■ここでは「東国」を、平安時代観念の「近江から東」でとらえ、中世・・・平安から鎌倉・室町時代にできあがってゆく東国イメージを近江、木曽、尾張、駿河地方などの女性たちのエピソードから、当時の京の人が東国人をどう感じていたかを知りたいと思う。

■北条政子
言わずと知れた源頼朝の嫁である。
この人は今の静岡県田方郡(伊豆の北条)の出身。たまたまここへ流されたのが頼朝だったが、北条家は坂東平氏を出自としているにも関わらず頼朝を「奇貨(きか)」と判断し、これに近づいて娘を嫁に出したわけであるから、これは政略結婚。結局、北条一族は最後に源氏政権を滅ぼすのだから、政子の計略は結果オーライ?したたかな女の代表である。

さて義経が追われているころ、静御前は吉野で捕獲され、鎌倉に連行されたのだが、鶴岡八幡宮で舞いを踊らされる。静は都一番の白拍子。それに舞いを舞わせてやろうという勝者の奢りである。ところがこともあろうに夫を追いやった張本人の頼朝の目の前で彼女が踊りながら歌った歌は

  吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人のあとぞ恋しき

吉野山の雪を踏み分けて消えていったわが夫=義経のことが今も恋しくてたまらない

頼朝が怒らないはずはない。烈火のごとく怒り、首をはねようとする。ところが政子、これを制止し、「あたしだってあなたが蛭ヶ崎で流人だったころ、父はあたしを軟禁してあなたとの恋愛を禁止していたけれど、あたしは好きなものは好きだった。あのときのあたしの気持ちと、今の静の気持ちは同じじゃないの。むしろ静の捨て身を褒めてあげなさい」
と、みごとに説き伏せてしまう。
政子は頼朝の愛人が発覚したとき、臣下に命じていきなりその棲家をぶち壊した豪傑である。
頼朝を護るためなら刀の前に立ちふさがり「やるというならまずわが身を切ってからにしろ」というところのある正義感である。

■巴御前
木曽義仲の嫁。はちまき、鎧兜に身をつつみ、手には大薙刀、馬にまたがり敵に立ち向かったと描かれる。木曽義仲は今の埼玉県大里郡あたりの出身だが隠棲して木曽の山の中で巴と出会う。頼朝とはある事情でのちに不仲となり追われて近江の粟津浜(大津市)まで追い詰められ、義仲は巴に逃げるよう指示した。「おまえといつまでもいたいが、死ぬ間際まで女連れだったとなると(項羽と虞美人のようにか?あきらかに中国古典が意識された会話)後世の名折れである。おまえはここから逃げてくれ」
巴はこれを固辞し、ついに「それじゃあ、あなたの目の前で見事に散って見せましょう」と言って敵陣へ切り込み非業の最期をとげた。向かってくる2、30人の敵に立ち向かい、大将と見るや取っ組み合いのすえ、馬で駆け寄り大男をひっつかんで引き摺り下ろし、自分の馬に押しつけ、あいている片手で大将の首をねじ切ったという。あなおとろしや。

■弥陀夜叉
信田(しだの)小太郎の臣下だった浮島太夫の妻。
信田は「しのだ」とも読むが、幸若舞の謡曲に「信田」があり、小太郎はその主人公。
霞ヶ浦の人で、将門の子孫だったという。
家来の小山行重に領地を奪われて信田一族は浮島太夫を頼って霞ヶ浦に隠れた。そこへ小山の追っ手が・・・。激戦につぐ激戦の中で、浮島太夫の妻・弥陀夜叉(名前からして凄い)はヤグラの上に登って全軍を指揮。やれ、あっちから攻めるのじゃ!こっちから攻めんかい!と大号令。そのうちについに痺れを切らし、自ら鎧兜に身を包み騎馬のうえ敵陣に突っ込んでいったのだった。このとき弥陀夜叉56歳。当時ではいいお婆さんである。敵陣深く突入した彼女、最期は夫・浮島と刺し違えて見事に散ったという。

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ここまでは、あくまでも軍記物、すなわち小説の世界である。ところが公式記録である『吾妻鏡』には彼女たちのモデルとも言うべき実際の勇猛な女性が記録されている。
■板額御前(はんがくごぜん)
板額御前と言うは、この女の額が板のように広くて固かったためであるそうな。
筆者が高校生の頃、学校の女体育教師で”鬼瓦”というあだなのおっとろしい、いかつい顔の先生がいて、代々おそれられていたが、きっとそんな女性だろう。くだんの女教師はなぎなたの先生であった。
ところが『吾妻鏡』は御前は「中国の麗人・陵薗妾にも劣らぬ美人」だったと書いている。顔が板のようなのに美人とはこれいかに?
弓が達者で百発百中。
越後中条の、鎌倉に反旗を翻した城資盛(じょう・すけもり)の一族であったという。
幕府軍に弓で立ち向かい、ばったばったと倒していくが、幕府軍もバカじゃない。裏に回って弓矢で彼女をねらった。すると矢は彼女のフトモモを貫き、もんどりうって彼女は倒れこむ。御前が倒れたと聞くや、味方は総崩れ、結局大敗北したという。
板額御前は生け捕りにされ鎌倉へ連行。ときの将軍は二代目・頼家。将軍、一目彼女を見てみたいと鶴岡八幡宮までつれて来させた。鎌倉中の民衆もぜひおがみたいと集まってきた。
このとき甲斐の御家人・浅利義遠歩み寄り「犯罪人と言えども、この義遠、このおなごを妻にしたい。男子を産ませて強い跡目を儲け、ぜひとも将軍に今後役立ちたい」
ようするにそういうのがタイプなのじゃないかと思うが?
「物好きだ」「蓼食う虫も好き好きじゃなあ」と周囲は嘲笑したが、いさいかまわず御前を譲り受けて連れ帰ったという。男装の麗人にほれた坂東武者の実話である。


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