■「口+急」急如律令
古くは中国漢代の官僚たちの書類の最後に書かれる言葉
日本では藤原宮跡などから多々出土する木簡に書かれる呪符であるとされる
古くは中国漢代の官僚たちの書類の最後に書かれる言葉
日本では藤原宮跡などから多々出土する木簡に書かれる呪符であるとされる
■「きゅうきゅうにょりつりょう」の意味
漢代におけるもともとの意味は「早急にこの案件に対処されたし」という他愛ない指示を意味しており、形式的なものである。
漢代におけるもともとの意味は「早急にこの案件に対処されたし」という他愛ない指示を意味しており、形式的なものである。
■これが日本で呪符の言葉になるわけ
「きゅうきゅう」の文字表記は最も多いのは口偏に急と書く文字を頭に置く、「急々」であるが、決してこれだけでなく、さまざまの文字が宛てられる。
この「きゅうきゅう」はのちに「九九」へと繋がるのだと筆者は考える。
九十九とは和訓で「つくも」。
急文字を繰り返すことから、九九も同じく繰り返しであり、その繰り返しとはとりもなおさず「呪」を言い表している。念誦にせよ呪いにせよ、呪詛にせよ、念仏にせよ、すべての願いは同じ言葉を繰り返し唱えることでかなえられるものであるという観念は確かにすべての信仰に共通である。
九十九とは和訓で「つくも」。
急文字を繰り返すことから、九九も同じく繰り返しであり、その繰り返しとはとりもなおさず「呪」を言い表している。念誦にせよ呪いにせよ、呪詛にせよ、念仏にせよ、すべての願いは同じ言葉を繰り返し唱えることでかなえられるものであるという観念は確かにすべての信仰に共通である。
百を満願とし、それに一つ足りぬことから、願掛けの言葉となるが、反面、呪文、呪詛、そういう妖怪、恠異を示す事物に転用された。
この九十九は神をつけると「九十九神=つくもがみ」となるが、それはそもそも「付喪神」である。つまり人に憑依する精霊という意味の神である。
■呪の両面性
呪符と呪詛という言葉がある。
前者は護符であり、後者は厭忌である。
呪符と呪詛という言葉がある。
前者は護符であり、後者は厭忌である。
つまりまったく相反する観念を表現するのになぜか「呪」という同じ文字が使われる。
「呪」はそもそも願いであり、呪文とは願いをかなえるための唱文。
しかしその「願い」というものが、こと人間にとっては裏と表がある。
一般に「願い」と言えばよいことが起きるように祈念するものだと思いがちになるが、実はこれにはダークサイドからの願いも存在する。つまり「早く死ねばいい」などの暗黒面の呪である。
あるいは、この暗黒の呪を忌避するための呪も当然ある。
例えば京都御所は鬼門である北東部分の壁を、そこだけ切り取って鬼を忌避するし、北東の守護である比叡山から平安宮のラインには赤山禅院など要所要所に猿像を置く。この猿の像とは鬼が「去る」という言霊信仰によって置かれている。
「呪」はそもそも願いであり、呪文とは願いをかなえるための唱文。
しかしその「願い」というものが、こと人間にとっては裏と表がある。
一般に「願い」と言えばよいことが起きるように祈念するものだと思いがちになるが、実はこれにはダークサイドからの願いも存在する。つまり「早く死ねばいい」などの暗黒面の呪である。
あるいは、この暗黒の呪を忌避するための呪も当然ある。
例えば京都御所は鬼門である北東部分の壁を、そこだけ切り取って鬼を忌避するし、北東の守護である比叡山から平安宮のラインには赤山禅院など要所要所に猿像を置く。この猿の像とは鬼が「去る」という言霊信仰によって置かれている。
呪符と言う言葉を引くとよい部分の説明しかない。
「種々の災難をしりぞけ、幸いをもたらすとされる物体。奇石・骨・お札など多様。護符。お守り。」(デジタル大辞泉)
「お守り」だけだと思うと、人間の歴史の深みはなかなか見えてこない。
人間はそんなに単純な生き物ではない。常に明暗と表裏、そしてその中間にある「かわたれ」「薄明」「黄昏」「灰色」というあいまいな世界で生きている。
人間はそんなに単純な生き物ではない。常に明暗と表裏、そしてその中間にある「かわたれ」「薄明」「黄昏」「灰色」というあいまいな世界で生きている。
■呪符木簡
和田萃らは日本に非常に多い護符を描かれた木簡群を特に「呪符木簡」と呼んでいる。
東野治之の『長屋王家木簡の研究』でも一応、付録的に呪符木簡に言及がある。しかし東野の立場では呪符から推察できる深い意味までは言うことがない。それができないのが文献学者としての宿命だから仕方がないのだが、だからと言って呪符木簡を「棟札や卒塔婆・会符・鑑札などと同様、木製品の一種として処理するのが妥当ではないか」(「木簡雑識」)と権威が書いてしまっては、あとから続く者はなかなか心理学的な発展を書くことができなくなってしまうものである。もちろん東野はちゃんと呪符木簡の研究が今後重要で、和田の呪符木簡研究をわざわざ紹介している。しかし東野自身からは決して呪符からの考察の発展は行動にならないわけである。これが言霊を重視してきた「客観的科学ではない文献史学」時代の日本の史学者の限界なのだから仕方がない。
和田萃らは日本に非常に多い護符を描かれた木簡群を特に「呪符木簡」と呼んでいる。
東野治之の『長屋王家木簡の研究』でも一応、付録的に呪符木簡に言及がある。しかし東野の立場では呪符から推察できる深い意味までは言うことがない。それができないのが文献学者としての宿命だから仕方がないのだが、だからと言って呪符木簡を「棟札や卒塔婆・会符・鑑札などと同様、木製品の一種として処理するのが妥当ではないか」(「木簡雑識」)と権威が書いてしまっては、あとから続く者はなかなか心理学的な発展を書くことができなくなってしまうものである。もちろん東野はちゃんと呪符木簡の研究が今後重要で、和田の呪符木簡研究をわざわざ紹介している。しかし東野自身からは決して呪符からの考察の発展は行動にならないわけである。これが言霊を重視してきた「客観的科学ではない文献史学」時代の日本の史学者の限界なのだから仕方がない。
というわけで、日本の文献史学からは、呪符木簡を重視した発言が少ないのが現状である。わずかながら木簡研究会、和田萃が学術的にこれを扱い、例によって大山誠一だけが長屋王と呪符木簡と人間行動学的な考察を書いているのみである。
長屋王家木簡については呪符、護符があったのかどうか知らない。
東野が書いているように、長屋王家木簡は710年頃からの遺物であり・・・つまりそれは長屋王が『古事記』編纂成立に関わったと考えた場合、非常に意味の深い同時代遺物であることになるわけである。
東野が書いているように、長屋王家木簡は710年頃からの遺物であり・・・つまりそれは長屋王が『古事記』編纂成立に関わったと考えた場合、非常に意味の深い同時代遺物であることになるわけである。
■1980年あたりを境にして、古い文献史学のダメな部分が急浮上してきた。それらの書物は、もう現在の客観的科学としての古代学にとっては、かろうじて科学的な分科研究以外は「史学の歴史を知るための」資料としてしか意味を持たなくなりつつあるのが現状であろう。資料が死霊になりつつある。
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コメント
コメント一覧 (3)
kawakatu
が
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平川南著の、『古代地方木簡の研究』吉川弘文館をお読みになったでしょうか?
まだでしたら、ぜひお読みになることをお勧めします。
現歴博館長の平川先生からは、古代の地方について十数年間教えを受けました。
kawakatu
が
しました
平川氏から直接ご指導を得られたとはうらやましい限りですね。
kawakatu
が
しました