都の西北・・・と書くと早稲田大学(バカ田大学はバカボンパパの出身校)か、と問われそうだが、記事の都とは京都のことで、その西北には愛宕山がある。低い山だが火の神カグツチが若宮に祀られている。
(本宮はイザナミ命)
(本宮はイザナミ命)
愛宕は昔の郡名で、その場合「おたぎ・の・こおり」と読まれていた。
「おたぎ」がやがて「あつご(熱子)」とか「あだご(仇子)」と変化したのは火=熱いからの民間の着想だったのだろう。そもそも「おたぎ」とは「御薪」で、「おんたきぎ」がつづまった地名である。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/52167493.html
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高い山でもないが(924M)比叡山に対面し、朝日ノ峰・大鷲ノ峰・高雄山・竜上山(たつがみやま)・鎌倉山の五つの峰からなる連山の総称である。このうち愛宕神社は朝日ノ峰頂上に鎮座している。
愛宕さんは、落語にも頻繁に出てきて、民衆に息づく信仰を受けて来たことが見て取れる。
愛宕山坂 ええ坂 二十五丁目の 茶屋のかか・・・
(愛宕山は二十五丁あってそこに本殿があり茶屋のかか=おかみがいた)
(愛宕山は二十五丁あってそこに本殿があり茶屋のかか=おかみがいた)
という奴だ。大阪から出てきた幇間の二人が、京のお大尽や舞妓たちとともに愛宕参りに行く噺は、頂上でかわらけ投げをやっているうちに興が乗りすぎ、お大尽に小判を崖下にばらまかせ、もったいないと幇間のイッパチがそれを拾いに飛び降りる。しかし今度はどうやって上がってくるのかと聞かれて、そばにあった竹林の竹に自分をゆわえつけ、しなりを利して一気に崖の上に戻ったはいいが、肝心の小判を全部置き忘れてくるというもの。
この噺の中に、崖下へ降りる「苔道」なるものがあるという話が、茶店の老婆によって語られるシーンがある。その苔の生えた道というのが、想像するに多分、愛宕山山麓に大昔からある化野(あだしの)念仏寺へ通じているのではなかろうか?清滝へ通ずる「試みの坂」(試峠)の一部かも知れない。学生時代には昼夜よくドライブしたが、清滝も化野も実に道が細かった。トンネルも狭く、中は母の産道のごとしで不気味だったことを覚えている。今は道もよくなっただろう。
化野は平安時代から霊魂の集まる場所として、無数の無縁仏が祀られて来た。すなわち霊地である。
有名な『太平記』の崇徳上皇、源為朝、鳥羽院たちの霊魂・怨霊が集会を開いて朝廷転覆をひそかに画策したのが、ここ化野である。そもそも愛宕山には大天狗と呼ばれた怪僧・愛宕権現太郎坊という空海の弟子にあたる人物が祀られているからだろう。
有名な『太平記』の崇徳上皇、源為朝、鳥羽院たちの霊魂・怨霊が集会を開いて朝廷転覆をひそかに画策したのが、ここ化野である。そもそも愛宕山には大天狗と呼ばれた怪僧・愛宕権現太郎坊という空海の弟子にあたる人物が祀られているからだろう。
京都三大天狗のひとりである。え、知らない?
京都三大天狗というのは愛宕権現太郎坊、鞍馬山僧正坊、比叡山次郎坊(のちに比良山次郎坊)の三人。日本大天狗もある。こちらは京都の三天狗をひとつに数え、四国の白峰相模坊、九州は英彦山豊前坊、そして役行者の供として名高い大峰前鬼坊を言う。愛宕山の開山はこの役行者の手になるとも、あるいは白山開基した秦泰澄(はたの・たいちょう)とも言われる。愛宕神社を建てたのは、あの和気清麻呂である。
京都三大天狗というのは愛宕権現太郎坊、鞍馬山僧正坊、比叡山次郎坊(のちに比良山次郎坊)の三人。日本大天狗もある。こちらは京都の三天狗をひとつに数え、四国の白峰相模坊、九州は英彦山豊前坊、そして役行者の供として名高い大峰前鬼坊を言う。愛宕山の開山はこの役行者の手になるとも、あるいは白山開基した秦泰澄(はたの・たいちょう)とも言われる。愛宕神社を建てたのは、あの和気清麻呂である。
つまり全員が役行者(役の小角)の弟子たちである。葛城修験道の行者ということになるから、天狗の正体はどうもやはり修験者であるようだ。怨霊と言えば菅原道真を祭る北野天満宮の北西にも天狗山という山がある。京都人は天狗が大好きである。崇徳院もまた自ら「大天狗」になると宣言している。
愛宕山は「千日詣」という行事があるが、これが夜中に登るという変わった趣向になっている。七月三十一日深夜。
火の神が祀られるだけに、ここの火の用心のお札にはご利益があるそうで、京の町屋の台所にはみな、「阿多古祀符 火廼要慎(あたごきふ ひのようじん)」のお札が貼られている。
火の神が祀られるだけに、ここの火の用心のお札にはご利益があるそうで、京の町屋の台所にはみな、「阿多古祀符 火廼要慎(あたごきふ ひのようじん)」のお札が貼られている。
話は違うが、対面する京北町方面には、弓削道鏡を出す弓削がある。もしかすると和気清麻呂も道鏡封じを意識して、最初に平安京建設のときから愛宕山に神社をと考えていたのかも知れぬ。
『宇治拾遺』に面白い話がある。
「清徳聖奇特事(せいとくひじりきどくのこと)」という。
母を亡くした清徳聖という人が、母の遺体を愛宕山の頂上に運び、三年間、不眠不休で千手陀羅尼を唱え続け、見事に母を成仏させたあと、そこに卒塔婆をたてて去ったという話である。しかし聖の肩にはたくさんの愛宕山の死霊たちが憑依り付いていたという。
「清徳聖奇特事(せいとくひじりきどくのこと)」という。
母を亡くした清徳聖という人が、母の遺体を愛宕山の頂上に運び、三年間、不眠不休で千手陀羅尼を唱え続け、見事に母を成仏させたあと、そこに卒塔婆をたてて去ったという話である。しかし聖の肩にはたくさんの愛宕山の死霊たちが憑依り付いていたという。
化野にはいつの頃からか、すでに放置遺体がごろごろしていたそうである。寺はそれらの遺棄死体の霊魂をなぐさめるためにあとから建てられたが、無数の「うばすて」「子捨て」「殺人遺体遺棄」が古代から愛宕山全体に行われていたことは間違いないようだ。
考えてみればイザナミもカグツチも黄泉の国の住人となる神である。そしてこの神々は多く、修験や鍛治の神としても崇められてきた。乾(戌亥)の方角とは金気の方位でもある。つまり鉱山師や鍛治屋たちはもともと北西を聖なる方位であると考えてきた。その彼ら自身が、平地の里の人から見たら「鬼」だったわけであるから、谷川健一の言う「鍛治屋」もそもそも渡来技術者であり、被差別民であり、すなわち鬼とされる存在だったわけである。化野の打ち捨てられた遺棄死体の中にも、きっと落盤で死んだ渡来人たちのむくろが含まれていたのだろう。そう、つまり秦氏の部下だった人々の・・・。
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