揺れる考古学界の残されている諸問題
1 稲作は本当に半島の寒冷化によって九州へ南下したのだろうか?
2 摂津などの例外もあるが、九州の墓制である支石墓、甕棺、箱式石棺墓(あるいは九州式石剣など、それにともなうはずの祭祀・葬祭様式や観念もふくめて)なにゆえに東へ移動しなかったのか?
3 方形周溝墓は本当に近畿発でいいのか?
4 弥生渡来は北部九州だけに起こったのか?
5 北部九州甕棺遺体は本当に縄文対弥生の攻防だったのか?

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検証2
■「摂津・田能遺跡
 全国初の木棺出土遺跡。纏向より少し早期、直前の遺跡である。石野が九州発であろうと考えている方形周溝墓を大量に持つ。弥生時代の近畿では墓に副葬品を入れることがほとんどないが、ここの木棺墓からは管玉のネックレスや銅の釧(くしろ)が出ている。また子供を埋葬した土器棺が非常に九州の甕棺に似ていることなどなどから考証して、石野は田能が(北部)九州からの来訪者のいた場所ではないかと推定している」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49413590.html
★関連→「発掘調査が行われた当時の田能遺跡(尼崎市田能6丁目)。43年前の写真だ。《昭和40年
         (1965)に撮影》  この弥生時代の大規模な集落跡は、上に記した口酒井遺跡の少し南側にある。
         この田能遺跡からは、人骨の入った箱式木棺、管玉(くだたま=ネックレス)、釧(くしろ=ブレスレット)
         などが出土して、脚光を浴びた。遺跡は現在、史跡公園として保存されている。
             【参照】――「40年目の田能遺跡」」
http://www.eonet.ne.jp/~adachiitami/newpage23.html
http://www.oct.zaq.ne.jp/kashiko_yushikai/reikai/reikai0806.htm

■大阪から出た九州型有柄式石剣
「大阪池上曽根遺跡・奈良県坪井遺跡
 ともに九州から朝鮮半島で出てくる有柄式石剣(ゆうへいしきせっけん)あるいはその柄(グリップ)が出土している。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/49413590.html

■「武器を人体に刺突した際に先端が折れて体内に残ったものと解釈されてきたが、これも、武器の先端を折りとって副葬品として棺内に埋納するという風習があったのではないかといった反論がだされており、決着はついていない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3

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これらの疑問点についても明確な実証が筆者には未だに見つけられない。

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