そんなものが古代史となんの関係があるのかとお考えになられるかも知れないが、まあコネタながらも、「風の声をお聞きなさい」。

日本列島の本格的幹線整備はもちろん戦後から本格化したが、それ以前、戦時中に作られた交通網も地方には相当数存在したことは、筆者以上の年齢の方ならよくご存知と思う。

地方の本線以外の国鉄架設には、以外に軍部施設への移動ルートとして新たに架設されてゆく経緯があったことは間違いない。
それは道路網も同じである。
それを今感じようとするならば、自衛隊がある場所、駐屯地、演習場がある場所へ向かう、いわゆる地元が「自衛隊道路」と認識している国道やらを歩くことである。自衛隊や戦後のアメリカ進駐軍の立地は旧日本軍の施設をそのまま代用した経緯があるからだ。

軍事物資を運ぶための鉄道や道路が、いかに当時まだ注目されていなかった考古学的遺跡や古墳を壊滅させていったかは知っておく必要がある。

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もうひとつは、国家プロジェクトによる遺物破壊。
電力施設や原子力発電所、あるいは学校、などなどの必要な施設の下に、意外な遺跡が埋もれていることも知っておくほうがいいかもしれない。
特に原発などは一般人立ち入り禁止になってしまうので、例えば美浜原発などの周囲にいた高句麗系などの半島渡来人や、先住海人族たちの遺跡などはなかなか発掘も、見学も難しくなってしまうことは否めないだろう思う。

もちろん国家事業は重要ではあるし、それらの建設によって潤う住民の利害関係も存在するわけで、一概に公開せよとは言うわけには行かない。

しかしである、明治時代に宮内省が指定した天皇陵比定古墳などは、その多くは早計なものであったことも多く、これらをなにゆえに発掘させないかについては、大いに言葉を発してかまうまい。
(こういうことを書くから危険人物だと思われるのだろうが・・・)

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鉄道とレンガ窯業の密接な関係が初期鉄道架設にあったことも忘れてはならない。
明治の鉄橋や上水道などに用いられたレンガが、誰によって作られたか?あるいは鉄道架設に伴う、線路堤の形成はどういう人々により、どういう技術で作られたのか・・・などなどは、決して明治の西洋技術導入からだけではなく、古代から営々として職業を換えられなかった身分制度の幕末までの存続、あるいは被差別労働者の歴史などという拡大視野で見つめ直す必要性もある。

大きな視点で申せば、古代史は古代史だけで完結しはしないのである。そこには人、工人、労働者の歴史、技術の歴史が存在し、それがついこのあいだの東京オリンピックや万国博覧会にまで、われわれの常識の外でつながっているかも知れないのである。

民俗学の民衆視点は、こういう場合にこそ必要になってくる。
古代水田用の灌漑水路、官道施設、古墳の版築技術、塩田技術、鉱山のかんな流し鉄路、などなど、土木の技術をささえてきたのは誰だったか、を考えれば、民衆墳、渡来人、地方のマイナー古墳などが、みな、突発的な出現ではなかったこと、すべてになんらかの関連があって、今、私たちが住む都市がはじまったルーツがあることに気がつかねばなるまい。

気がつかねば、歴史が教科書の言うままの、古代・中世・近世・近現代などという「ぶつ切り」の学問だと思っていたなら、その人には永遠に歴史の本当の姿は見えていないのではあるまいか?



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