■古代の弓矢を入れる道具に靫(ゆぎ)と胡籙(ころく)がある。
■靫は、弓矢を、羽を下にし、鏃が外に見えるようにした構造の武具である。
対して胡籙の方は、逆に羽を見えるように上にし、鏃が見えない構造の武具である。
概して靫は威嚇用武具、胡籙は実用武具と考えられている。
使用するときに靫ではやじりに手が触れてしまい怪我をする確立が高い。したがって靫負は実用武具ではなく、鋭い鏃を見せることに用途があったとみられる。
一方、胡籙の場合、羽を傷める可能性もあるが、少なくとも長時間背負っていても羽に圧迫はかかりにくい。
靫は五世紀に大流行したが、やがて実戦の増加したこと?のためか消えてゆく。つまりこの変遷は、いくさの形が6世紀前後に変化したためであろうかと筆者は思う。
対して胡籙の方は、逆に羽を見えるように上にし、鏃が見えない構造の武具である。
概して靫は威嚇用武具、胡籙は実用武具と考えられている。
使用するときに靫ではやじりに手が触れてしまい怪我をする確立が高い。したがって靫負は実用武具ではなく、鋭い鏃を見せることに用途があったとみられる。
一方、胡籙の場合、羽を傷める可能性もあるが、少なくとも長時間背負っていても羽に圧迫はかかりにくい。
靫は五世紀に大流行したが、やがて実戦の増加したこと?のためか消えてゆく。つまりこの変遷は、いくさの形が6世紀前後に変化したためであろうかと筆者は思う。
少なくともこれも磐井の戦争から、前と後で変わったと判断できる。
磐井と継体までのいくさは実戦よりも「にらみ合い」が多かったと考えられ、その証拠として六万の兵を率いていたはずの近江毛野と磐井は、にらみあっているばかりでなにもしていない。援軍としてやってきた大和の軍隊と磐井は戦ったのであり、毛野は援軍が到着するとさっさと半島へ向かった。毛野は軍隊を率いる軍人ではなく、おそらくナゴシエーターとしての外交官であろう。六万の軍隊を率いていたというのは『日本書紀』お得意の仮冒であろう。
磐井と継体までのいくさは実戦よりも「にらみ合い」が多かったと考えられ、その証拠として六万の兵を率いていたはずの近江毛野と磐井は、にらみあっているばかりでなにもしていない。援軍としてやってきた大和の軍隊と磐井は戦ったのであり、毛野は援軍が到着するとさっさと半島へ向かった。毛野は軍隊を率いる軍人ではなく、おそらくナゴシエーターとしての外交官であろう。六万の軍隊を率いていたというのは『日本書紀』お得意の仮冒であろう。
半島へ直結する玄界灘に面した那津(なのつ。墓田湾=今の博多湾)を飛び地のように掌握していた筑紫国造家は大和連合に匹敵、あるいはそれ以上の対外的な知名度と鉄器を持っていたはずで、大和はこの港を使えないこともすくなからずあったはずである。
『大王陵と古代豪族の謎』所収 森浩一「継体大王の古墳と磐井戦争」
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