いつまでも夏が続く。
いましばらく涼を求めて恠異について。
恠異の本場、京都の鬼門を解体してみよう。
いましばらく涼を求めて恠異について。
恠異の本場、京都の鬼門を解体してみよう。
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■四神相応・風水合致
仏教の考える鬼門が北東にあること、それ以前は北西だったということを以前書いた。
しかし京都ほどの歴史を持つ都市、それも最初から怨霊回避を意識して作られた平安京ほど鬼門を四方八方にめぐらす場所はない。
しかし京都ほどの歴史を持つ都市、それも最初から怨霊回避を意識して作られた平安京ほど鬼門を四方八方にめぐらす場所はない。
南西の天王山方面は京都の裏鬼門と言われ、特に位置を特定するならば高槻市を流れる芥川(あくたがわ)がピンポイントで指摘できるそうである。芥川のことはいずれ書こうと思う。
今回はまず仏法における鬼門、北東の怨霊退散ラインを扱ってみよう。
比叡山・・・。
平安京御所の「艮=うしとら」に位置し、最澄が比叡山を開く前から比叡山は山背の鬼門であった。
この「やましろ」という地名を、今の「山城」に変えたのは言わずと知れた怨霊厭忌の天皇・桓武さんである。理由は周囲を風水にふさわしい山々に囲まれていたからだ。それまでやましろは大和から見て、「山の背後」の盆地でしかなかった「山背」と表記されていた。蘇我一族、長屋王、早良親王などなどの怨霊にさいなまれる古き陰謀の都・南都を立ち退き、桓武は怨霊の入り込む余地なき山城に囲まれた平安京を定住の場所と決めたのである。
平安京御所の「艮=うしとら」に位置し、最澄が比叡山を開く前から比叡山は山背の鬼門であった。
この「やましろ」という地名を、今の「山城」に変えたのは言わずと知れた怨霊厭忌の天皇・桓武さんである。理由は周囲を風水にふさわしい山々に囲まれていたからだ。それまでやましろは大和から見て、「山の背後」の盆地でしかなかった「山背」と表記されていた。蘇我一族、長屋王、早良親王などなどの怨霊にさいなまれる古き陰謀の都・南都を立ち退き、桓武は怨霊の入り込む余地なき山城に囲まれた平安京を定住の場所と決めたのである。
『日本紀略』延暦十四年
「此の国、山河襟帯、自然に城をなす。かれこの形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改めて山城国となすべし」
「此の国、山河襟帯、自然に城をなす。かれこの形勝によりて新号を制すべし。よろしく山背国を改めて山城国となすべし」
東西北を山塊に囲まれ、天子が向くべき南が開けた陰陽に合致した地形。
北に船岡山(玄武)、南に巨椋池(朱雀)、東に鴨川(青龍)、西に松尾山(白虎)を置く四神相応の土地。
北に船岡山(玄武)、南に巨椋池(朱雀)、東に鴨川(青龍)、西に松尾山(白虎)を置く四神相応の土地。
■鬼には猿
ここまではどなたでもご存知の京都である。
そして艮には比叡山。
乾(いぬい=北西)には愛宕山。
さらに坤=未申=南西には天王山(裏鬼門)。
巽=辰巳=南東には宇治・木津川
このそれぞれがみな鬼門となっている。
そして艮には比叡山。
乾(いぬい=北西)には愛宕山。
さらに坤=未申=南西には天王山(裏鬼門)。
巽=辰巳=南東には宇治・木津川
このそれぞれがみな鬼門となっている。
平安宮・・・今の御所を造営するときから、すでに御所の北東・ウシトラ方角には比叡山があった。御所の北東角は鍵型にえぐられて造営された。これを「猿ヶ辻」と呼ぶ。
「京都御所北東角。築地塀の切込みがある辺りを猿ケ辻という。
ここが1863年5月姉小路公知が暗殺された「猿ケ辻の変」の現場である。
ここが1863年5月姉小路公知が暗殺された「猿ケ辻の変」の現場である。
京都御所の北西=鬼門を守っているのが日吉山王神社の使者である猿。
屋根裏を見上げれば烏帽子をかぶり白い御幣を担いだ姿が見られる。
屋根裏を見上げれば烏帽子をかぶり白い御幣を担いだ姿が見られる。
しかし、守り神は金網に覆われている。
というのも夜になるとこの付近をうろついていたずらを繰り返したからだそうだ。
というのも夜になるとこの付近をうろついていたずらを繰り返したからだそうだ。
なんともやんちゃなお猿さんは、御所の先の幸神社、比叡山の麓の赤山禅院の
猿と一緒に、京の鬼門から邪気が入らぬよう今日も守ってくれている。」
http://tabitano.main.jp/7gosyo4.html
※この引用文の「北西=鬼門」というのは「北東」の間違いだわ。筆者と同じような間違いをしているなあ。しかしこれトラベルサイトの文章だから、見る人多いだろうにねえ。
猿と一緒に、京の鬼門から邪気が入らぬよう今日も守ってくれている。」
http://tabitano.main.jp/7gosyo4.html
※この引用文の「北西=鬼門」というのは「北東」の間違いだわ。筆者と同じような間違いをしているなあ。しかしこれトラベルサイトの文章だから、見る人多いだろうにねえ。
このようにうしとら方角に置かれる猿像は実はこれだけではなく、比叡山~御所猿ヶ辻のライン上におびただしく置かれている。
先に申し上げたようにこの猿を鬼門に置くのは、鬼が去るという言霊信仰である。
このことから「鬼には猿」が定番だったことをまず知っておきたい。
このことから「鬼には猿」が定番だったことをまず知っておきたい。
■赤山禅院
赤山禅院とは中国の泰山にある星の神である泰山府君=赤山明神を祀る。
泰山府君と言えば七福神のひとり福禄寿を指している。
この神仙は人の寿命を司る。
建立は慈覚大師である。中国から帰国するとき船が大嵐にあい、転覆しそうになったときに赤い衣姿に白羽の矢を背負った赤山明神が出現し、難を逃れたことから慈覚大師が比叡山の西の麓に禅寺を勧請したいと願い出て許されたいわれがある。
赤山禅院とは中国の泰山にある星の神である泰山府君=赤山明神を祀る。
泰山府君と言えば七福神のひとり福禄寿を指している。
この神仙は人の寿命を司る。
建立は慈覚大師である。中国から帰国するとき船が大嵐にあい、転覆しそうになったときに赤い衣姿に白羽の矢を背負った赤山明神が出現し、難を逃れたことから慈覚大師が比叡山の西の麓に禅寺を勧請したいと願い出て許されたいわれがある。
ここの猿は右手に幣串、左手に神鈴を持って屋根の上の金網の中に納まっている。
幣で都を守護し、鈴をかき鳴らして怨霊や鬼を退散させる。
その向きはもちろん都の方角を向く。
そしてこの猿はそもそもは比叡山の日吉神社の神の使いであった。
幣で都を守護し、鈴をかき鳴らして怨霊や鬼を退散させる。
その向きはもちろん都の方角を向く。
そしてこの猿はそもそもは比叡山の日吉神社の神の使いであった。
■日吉神社
ひよし・じんじゃ
比叡山延暦寺に仏法が入るまで、比叡山は日枝(ひえ)の神である日吉神社によって守護されていた。
その神の使いが猿であった。赤山禅院の猿はもともとここから出ている鬼門封じの魔よけだったのである。ということは日吉とは猿に縁が深い。
ひよし・じんじゃ
比叡山延暦寺に仏法が入るまで、比叡山は日枝(ひえ)の神である日吉神社によって守護されていた。
その神の使いが猿であった。赤山禅院の猿はもともとここから出ている鬼門封じの魔よけだったのである。ということは日吉とは猿に縁が深い。
日枝信仰とは当然、比叡山を昔から信仰対象にしていたということであるが、「ひえ」ではややゲンが悪いので「ひよし」となる。
■さて、ここで思い出すのが日吉丸・・・豊臣秀吉だろう。あまりにもできすぎているが日吉丸は生まれたときから日輪の子とされ、ゆえに日吉を名にしてもらうのだが、それが猿そっくりの相貌だったとなっている。
当然、これらは作り話である。
信長という鬼神のような恐ろしい軍神がいたからこそ、その相方に猿に似た鬼を抑える役として日吉丸が出現する。典型的な軍記説話である。
秀吉の特異な風貌は、猿に似ていたことよりもむしろ、ほとんど記録に残されていない六本指の方がよほど衝撃的である。六本の指があるなどということは事実だとしても、どっちにせよ彼は非凡な英雄であるし、信長が軍神なら秀吉は異形の英雄だという書き方で構成されたことのあかしと言えよう。
軍記はここにさらに猿の友人として前田犬千代を押し込み、犬猿が仲良いという、これまた常識はずれな話を作っている。実に手の込んだお話である。
軍記はここにさらに猿の友人として前田犬千代を押し込み、犬猿が仲良いという、これまた常識はずれな話を作っている。実に手の込んだお話である。
そんなものはウソに決まっているのだが、国民は400年以上、いまだにそれらを信じ込んでいて、国営放送でさえそのまんま「歴史ドラマ」に仕立てていて何も疑わない。大嘘をついて国民に時代劇を歴史劇だと言っている。
ちょっと考えればすぐに気がつくような出来すぎ君話なのに、誰も気がつかないで来た。そもそもが軍記のウソ、それを小説にしたてる作家のウソ、テレビもその時代考証もまったく騙され続けている結果なのである。
ちょっと考えればすぐに気がつくような出来すぎ君話なのに、誰も気がつかないで来た。そもそもが軍記のウソ、それを小説にしたてる作家のウソ、テレビもその時代考証もまったく騙され続けている結果なのである。
■幸神社
これはあまり知られてはいないだろうが、ここにも猿が置かれている。
延暦十五年と言うから、この神社の創建は平安京建都のわずか二年目にすでに幸神社は完成していたことになる。
ここの猿は同じ猿でも猿田彦神である。
これはあまり知られてはいないだろうが、ここにも猿が置かれている。
延暦十五年と言うから、この神社の創建は平安京建都のわずか二年目にすでに幸神社は完成していたことになる。
ここの猿は同じ猿でも猿田彦神である。
伊勢の地主神で、先住民の神。天孫を案内して、芸能の女神・アメノウズメを妻にした、あの猿田彦がなぜか京都にいる。御所の北東少しいったところにひっそりと鎮座し、地元では縁結びの神として静かに祀られてきた。
以上、平安京と猿と鬼門の関係であるが、これらの猿はみな、北東の鬼、御霊、怨霊をふさぐための塞の神ということになる。軍記がことごとくウソであることは、これからおいおい証明されてゆくだろう。すでにいくつかのウソが一般の耳目に届くようになっている。そのうち常識は全部覆ることはまず間違いなかろう。
騙されてきたと書いたが、本当はそうではあるまい。
それもまた「言ってはならぬ」言霊のせいだろう。
それもまた「言ってはならぬ」言霊のせいだろう。
昨今は、ネット上に「言ってはならぬ」ことを書くと、報復があることがある。あたかも作者が「ない」と言った怨霊に擬態して、ウイルスなどを送り込んだりしてみるのがたまさかいる。けれどそれも実は「言霊」に反していて、いずれ彼らも同じ目にあったりする。これが言霊の「やったものは無関係な誰かにやりかえされる」という、いわば途切れない不幸の連鎖の一環なので、これまた日本の歴史の一部だといえようか。そういうことなので、なかなか日本の常識のウソは変わらずにやってこれたのだろう。だから本当に恐いのはいないはずの霊魂なのではなくって、人間の成せる業の方なのだ。
次回は北西。
なにゆえに愛宕山の下に化野(あだしの)はあるの?
なにゆえに愛宕山の下に化野(あだしの)はあるの?
参考文献 蔵田敏明『京都・魔界への招待』淡交社 2009
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