「勝扇子(かちおうぎ)」は、昭和二年六月、故三田村鳶魚翁の校訂で、「未刊随筆百種」巻三に収載された。」
詳細→http://accord.at.infoseek.co.jp/BIGLOBE/SANKA/nip08766.htm
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勝扇子事件の詳細は民俗学者・諏訪春雄氏のサイトに掲載がある。
以下、事件詳細部分だけを拝借して掲載する。
■「2 「勝扇子」事件」
「歌舞伎が賤民とふかい関りをもっていいた事実はよく知られている。関りをもっただけにとどまらず、河原者とか河原乞食とかよばれて、歌舞伎関係者自身が賤民視されていた。
宝永五年(一七〇八)に、京の四条河原のからくり師小林新介が、歌舞伎芝居と操り芝居の興行権をめぐって関東のえた頭の矢野弾左衛門とあらそい、法廷で勝訴となった事件は、当時の芝居関係者をひどくよろこばせた。二代目の市川団十郎は、この事件の顛末をしるした文章に「勝扇子(かちおうぎ)」と題をつけて秘蔵し、のちにつたえたので、一般に「勝扇子」事件とよばれている。
『未刊随筆百種第二巻』(吉川弘文館)にのせられている「勝扇子」の文については、すでに故盛田嘉徳氏にくわしい考証がある(『中世賤民と雑芸能の研究』雄山閣、一九七四年)。重要な文章であるので、もう一度、私なりの整理をくわえて、この事件の経過を紹介しておく。
宝永五年閏正月、京の四条河原のからくり興行師小林新助は、江戸堺町の浄瑠璃太夫薩摩小源太をはじめ二十二人の人形遣いをひきつれて、房州の正木村で操り芝居を興行し、つづけて館山のさなぐら村へ移動して人形芝居を上演していた。
その興行中のことであった。関東のえた頭矢野弾左衛門の手代の革買い治兵衛という者が、自分たちに無断で芝居を興行していることに苦情を申し入れてきた。その話し合いがまだ決着しないうちに、小林新介は、つづいておなじ房州の丸之内薄谷村へうつり、三月九日からあたらしく芝居をはじめた。翌十日、安房・上総・下総三国のえた三百人ほどが、革買い治兵衛らの指図で芝居へおしよせ、小屋をつぶしてしまった。
仕方なく江戸へひきあげた小林新助らは町奉行所へうったえでて、法廷であらそうことになった。
三月二十一日、訴訟人の浄瑠璃太夫薩摩小源太と同頭取の栗島三左衛門らは、月番奉行坪内能登守の調べをうけ、矢野弾左衛門、手代治兵衛、房州えた頭庄兵衛、同善兵衛らと対決した。
はじめ、奉行所は、江戸堺町・木挽町の四座は別として、旅芝居は弾左衛門の支配をうけるという和解案をしめして解決しようとしたが、小林新助が自分から奉行所に出頭して、おおよそつぎのような申し立てをした。
宝永五年(一七〇八)に、京の四条河原のからくり師小林新介が、歌舞伎芝居と操り芝居の興行権をめぐって関東のえた頭の矢野弾左衛門とあらそい、法廷で勝訴となった事件は、当時の芝居関係者をひどくよろこばせた。二代目の市川団十郎は、この事件の顛末をしるした文章に「勝扇子(かちおうぎ)」と題をつけて秘蔵し、のちにつたえたので、一般に「勝扇子」事件とよばれている。
『未刊随筆百種第二巻』(吉川弘文館)にのせられている「勝扇子」の文については、すでに故盛田嘉徳氏にくわしい考証がある(『中世賤民と雑芸能の研究』雄山閣、一九七四年)。重要な文章であるので、もう一度、私なりの整理をくわえて、この事件の経過を紹介しておく。
宝永五年閏正月、京の四条河原のからくり興行師小林新助は、江戸堺町の浄瑠璃太夫薩摩小源太をはじめ二十二人の人形遣いをひきつれて、房州の正木村で操り芝居を興行し、つづけて館山のさなぐら村へ移動して人形芝居を上演していた。
その興行中のことであった。関東のえた頭矢野弾左衛門の手代の革買い治兵衛という者が、自分たちに無断で芝居を興行していることに苦情を申し入れてきた。その話し合いがまだ決着しないうちに、小林新介は、つづいておなじ房州の丸之内薄谷村へうつり、三月九日からあたらしく芝居をはじめた。翌十日、安房・上総・下総三国のえた三百人ほどが、革買い治兵衛らの指図で芝居へおしよせ、小屋をつぶしてしまった。
仕方なく江戸へひきあげた小林新助らは町奉行所へうったえでて、法廷であらそうことになった。
三月二十一日、訴訟人の浄瑠璃太夫薩摩小源太と同頭取の栗島三左衛門らは、月番奉行坪内能登守の調べをうけ、矢野弾左衛門、手代治兵衛、房州えた頭庄兵衛、同善兵衛らと対決した。
はじめ、奉行所は、江戸堺町・木挽町の四座は別として、旅芝居は弾左衛門の支配をうけるという和解案をしめして解決しようとしたが、小林新助が自分から奉行所に出頭して、おおよそつぎのような申し立てをした。
自分はもともと京でからくりの修行を積んだ者で、御所へも出入りし、歌舞伎や操り人形芝居へも出演しているが、芝居興行については素人であり、江戸へはじめてくだってきて、矢野弾左衛門の支配をうける理由はない。
役者は旅芝居で稽古を積み、江戸、京、大坂の芝居にも出るのであって、旅芝居と堺町・木挽町の四座を区別することはできない。
旅芝居が弾左衛門の支配下にあるという証拠をしめしていただきたい。
これにたいし、弾左衛門は、歌舞伎や操りの芝居がえた頭の支配をうけた例は数多いとして、つぎのような例をあげて、小林新助に反論した。
江戸の小塚原で、結城武蔵太夫が浄瑠璃芝居を興行したときに、一斗樽に鳥目一貫文、入札百五十枚をよこした。また、千住で和泉太夫の浄瑠璃芝居がおこなわれたときには、酒樽と入場札をくれた。浅草観音境内で、結城孫三郎と虎屋喜元の人形芝居がおこなわれたときにも入場札を百五十枚よこおした。そのときの包紙の表書きには、虎屋喜元・結城孫三郎両人の太夫名と、座元の木曾山金兵衛の名がしるされてあったなどとのべたてた。
この弾左衛門の主張によって、ここで名前の出た結城武蔵太夫以下の関係者がよばれて証言をもとめられたが、「まったく私は知りません」(和泉太夫)、「もともと私は弾左衛門とは知合いではなく、入場札をわたしたなどということございません」(木曾山金兵衛)などと、ぬらりくらりといいぬける共同戦線を張った。
また、小林新助は、京都の歴史と地理の案内書『雍州府志』を引用して、歌舞伎は名護屋三左衛門の妻の国がはじめて出雲の神楽のまねをしてはじめ、いま歌舞伎神楽といい、浄瑠璃は、治郎兵衛という者が、はじめて名誉な官職名をもらって河内大目といい、そののち、宮内、左内も名誉な官職名をもらっており、えた支配などということはなんの根拠もないとつよく主張した。
彼らの主張が、奉行にうけいれられ、ついに弾左衛門側の敗訴となった。芝居打ちこわしの直接責任者として革買い治兵衛、房州えた頭の庄兵衛と善兵衛らは遠島に処せられ、弾左衛門は、京、江戸、大坂の三か所の奉行へ三通の始末書を提出させられた。」
「諏訪春雄通信117」 http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f12/suwa117.htm
「諏訪春雄通信117」 http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f12/suwa117.htm
この事件の意味合いを諏訪はこう分析している。
「「勝扇子」事件では賤民側は敗訴になったが、えた頭の矢野弾左衛門とその配下の者たちが、歌舞伎や操りなどの芸能者たちを支配してきたと主張したことには、それらなりの根拠があった。
「「勝扇子」事件では賤民側は敗訴になったが、えた頭の矢野弾左衛門とその配下の者たちが、歌舞伎や操りなどの芸能者たちを支配してきたと主張したことには、それらなりの根拠があった。
中世末から近世のはじめにかけて形成された諸芸能は、河原で生まれ、河原でそだてられたものがほとんどであり、その関係者はひろい意味で河原者のなかにふくめてかんがえられていた。したがってその興行に賤民が関与していた例は多いし、賤民の側は、事あるごとに歌舞伎や操りをふくめた芸能の支配権を主張してきた。そして、幕府も、宝永の「勝扇子」事件がおこるまでは、そうした賤民側を支持してきた。」
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この問題は昨今の相撲界賭博事件などとも大きく関わることだろう。
つまり歴史的に興行と芸能・スポーツはそもそも「同じ穴」に存在していたということになるのであろうが、実は、これが示唆している問題は、そのような世俗的なものにとどまらないのである。
つまり歴史的に興行と芸能・スポーツはそもそも「同じ穴」に存在していたということになるのであろうが、実は、これが示唆している問題は、そのような世俗的なものにとどまらないのである。
『学校』という恠異譚を蒐集した著作の中で、作者松谷みよ子が以下のような、関西で聞いた行基話を紹介している。
http://books.google.co.jp/books?id=cuKOW0DoO9oC&pg=PA137&lpg=PA137&dq=%E6%9D%BE%E8%B0%B7%E3%81%BF%E3%82%88%E5%AD%90%E3%80%80%E8%A1%8C%E5%9F%BA%E3%80%80%E5%9C%9F%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%BD%A2&source=bl&ots=T96LVNlyyb&sig=Hk2YTC-cmvjEaBZZFxk9vnkwgXI&hl=ja&ei=B6uBTJC1NcWXceulua8L&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCYQ6AEwAA#v=onepage&q&f=false
http://books.google.co.jp/books?id=cuKOW0DoO9oC&pg=PA137&lpg=PA137&dq=%E6%9D%BE%E8%B0%B7%E3%81%BF%E3%82%88%E5%AD%90%E3%80%80%E8%A1%8C%E5%9F%BA%E3%80%80%E5%9C%9F%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%BD%A2&source=bl&ots=T96LVNlyyb&sig=Hk2YTC-cmvjEaBZZFxk9vnkwgXI&hl=ja&ei=B6uBTJC1NcWXceulua8L&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCYQ6AEwAA#v=onepage&q&f=false
簡単に書けば、
関西のある池は行基が掘ったと言伝えがあり、地元の老翁の話では、行基は土で作った人形を駆使して工事したというもの。それ自体が一個の民間説話として独立可能だが、これとよく似た話は各地にあって、例えば大工がワラから人夫を作って命を吹き込み、それがやがて河童になったなどの類型jがあるが、この翁の話はそれだけで終らないのである。
関西のある池は行基が掘ったと言伝えがあり、地元の老翁の話では、行基は土で作った人形を駆使して工事したというもの。それ自体が一個の民間説話として独立可能だが、これとよく似た話は各地にあって、例えば大工がワラから人夫を作って命を吹き込み、それがやがて河童になったなどの類型jがあるが、この翁の話はそれだけで終らないのである。
工事中、周辺の村々から娘たちが出て、工事人夫たちにお茶汲みをする競争をしたという。この競争で勝った娘に、褒美はなにがいいかと聞くと、娘は「この池が欲しい」と言ったが、そりゃあ無理だと言われると、娘は池に飛び込み大蛇になった。
一方負けた娘たちは悔しがって火の玉になり、「それ、今あなたが立っているその土手をごろごろ、行基のいる寺へむかって寺を焼こう焼こうと言いながら転がっていったんやがな・・・」という応報譚に変化してしまうのである。
しかも松谷はそのあとで、その土人形の子孫が今もなおこの周辺に住んでいて、しかも一種の差別を受けて生きてきたことを知るのである。
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大工、工事職人、匠、杣・番匠(そま・ばんじょう、いわゆる木屋)、鳶、芸能民・・・いわゆる渡来系工人などがワラや土から作られ、やがて妖怪となり、差別される・・・・要するに話の根幹に職能民=被差別=妖怪という観念の歴史が存在する。
簡単に言えば渡来系から工人、技術者、科学者、芸能民、神相撲者、くぐつ民などが派生し、それが同じ渡来の血脈にある聖者(この場合は行基のこと。行基は百済の王族の血を引くと言われる)によって生み出され(=どこから出てきたか分からぬ=出自も言葉も不明・・・つまり外国人で鬼)、こきつかわれて、立派な国家的事業をなしえるのだが、結局、名誉は聖者だけのものとなり、職能民は村に残され差別されながら生きてゆく・・・そういう因果が娘たちが妖怪変化になったからであると決め付けられて、転化されるのである。
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芸能界と職能民、あるいは相撲取りなどは、一見、なんの脈絡もなく存在してきたように思うのだが、実はこのようにある歴史的線分によって繋がるということが手に取るようにわかるのである。
そして彼らを為政者側が利用してきたことも勝扇子からは見て取れる。
それは国家事業のみならず、犯罪の増加を防ぐ役割もあった。ゆえに為政者は影で彼らを許容し、ある場合にはむしろ保護し、彼らが天皇の別種であるとか、貴種から生まれたとかいう伝承を言うこともある程度許可し、しかしながら現実では、村民からは差別され、鬼、妖怪に転化され、3Kな仕事ばかりに駆り出されたわけである。戸籍を持たされず、おそらくは家が持つ奴婢や家人、時には牛馬家畜以下の無存在だったはずである。
それは国家事業のみならず、犯罪の増加を防ぐ役割もあった。ゆえに為政者は影で彼らを許容し、ある場合にはむしろ保護し、彼らが天皇の別種であるとか、貴種から生まれたとかいう伝承を言うこともある程度許可し、しかしながら現実では、村民からは差別され、鬼、妖怪に転化され、3Kな仕事ばかりに駆り出されたわけである。戸籍を持たされず、おそらくは家が持つ奴婢や家人、時には牛馬家畜以下の無存在だったはずである。
存在がないのだ。
おそらく世界にこれ以下の扱いを受けた人間はいないのではあるまいか?
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