相谷熊原遺跡
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■土偶 国内最古級1体出土 滋賀の相谷熊原遺跡で
 滋賀県文化財保護協会は29日、同県東近江市永源寺相谷町の相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡で、縄文時代草創期(約1万3000年前)の竪穴住居跡5棟が見つかり、国内最古級の土偶1体が完全な形で出土したと発表した。同時期の住居群跡は全国で数例、土偶は三重県の粥見井尻(かゆみいじり)遺跡で2点しか発見されていない。移動生活から定住が始まった時期の暮らしや文化がうかがえる、貴重な発見となりそうだ。
 発見された土偶は高さ3.1センチ、最大幅2.7センチ、重さ14.6グラム。女性の胴体のみを、胸や腰のくびれも優美に表現し、底は平らで自立するのが特徴だ。上部に直径3ミリ、深さ2センチの穴があり、棒で別の頭部をつないだなどの可能性もある。
 相谷熊原遺跡は、三重県境の鈴鹿山脈から流れる愛知(えち)川の南の河岸段丘にあり、山間地と平野部が接する場所にある。竪穴住居群は、緩い斜面約100メートルの間に5棟連なって確認された。規模の分かるものは直径約8メートルのいびつな円形で、深さ約0.6~1メートルと、これまでの例より深く、しっかりした構造だった。作るのに相当な労力がかかる上、多くの土器や石器も出土しており、一定時期でも定住したことが考えられるという。
 現地説明会は6月6日、午前10時と午後1時半の2回。雨天決行。問い合わせは県文化財保護協会(077・548・9780)。【南文枝】
 
■2009年12月
 東近江市永源寺相谷町の相谷熊原(あいだにくまはら)遺跡を調査していた県文化財保護協会は17日、縄文時代晩期前半(約2500年前)の土器棺墓14基が出土したと発表した。
土器を埋葬の容器として用いる土器棺墓は、縄文時代晩期後半に爆発的に増加。
今回見つかった土器棺墓はその直前のもので、同協会は「出現期の様相を知るうえで貴重な資料」としている。

 同遺跡は、愛知(えち)川と筏川の合流地点にあたる愛知川左岸の河岸段丘上に位置。
県営農地環境整備事業に伴い、今年7月から約3400平方メートルを調査していた。

 土器棺墓は、多数の竪穴住居の柱穴や石製品、土製品とともに出土。
棺の中から人骨は確認されていないが、埋土からは骨片を検出した。
土器棺墓は、県内では高島市や大津市で多数出土しているが、琵琶湖東岸でまとまって出土するのは初めて。

 また、調査区では縄文時代後期(約4000?3000年前)の配石遺構と集石遺構も確認した。
焼けた石が円形に並べられた配石遺構は、炉として使用されたらしい。
小石を円形に敷き詰めた集石遺構も、一部が熱を受けていることから、石蒸し調理に使用されたとみられる。

 同協会は「永源寺地区での縄文時代の遺跡の調査は初めてで、同時代の近江と鈴鹿の交流を探るうえで貴重な資料」と話している。

 現地説明会は20日午後1時半から。
問い合わせは同協会(077・548・9780)。
【斎藤和夫】

12月18日朝刊
 
参考
■滋賀県東近江市永源寺相谷町
永源寺といえば木地師である。
貴種流出譚のメッカ
最古の縄文遺跡が出るのは、滋賀県が畿内にあって、かつては縄文文化圏だったこと、畿内の文化の背景には必ず縄文先住民の文化と風習と言語があったことを明示する。(Kawakatu)
 
 
 
 

 
 
 
 
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