■吉備真備も和気清麻呂もその出自・本貫は岡山である。
ただ清麻呂は吉備生まれだが、真備の方は都生まれの都育ち。おそらく吉備に住んだことはなかった。
ただ清麻呂は吉備生まれだが、真備の方は都生まれの都育ち。おそらく吉備に住んだことはなかった。
■吉備真備
真備とは「真の吉備人」という意味の名前。
父は圀勝。(正七位上・右衛士少尉うえじのしょうじょう)
母は渡来系?楊貴(八木)氏出身。
真備とは「真の吉備人」という意味の名前。
父は圀勝。(正七位上・右衛士少尉うえじのしょうじょう)
母は渡来系?楊貴(八木)氏出身。
※父の「圀」という文字は水戸光圀と同じ「則天文字」で、おそらく最古の使用例である。
中国の女帝則天武后が作り出したのがこの文字で、日本には持統天皇以降取り込まれた。その文字を吉備真備の父が使ったということは、吉備氏の意識・教養の高さを語っていることになる。
中国の女帝則天武后が作り出したのがこの文字で、日本には持統天皇以降取り込まれた。その文字を吉備真備の父が使ったということは、吉備氏の意識・教養の高さを語っていることになる。
●吉備家は吉備の名門中の名門である下道朝臣(しもつみちの・あそん)氏出身。
●下道朝臣氏とは四道将軍・吉備津彦、『古事記』では大吉備津彦たちの子孫を自認する一族。
●吉備津彦命(きびつひこのみこと)は
「古代日本の皇族。孝霊天皇の第3皇子で、生母は妃倭国香媛(やまとのくにかひめ)とも(『日本書紀』)、意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)(安寧天皇の皇曾孫)とも伝える(『古事記』)。また、本来の名は彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと。比古伊佐勢理毘古命にも作る)といい、亦の名前が吉備津彦命(『書記』)、大吉備津日子命(『古事記』)であったと伝える。吉備冠者(きびのかじゃ)ともいう。山陽道を主に制圧した四道将軍の一人。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E6%B4%A5%E5%BD%A6%E5%91%BD
で、吉備津彦の姉が箸墓古墳の被葬者だと伝えられた大物主の神妻・ヤマトトトビモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)である。
●下道朝臣氏とは四道将軍・吉備津彦、『古事記』では大吉備津彦たちの子孫を自認する一族。
●吉備津彦命(きびつひこのみこと)は
「古代日本の皇族。孝霊天皇の第3皇子で、生母は妃倭国香媛(やまとのくにかひめ)とも(『日本書紀』)、意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)(安寧天皇の皇曾孫)とも伝える(『古事記』)。また、本来の名は彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと。比古伊佐勢理毘古命にも作る)といい、亦の名前が吉備津彦命(『書記』)、大吉備津日子命(『古事記』)であったと伝える。吉備冠者(きびのかじゃ)ともいう。山陽道を主に制圧した四道将軍の一人。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E6%B4%A5%E5%BD%A6%E5%91%BD
で、吉備津彦の姉が箸墓古墳の被葬者だと伝えられた大物主の神妻・ヤマトトトビモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫命)である。
●霊亀二年(716)阿倍仲麻呂とともに遣唐使に選ばれた秀才。
翌年、23歳で入唐。41歳で帰国し、儒教、天文トンコウ術=陰陽五行、兵法、音楽などの衆芸までも習得していた。『唐礼』130巻などの書物や日時計、楽器、弓箭(きゅうせん=弓矢)などを土産に持ち帰り献上。
その後、すぐに聖武天皇に寵愛され、大学の助、博士を歴任。皇太子・阿部内親王(のちの孝謙女帝・称徳女帝)の東宮学士に。このつながりがその後の政界での動きを決定していく。橘諸兄のブレーン。藤原広嗣の乱で苦労。
翌年、23歳で入唐。41歳で帰国し、儒教、天文トンコウ術=陰陽五行、兵法、音楽などの衆芸までも習得していた。『唐礼』130巻などの書物や日時計、楽器、弓箭(きゅうせん=弓矢)などを土産に持ち帰り献上。
その後、すぐに聖武天皇に寵愛され、大学の助、博士を歴任。皇太子・阿部内親王(のちの孝謙女帝・称徳女帝)の東宮学士に。このつながりがその後の政界での動きを決定していく。橘諸兄のブレーン。藤原広嗣の乱で苦労。
天平勝宝元年(749)、孝謙天皇即位で従四位上。
しかし時の大納言・藤原仲麻呂(恵美押勝)にうとまれ左遷。筑前守に。翌年、遣唐副使として再び入唐。帰国しても都には戻れず、太宰大弐のまま10年を過ごす。この間、中国で安禄山の乱が起こり、新羅とも関係悪化したため、筑紫に山城(筑紫怡土城)の築城を指導。
藤原仲麻呂が橘諸兄らによって押し出されついに反乱興すと、都に招聘されその退路を立つなど大いに貢献する。
孝謙天皇重祚して正三位、中納言に出世。大納言を経て極官の右大臣に。これは清麻呂のような弓削道鏡
事件とは関係していない。称徳女帝との関係のため。
称徳女帝は吉備真備から藤原仲麻呂に乗り換えて、そのあと弓削道鏡と深い仲になるような困った人だが、最後はまた真備に。まさに「たぶれ心」の君だったと言えるが、それは天皇として相応の苦難があったからだろう。
名誉職として吉備下道郡大領にも。
宝亀二年(771)右大臣を辞す。775年没。享年81歳。
しかし時の大納言・藤原仲麻呂(恵美押勝)にうとまれ左遷。筑前守に。翌年、遣唐副使として再び入唐。帰国しても都には戻れず、太宰大弐のまま10年を過ごす。この間、中国で安禄山の乱が起こり、新羅とも関係悪化したため、筑紫に山城(筑紫怡土城)の築城を指導。
藤原仲麻呂が橘諸兄らによって押し出されついに反乱興すと、都に招聘されその退路を立つなど大いに貢献する。
孝謙天皇重祚して正三位、中納言に出世。大納言を経て極官の右大臣に。これは清麻呂のような弓削道鏡
事件とは関係していない。称徳女帝との関係のため。
称徳女帝は吉備真備から藤原仲麻呂に乗り換えて、そのあと弓削道鏡と深い仲になるような困った人だが、最後はまた真備に。まさに「たぶれ心」の君だったと言えるが、それは天皇として相応の苦難があったからだろう。
名誉職として吉備下道郡大領にも。
宝亀二年(771)右大臣を辞す。775年没。享年81歳。
●大仏建立に関しては、
聖武は病弱の上、政権争いに翻弄され、疲れ果てて僧・玄に惑わされ仏教に忌避。
天平9年(737年)、藤原不比等の子、藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が天然痘で相次いで死亡(原因は菅原道真左遷の祟りとされた)。この結果、橘諸兄(たちばなのもろえ)の勢力が強まった。
橘諸兄は美努王と県犬養三千代の子。橘諸兄は東大寺建立を後押しした。藤原氏の氏寺である興福寺に対抗する巨大な寺を建てることで、橘諸兄は自分の権力を誇示し、確保しようとした。橘諸兄は聖武天皇の信頼が厚かった。つまり大仏建立自体が政権抗争と宗教宗派争いという権力抗争の道具にさらたのである。ところが実際に大量の銅や水銀、錫などの鉱物が使われたため、都の空気は汚染され、鉱物産地も鉱毒が蔓延。環境は最悪化する結果となり、結局、聖武のあとを引き継いだ女帝も心がおかしくなってゆく。それが道鏡の天皇即位事件となって和気清麻呂が登場。いわゆる宇佐八幡神託事件である。
聖武は病弱の上、政権争いに翻弄され、疲れ果てて僧・玄に惑わされ仏教に忌避。
天平9年(737年)、藤原不比等の子、藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が天然痘で相次いで死亡(原因は菅原道真左遷の祟りとされた)。この結果、橘諸兄(たちばなのもろえ)の勢力が強まった。
橘諸兄は美努王と県犬養三千代の子。橘諸兄は東大寺建立を後押しした。藤原氏の氏寺である興福寺に対抗する巨大な寺を建てることで、橘諸兄は自分の権力を誇示し、確保しようとした。橘諸兄は聖武天皇の信頼が厚かった。つまり大仏建立自体が政権抗争と宗教宗派争いという権力抗争の道具にさらたのである。ところが実際に大量の銅や水銀、錫などの鉱物が使われたため、都の空気は汚染され、鉱物産地も鉱毒が蔓延。環境は最悪化する結果となり、結局、聖武のあとを引き継いだ女帝も心がおかしくなってゆく。それが道鏡の天皇即位事件となって和気清麻呂が登場。いわゆる宇佐八幡神託事件である。
ようするに大仏によって国家を安寧にしようという聖武・称徳のもくろみは政治のおもちゃにされ、仏教は宗派が乱立、すべては無となってゆく。この流れを断ち切るのが聖武の孫・桓武の平安遷都である。つまり大仏建立は平城京に終焉を告げる画期となった。
これは日本最初の天皇が指令した公共事業である。
同時に古代の重工業産業の画期。
結果は環境破壊と反乱。
海外戦争がなかったところだけが明治以降と違うところだろう。
奇麗事では歴史は終わらない。常にこういう裏がある。いいところと悪いところ両方を知るのが「歴史」であろう。
これは日本最初の天皇が指令した公共事業である。
同時に古代の重工業産業の画期。
結果は環境破壊と反乱。
海外戦争がなかったところだけが明治以降と違うところだろう。
奇麗事では歴史は終わらない。常にこういう裏がある。いいところと悪いところ両方を知るのが「歴史」であろう。
次回、清麻呂。
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