■土器には土師器(はじき)と須恵器(すえき)がある。
●土師器(軟質土器)
古墳の出現(3世紀半ば頃)と共に製作が始まる。
摂氏800℃前後で「酸化焔焼成法」で焼かれる「軟質土器」のこと。一般的には今の植木鉢のような素焼きのこと。かわらけとも。
古墳時代前期から奈良時代にかけて祭祀土器として使用。吉備などの地域によっては古墳時代前から。奈良~平安時代まで墨書されたかわらけが見つかっている。平安時代には京都南部の地名である深草にかわらけ販売者が多くいたことから彼らとその土器をともに「ふかくさ」と符丁で呼んだ。色合いは褐色、赤褐色、黄褐色。
●酸化焔焼成法とは・・・平坦な地表面を円形、楕円形、長方形などに掘りこんだ土壙(どこう=穴)の底に生の土器を並べ、その上に 薪や燃料を置いて焼く方法。
●土師器(軟質土器)
古墳の出現(3世紀半ば頃)と共に製作が始まる。
摂氏800℃前後で「酸化焔焼成法」で焼かれる「軟質土器」のこと。一般的には今の植木鉢のような素焼きのこと。かわらけとも。
古墳時代前期から奈良時代にかけて祭祀土器として使用。吉備などの地域によっては古墳時代前から。奈良~平安時代まで墨書されたかわらけが見つかっている。平安時代には京都南部の地名である深草にかわらけ販売者が多くいたことから彼らとその土器をともに「ふかくさ」と符丁で呼んだ。色合いは褐色、赤褐色、黄褐色。
●酸化焔焼成法とは・・・平坦な地表面を円形、楕円形、長方形などに掘りこんだ土壙(どこう=穴)の底に生の土器を並べ、その上に 薪や燃料を置いて焼く方法。
●須恵器(陶質土器)
「登り窯(のぼりがま)」を用いて摂氏1200℃以上の高温で長時間焼かれる土器。指ではじくと鉄器のような音がする硬質な土器。色は灰色、灰黒色。登り窯と高温を用する処は同時期、あるいはやや前から開始された製鉄工法とリンクする。酸化還元焔焼成法で焼かれるため、{密閉された構造物が必要}でそれを登り窯(穴窯)と言う。
登り窯の構造・・・焚き口(たきぐち、のちに滝口と言えば清涼殿の入り口をさす)、薪を燃やす「燃焼部」、器を並べて焼く「焼成部」、煙を出す「煙道」の三つで構成される。
この方法とともに器の成形には「ロクロ」が登場している。(→生産性向上)高温を管理することを要求される須恵器の製作技術は、鉄の生産と結びついたものであった。
「登り窯(のぼりがま)」を用いて摂氏1200℃以上の高温で長時間焼かれる土器。指ではじくと鉄器のような音がする硬質な土器。色は灰色、灰黒色。登り窯と高温を用する処は同時期、あるいはやや前から開始された製鉄工法とリンクする。酸化還元焔焼成法で焼かれるため、{密閉された構造物が必要}でそれを登り窯(穴窯)と言う。
登り窯の構造・・・焚き口(たきぐち、のちに滝口と言えば清涼殿の入り口をさす)、薪を燃やす「燃焼部」、器を並べて焼く「焼成部」、煙を出す「煙道」の三つで構成される。
この方法とともに器の成形には「ロクロ」が登場している。(→生産性向上)高温を管理することを要求される須恵器の製作技術は、鉄の生産と結びついたものであった。
●酸化還元焔焼成法とは・・・焼成中は窯の中への酸素の供給を一定時間止めて、炎の中に一酸化炭素、水素などを多く発生させ、土器の粘土の中の酸化鉄を化学変化させる方法。
●従来の日本最古の須恵器工房
5世紀前半・・・記録では新漢陶部高貴(いまきの・あやの・すえつくりべの・こうき)に代表される朝鮮からの移住民集団によって、大阪泉南の陶邑(すえ・むら)が最古とされてきた。これは『古事記』『日本書紀』の大物主の神の宣託によって招聘された陶邑のオオタタネコ命の記事からも、それが堺市周辺にあって、これまで日本最古の須恵器窯工房と思い込まれてきた経緯がある。
5世紀前半・・・記録では新漢陶部高貴(いまきの・あやの・すえつくりべの・こうき)に代表される朝鮮からの移住民集団によって、大阪泉南の陶邑(すえ・むら)が最古とされてきた。これは『古事記』『日本書紀』の大物主の神の宣託によって招聘された陶邑のオオタタネコ命の記事からも、それが堺市周辺にあって、これまで日本最古の須恵器窯工房と思い込まれてきた経緯がある。
●その堺市陶邑窯跡群は5世紀中ごろ、東西4キロ、南北3キロ、数百の窯があったと言われている記録上最古にして発掘史上最大の古代登り窯跡群遺跡。標高150~110mの地点に東西方向に設置され、焚き口は西向き。全長約10m。焼成部は最大幅が3m。「灰原はいばら」という失敗作の捨て場も隣接して発見された。各地の「はいばら」地名起源も考察される。釜跡は1000基以上に達する。
5世紀中葉から後半にかけて、この須恵器大甕の追副葬、副葬が全国の古墳でさかんに行われている。発掘からも定期的大量生産が行われたことがわかった。
土師器と須恵器では制作方法が根本的に異なる。
須恵器は埴土も厳選され、高度な技術が必要であった。→つまり、国外の高度な技術者の渡来無しには始められないのが須恵器。
ということは「すえ」を地名、氏姓にする人は、まず間違いなく半島渡来工人=エキスパートを祖先に持っている場所や人である。
●埴土とは・・・粘土質50%以上含む土。通気性が悪く植物には不向きな土。
●半島語のSOEは鉄。
5世紀中葉から後半にかけて、この須恵器大甕の追副葬、副葬が全国の古墳でさかんに行われている。発掘からも定期的大量生産が行われたことがわかった。
土師器と須恵器では制作方法が根本的に異なる。
須恵器は埴土も厳選され、高度な技術が必要であった。→つまり、国外の高度な技術者の渡来無しには始められないのが須恵器。
ということは「すえ」を地名、氏姓にする人は、まず間違いなく半島渡来工人=エキスパートを祖先に持っている場所や人である。
●埴土とは・・・粘土質50%以上含む土。通気性が悪く植物には不向きな土。
●半島語のSOEは鉄。
参考文献 権 仁燮著 朴 鐘鳴監修『朝鮮と日本の関係史 善隣と友好の歴史』明石書店 2000
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このように日本最古の須恵器工房は随分長きに渡り「大阪陶邑」というのが決定的な識となってきた。
■ところが1993年、岡山県総社市福井で古墳時代前期~5世紀前半と判断される奥ヶ谷窯跡が発見された。しかもその近くにあった古墳は、日本第四位の大きさを誇る造山古墳だった。また吉備中心地総社市と造山古墳との因果関係が。ここもおそらく朝鮮系工人の渡来地としてmあるいは大阪よりも古い可能性も出てきている。
■※「初期の須恵器は大阪南部地方から全国に伝播したと考えられていたが、他のいくつかの先進地帯にも、朝鮮から直接、技術の移植があった可能性が高まった。」(上記参考文献から)
■ところが1993年、岡山県総社市福井で古墳時代前期~5世紀前半と判断される奥ヶ谷窯跡が発見された。しかもその近くにあった古墳は、日本第四位の大きさを誇る造山古墳だった。また吉備中心地総社市と造山古墳との因果関係が。ここもおそらく朝鮮系工人の渡来地としてmあるいは大阪よりも古い可能性も出てきている。
■※「初期の須恵器は大阪南部地方から全国に伝播したと考えられていたが、他のいくつかの先進地帯にも、朝鮮から直接、技術の移植があった可能性が高まった。」(上記参考文献から)
5世紀中葉には東北の宮城県大蓮寺窯跡でも生産されていることがわかった。
その後も青森県、愛知県、千葉県などでも続々と最古級須恵器が発見された。
その後も青森県、愛知県、千葉県などでも続々と最古級須恵器が発見された。
こうして「なんでもかんでも畿内から」という古来の伝統的学説はどんどん変更を迫られて来ているのである。
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