『伊勢物語』第六段
「芥川」

昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて 盗みいでて、いと暗きに来けり。

芥川といふ川を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、 「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。

行く先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる 倉に、女をば奥に押

し入れて、男、弓・胡籙 を負ひて戸口にをり、はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。
 
「あなや。」

と言ひけれど、神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば率て 来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

 白玉か何ぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを


※胡籙 ・・・ここでは「やなぐい」と読ませているが、「ころく」(靫。弓矢を入れて背負う道具)のこと。http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51863156.html



簡単に言えばこれは禁断の略奪愛の逃避行である。

男は弓矢を背負っているところを見ると都の武家の若武者か・・・(伊勢物語の主人公は在原業平であるが、これもそうなのか、あるいは耳にしたエピソードだったのか?)
すると様子から見て、相手はやんごとなき姫君だろうか・・・
解説ではそれどころかどうやら天皇の許婚だったらしいと蔵田敏明は解釈している。
だとすれば主人公は業平クラスでなければならなくなる・・・。
朱雀門を出て、逃げ行く先は都を南西に行った先の天王山の向こう側にある芥川。
草露がひかりかがやくのを見て姫が聞く。
「あれは何?」
この「かれは何ぞ」という状態が黄昏(誰そ彼)、彼誰(かわたれ)時であることを示すのである。いわゆる「逢う魔ヶ時(おうまがどき)」。
文学的に言うなら業平の真骨頂はこういうところにひかる。
世間知らずの姫君はおそらくか細い声を、はじめての野外の夜の恐さに打ち震わせながらやっとの思い出声にしたのだろう。
それを感じ取った男は、雨の夜のこととて、とりあえず倉に女を押し隠し、外の追っ手のないことを確かめる。
倉の中・・・そこに鬼がいた。
「ああ!!」
思わず声を発したが、雨音で男は気付かない。
あっというまに鬼は女を一口に食らってしまう。
男が中に入ると、そこには姫も鬼もいなかった・・・。

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現在、この南西の裏鬼門ライン上には、ちょうど阪急電車京都線とJR新幹線、JR東海道線が走っている。
都から天王山を抜ける東海道こそが裏鬼門の道である。
そして鬼が芥川にいたという事は、そこが鬼門を出てすぐの場所だということになろう。


阪急電車開業前、大山崎や天王山、水無瀬川と起伏に富んだ摂津の地形が、路線の延長を困難にしていた。当初は芥川がある高槻市~西院間だけの開業だった(昭和3年)。往古の平安京西部から南部は、それこそ都人から見れば地の果て、黄泉の国であろう。
その西院(さい)駅前には高山寺が置かれており、賽の河原の旧跡が残されている。そういう地獄の一丁目のような魔界の入り口だった。もとは淳和天皇の離宮があった場所でもある。

「この世とあの世の別れの場、ひとつの境界線が西院にあったと思われる」(蔵田)

阪急電鉄はその後、昭和天皇即位大典に間に合わせて急遽四条川原町まで線をのばす。しかし当然住宅が密集していたために、やむなく関西初の地下鉄路線を掘ることになった。裏鬼門からいよいよ都の中心部へ乗り入れようとしたが、結局地下=黄泉を走ることになったのである。

このように平安時代には摂津の芥川、天王山、西院までは鬼が出てもおかしくない鬼門だったことがわかる。

ちなみに筆者が京都で知ったエピソードをいくつか挿入しておこう。
大山崎の水瀬川は和歌、百人一首にも扱われている場所であるが、百人一首は悲運の死を遂げた親王の和歌を要所要所に配してある。編纂者藤原定家は百人一首の和歌ひとつひとつの場所を一幅の絵になるように配置し、番号をふったと言われ、水無瀬は最終目的地だとも言われている。定家は水無瀬川を死霊の行き着く先であると考え、そこでゆえならぬ死を向かえねばならなかった貴種たちの怨霊が解放されるのだと考えていたのだとも言う。水無瀬に境界線を感じた人もいたのだ。
http://6126.teacup.com/kawakatu/bbs/27

天王山トンネルがかつては事故のメッカだったことはよく知られている。そして天王山と言えば明智光秀最期の場所でもある。

天王山の京都側は山城国乙訓郡である。平安京の前の都・長岡京がここにあった。そして継体天皇の弟国宮もここにあった。
継体の宮は、不思議なえにしだが、南東の木津川沿いにも山背宮があった。仏法、神道双方の鬼門に、なぜか宮を持ったのが継体大王である。
長岡京はわずか10年の命だったわけだが、その終焉の鍵は呪詛だったと言われる。長岡京のはじ、大山崎と男山が見えるあたりの淀川沿いに大量の人面土器が出ることはすでに書いた。
http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/406.html






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