■「前方後円墳=蓬莱思想起源」岡本健一

墳墓に表現されてきた中国神仙思想の蓬莱伝承。
これがやがて奈良~平安~室町時代にかけて、造れなくなった巨大墳墓に変わって庭園、水園、そして枯山水へと変化してゆく。

これを「苑池(えんち)」と岡本は呼んでいる。

飛鳥時代には蘇我馬子の明日香島庄邸宅内に苑池が作られる。ここには池の中に「島」が作られ、この島こそが蓬莱山だと彼は言う。

奈良時代には長屋王なども苑池をひんぱんに造営する。
最近発掘された飛鳥京の亀型石などを伴う、いわゆる水苑敷石遺構なども、称徳女帝の「たぶれ心のミゾ」と言われてはいたが蓬莱思想を反映したものだと言う。

金沢にある近世庭園の至高の作・兼六園なども亀と鶴を配置した、神仙思想に彩られた日本庭園となっている。
池があり、山水があるその姿は古代からえいえいと続く、日本人の中に潜む神仙思想の反映であるというのであろう。

庭園を別に、中国では林泉ともいい、これを「シマ」と読ませる。
島とは庭園の代名詞であったという。

古墳作りはなぜ終焉するかということに関して、松本清張が面白いことを言っていた。
前方後円墳の代表である河内王朝の巨大墳墓。あれは巨大化しすぎて、造りすぎで破産して王朝が衰亡したから、あとの時代にはヤマトの貴族はそれを反面教師にしたんだ。

しかし、それはそうだが、むしろヤマト王朝とは系統の違う王家のはずの河内王朝の風習は、その後も継体から欽明朝へと受け継がれている。となると王朝交代から見ると、それが作られなくなったのは薄葬令を出した藤原政権による、「新しい王家」の演出だったかとも考えつく。

古墳造営は古代の公共事業であり、民衆はこれに全国から庸調の使役として借り出されたが、記録によれば、当時の食事や給金はかなりよいものだったようで、古墳造営バブルともいうべき国家予算の無駄遣いによって河内王朝だけでなく、飛鳥王朝までの古墳造営が破綻したという松本の見方はあながち否定しがたいものがある。


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