西谷正『魏志倭人伝の考古学──邪馬台国への道』学生社 2009 では、佐賀県唐津市の最古の水田遺構について詳しく解説がなされていてわかりやすい。

■菜畑遺跡(なばたけ・いせき)
旧松浦国(まつら・こく 末羅国)の範囲内にある日本最古の水田遺構は、目の前の唐津湾に面したわずかな低地を、土木工事し、干拓して造られたという。つまり干拓工事遺構としても日本最古ということになろうか。

集落は水田のある低湿地よりも7、8メートルばかり高くなった微高地の集まっている。

唐津地域は縄文海進が引いてしまった現代でも、海から背後の山地までさほど広さのない、どちらかと言えば窮屈な地形にある。これが菜畑遺跡のできる縄文晩期(人によってはもう弥生時代草創期とも)には、もっと海岸線が来ていただろうから、岸から山岳地帯まではネコの額ほどの広さしかなかったことだろう。

そういう非常に窮屈な場所にわざわざ最古の弥生渡来人が来た。
つまり当初は、そういう地形が水田に向いていたということなのだろうか?

筆者は西谷氏のようには容易にその説に肯首したくない。彼の古代水田に関する「常識」と筆者の常識は違うのである。

菜畑にはさほどの大河がなく、水田用の灌漑設備で山塊から水を引いてくるのは手狭である。またその山塊自体も窮屈で、なかなか開墾が難しかったのだろう。
本来、例えば吉備地帯のほとんどの水田遺構がそうだったように、古来の水田は直接水が湧いている山麓地帯から開始されるものである。ゆるやかに高い水源から微高地へ溝を掘って農業用水とする。

ところが菜畑はそうではなく、最初から低湿地を干拓して造ってある。おそらくここは当初の水田遺構としては例外ではなかろうか?

吉備で一ヶ所だけ、低湿地に造られた水田遺構があるが、その後の水田はみな微高地へと移っている。
考えるに、半島や中国河口部のような広大な土地であれば最初から低湿地での稲作は可能だろうが、日本のように山岳が急峻で鉄砲水の被害の激しい土地では、関東平野はさておいて、河口部は危険である。台風や大雨のたびに水浸しになり、低湿地では灌漑もままならないからだ。

ということは菜畑の人々は、初めて日本にやってきて、最初がっくりしたのではないか?生まれ故郷のような低地栽培には不向きだと判断したら、吉備のようにその後すぐに微高地へと計画変更するはずだ。
しかし菜畑には広さ的にそのゆとりがなかったのだろう。そのまましばらく湿地で耕作し続けたようだ。



菜畑からやや南下すると末羅国の中心地であろう宇木汲田(うきくんでん)遺跡がある。ここの水田はちゃんと灌漑設備と微高地という筆者の「常識」どおりの初期水田様式を持っている。おそらく菜畑で何度も失敗してより広い宇木へ南下したのだろう。

だから科学はだいたい最古のものをよりどころとして定説を編み出すから、菜畑だけ見ていたら「日本型」に対応した最古の水田様式が見えなくなるのだと思うのである。

菜畑は最古だが例外ではないか?

末羅国は倭人伝でも、半島経由した船が最初に着く日本本土の港である。
最古の来訪者もこの湾に着いた・・・選んでかどうかは知らないが、菜畑の景色が故郷に似ていて、容易に離れがたかったのか知らないが、とにかくそこに定住しようとしたが、うまくいかなかったと見える。
諸氏はいかがであろうか?

1 初期水田は山岳の麓にある微高地を最良の立地とした。
2 日本に渡来した水田技術は大陸、半島で充分に「こなれた」最新のもだった
3 しかし菜畑のような例外の土地があって、大いに悩んだ挙句に、灌漑設備を考案していった。あるいは奥地に上がって水源近くから水を引き、当初は微高地に定住した。
4 その後灌漑用水を長躯延長できるような道具(鉄器)が造られるようになって、しだいに大河の流域に定住できるようになった。

つまり堅牢な鉄製のクワやスキが生まれることによってはじめて国=大都市へと発展できたのである。
言い換えれば鉄が都市を形成するのである。
■道具が脆弱な時代には水田だけでは都市にはなり得ない。ムラでしかない。

これはずいぶんと時間の経った現代においても、都市とは農村には存在しないことと矛盾しない。


政令都市で、市とは3万人程度の人口を持つという条件がある。
筆者の身近な例では別府市が、ちょうど菜畑のある唐津市とよく似た、海からすぐ山という地形であるが、ここには人口12万人、温泉を主要産業とする観光「都市」だが、水田はほとんど存在していない。
別府の中心にあるのは温泉と商業であり、古代遺跡からは鉱物氏族がいたことがわかる。

桜井市の纏向遺跡は祭祀建造物がほとんどを占める「祭祀都市」だ。

要するに農業都市などというものはありえないのだろう。
農業はあくまでムラの産業である。
国、都市は農業以外の産業が、「農業の必要のために」開始されたときからできてゆくのである。

常識の非常識、次回は須恵器と鉄器の同時派生。
その次は神獣鏡の分配はありえない。
最後は末羅から伊都、伊都から奴国、ではそのあとは?
と続く予定です。

なんでもかんでも学者の言うとおりにはなっていません。学者の「常識」には非常に非常識なものが多いからご用心!大事なのは自分だけの着想、オリジナリティなのではないでしょうか?
常識のないのがむしろ学者であると念じるのが本当の早道。
だって学者は農業も製鉄もしませんからね。頭の中で考えるのが商売ですから、おのずと机上の空論も生まれがちですわなあ。

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