「今のところ、ふつう井戸というのは、弥生時代から出てきます。第一〇回春日井シンポジウムで発表しました福井県の堀大介さんの「井戸の成立とその背景」(『古代学研究』第146号 1999)という論文を読んでみますと、弥生時代の井戸が出はじめる遺跡は、青銅器を製作している遺跡が多いということです。」(森浩一「日本人と水」『第12回春日井シンポジウム 水とまつりの古代史』大巧社 2005)
■青銅器製作でできる原料やスクラップは一度洗って水冷する必要がある。鉄器で言う”鋳物洗い”(いもあらい)のようなことだろう。ゆえに堀大介は弥生時代の当初の井戸は金属器生産遺跡にあり、決して農耕の灌漑用などには結びつかないのだと報告している。
この問題はさらに検証を必要とするだろうが、農耕、特に稲作が最初、直接水の湧く山の端の扇状地で開始されることと矛盾しない。
この問題はさらに検証を必要とするだろうが、農耕、特に稲作が最初、直接水の湧く山の端の扇状地で開始されることと矛盾しない。
■まっすぐ掘った井戸というものは縄文時代にはまだないようだ。とすると竪穴井戸掘削技術は弥生時代倭人が持ち込む渡来技術であると考えられる。こうした縄文時代の井戸は、今の井戸のような竪穴をまっすぐ穿ったものではなく、中近東やエジプトにあったような階段をぐるぐると下りていく方式で、たとえば栃木県小山市の寺野東遺跡などに散見できる。水源まで降りて行き、そこに水汲み用の踊り場があって、そこから水を汲み、また階段を持って上がることになる。
■池上曽根遺跡のある大阪の和泉地方の地名は、式内社泉井上(いずみいのいうえ)神社に由来すると見られ、この神社には往古の湧き水が湧いていた泉がある。今は枯渇しているが、昔はここに湧く水を池に貯め、禊していたのだろう。和泉という地名表記は良字ふた文字表記が指示された奈良時代からである。もとは泉ひと文字だった。『日本書紀』欽明14年には「河内国泉郡」とある。
■京都市の御池通りという地名は、近くに神泉苑の神泉池があるからである。平安京の伏流水がこの池に湧き上がるので、いわば平安遷都のシンボルであり、きっかけでもあった。
■今でも雨の少ない福岡県には三苫長浦遺跡という遺跡があるが、ここには九つの溜池が存在した。ここの溜池はまったく灌漑設備を伴わず、貯めた水がじわじわと地中にしみでていって近くの水田を潤すという不思議な「水漏れ池」構造である。
福岡県には長野小西田遺跡という、縄文時代からの水場がある。木製品を沈めておき、木材を反らせたりする作業場が併設されている。
福岡県には長野小西田遺跡という、縄文時代からの水場がある。木製品を沈めておき、木材を反らせたりする作業場が併設されている。
■弥生時代になると竪穴式の井戸が作られるが、意外に遅い。稲作に井戸は不可欠という現代人の考え方は、どうやら常識にとらわれた見方のようである。井戸は鉱物や木工品製作に用いられることが多かった。灌漑施設として応用されるのはかなり遅くなるようである。河川沿いの湿地帯での稲作地帯は河川の堰や堤、護岸工事が行われて、河川沿いの湿地帯が安全になるのを待つことになるのかも知れない。
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