石器が確かに人工物だとして、その年代はビッグバンで拡散する原人が日本にたどりつく推定4~3万年前よりの先に列島南北に人類が来ていたことになってくる。そのことはひとつ前の記事にほのめかしておいた。
これらの石器が確かに人工物だとして、その年代はビッグバンで拡散する原人が日本にたどりつく推定4~3万年前よりの先に列島南北に人類が来ていたことになってくる。そのことはひとつ前の記事にほのめかしておいた。
ビックバン以前にアジアにはジャワ原人、北京原人に進化する別系統のホモ・ハビリスの来訪があったようである。とは言っても、そのハビリスの祖先はやはりほかの主流の人類祖先同様アウストラロピテクス直系なのであるが、系統樹としてジャワ原人と北京原人の「赤い糸」はいまだに繋がっていないので、今のところ「別系統」と推測しておきたい。
もちろんわれわれがふたつの異なる移動コースのどちらの直系子孫であるかも不明である。
長崎のヒトはどうやって来たのか?
凍っていたとは言っても台湾から尖閣を北上し、沖縄本島にたどり着いても、そこから種子島あたりまでは当時でも凍らぬ海だったはずだ。あるいは朝鮮半島から対馬、壱岐を経由したと考えても対馬海峡は当時も今も急流が流れている。凍っていなければとても旧石器人には無理?出雲の12万年前という数値がここで脳裏をかすめる。たしかに後の時代でも対馬海流は時に小船を島根半島に運んでいる。そういう同じ流れだろうか?いや当時陸続きだったと考えたほうがやはりよさそうだ。当時の海岸は九州からなで肩のように日本海山陰地方まで繋がっていたのだろう。それなら充分歩いてゆけるはずだ。ただ、そうすると数値が島根のほうが長崎より古いというのは大きなネックとなる。面白い問題である。
凍っていたとは言っても台湾から尖閣を北上し、沖縄本島にたどり着いても、そこから種子島あたりまでは当時でも凍らぬ海だったはずだ。あるいは朝鮮半島から対馬、壱岐を経由したと考えても対馬海峡は当時も今も急流が流れている。凍っていなければとても旧石器人には無理?出雲の12万年前という数値がここで脳裏をかすめる。たしかに後の時代でも対馬海流は時に小船を島根半島に運んでいる。そういう同じ流れだろうか?いや当時陸続きだったと考えたほうがやはりよさそうだ。当時の海岸は九州からなで肩のように日本海山陰地方まで繋がっていたのだろう。それなら充分歩いてゆけるはずだ。ただ、そうすると数値が島根のほうが長崎より古いというのは大きなネックとなる。面白い問題である。
しかし、歴史は何が起きても不思議はないことも、事実。小説より奇なり。
■追補
東京都小金井市中山谷(なかやだに)遺跡周辺の武蔵野台地X地層からは多くの3万5000~4万年前の旧石器が出る。
これらはビッグバンからの流れでやってきた人々の痕跡。
東京都小金井市中山谷(なかやだに)遺跡周辺の武蔵野台地X地層からは多くの3万5000~4万年前の旧石器が出る。
これらはビッグバンからの流れでやってきた人々の痕跡。
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コメント
コメント一覧 (1)
海岸線にあれば
ひとがすまない理由が無いですすねー
傑作&ランクリ
kawakatu
が
しました