歴史好事家・考古学好事家諸氏の中には、博物館や埋蔵物センターなどに出向いたときに、そこの学芸員や研究者、あるいはときに大学教授先生さまたちの、あまりの無知ぶりに驚かされた方も多いのではなかろうか?
著者などはしょっちゅうである。
それどころか、こちらが考え出した新説を学芸員にとうとうとしゃべったあげく、「なるほど!わかりやすいです」とほめあげられたこともあるし、言った説がそのまま時間を置いた訪問時に、言った本人である筆者に向って、まったく同じことを自信満々に解説されたことさえある。つまりぼくの顔をもう忘れているのに、ぼくの説だけはちゃっかりもらったわけである。
それどころか、こちらが考え出した新説を学芸員にとうとうとしゃべったあげく、「なるほど!わかりやすいです」とほめあげられたこともあるし、言った説がそのまま時間を置いた訪問時に、言った本人である筆者に向って、まったく同じことを自信満々に解説されたことさえある。つまりぼくの顔をもう忘れているのに、ぼくの説だけはちゃっかりもらったわけである。
考古学の博覧会で遺物の横に立っている学芸員などは、まずもって何を聞かれても何も知識のない人々で、ただ観客が展示遺物に手を触れないように、そこで監視しているだけの、仏壇の供え物みたいな人のことを言うのである。
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昔、別府大学が管理する装飾古墳公開に訪問し、石室内部装飾をつぶさに見せていただいた時に、たちくらみがして壁に手をついてしまったことがあった。
するとそばにいた将来の考古学者の卵になるであろう女子大生は、「大丈夫か?」の言葉も、手助けも一切なしでこうほざいた。「気をつけてください。壁画は文化財ですから、触らないようにしてください」
であった。この言葉、生涯忘れられない「人権侵害」であったと覚えている。
かろうじて彼女とその教授の名前だけはふせておいてやる。大学教授といえども学生の人間性が学問に優先しないのであれば、その人物は人類の外に置かれてよかろう。
するとそばにいた将来の考古学者の卵になるであろう女子大生は、「大丈夫か?」の言葉も、手助けも一切なしでこうほざいた。「気をつけてください。壁画は文化財ですから、触らないようにしてください」
であった。この言葉、生涯忘れられない「人権侵害」であったと覚えている。
かろうじて彼女とその教授の名前だけはふせておいてやる。大学教授といえども学生の人間性が学問に優先しないのであれば、その人物は人類の外に置かれてよかろう。
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「学者馬鹿」という言葉がある。
学者や研究者は、ひとつの分科した歯車については異常に詳しいが、肝心の森が見えない人種だという慣用句である。もっと完結に言うてやるならば「木を見て森が見えない」人種が学者、学徒なのであると笑われているのである。
学者や研究者は、ひとつの分科した歯車については異常に詳しいが、肝心の森が見えない人種だという慣用句である。もっと完結に言うてやるならば「木を見て森が見えない」人種が学者、学徒なのであると笑われているのである。
ところがそこいらの無名研究者がそうであるなら何も問題は起きないが、彼らの大元にいる権威的大学者がそういうことを書いてしまった例がある。
「日本古代の舟葬説について」(『西宮』第三号)
改題して今は「舟葬説批判」という題名。『古墳文化論考』1976年 平凡社
(作者名はあえてふせておくとするか)
改題して今は「舟葬説批判」という題名。『古墳文化論考』1976年 平凡社
(作者名はあえてふせておくとするか)
大阪府の仁徳天皇陵(大山だいせん古墳)の東側にある倍塚であろう塚廻(つかまわり)古墳発掘で出た舟形木棺(杉製品の舟そのもの?)についての大道弘雄に始まる舟葬論への痛烈な批判である。
ちなみに畿内考古学で船の形の木棺が出たのは初めてのことで、かなりセンセーションを学会に起こした。そしてこの木棺は間違いなく船の形をしていたのである。そして大道はこれが腐食していたために確定はできないがと権威・京都大学学派に気を使った書き方をして見せた。
先の学者が書いた批判内容は、直接には大道にではなく、その直後に1929年の群馬県の赤堀茶臼山古墳出土のゴンドラ形木郭発掘での後藤守一に対してである。内容は以下の通り。
先の学者が書いた批判内容は、直接には大道にではなく、その直後に1929年の群馬県の赤堀茶臼山古墳出土のゴンドラ形木郭発掘での後藤守一に対してである。内容は以下の通り。
「日本の古代には舟葬の風習が一般的であったと考えていたものが、実は、あるいは薄弱な根拠にたつものであったり、あるいは架空の上にたって、多くの考証を加えたことが、簡単に世人のうけいれるところとなって、のちに注意にのぼった粘土郭を、それこそ舟の形であると盲信する下地となり、舟そのものを棺の代用に使った例の発見を、将来に期待するまでになったのである。」
強烈で冷ややかな関東の「いなか学者」への酷評・冷笑である。
今なら人権侵害になるだろう。
今なら人権侵害になるだろう。
後藤はその後、明大考古学を築き上げた大学者となる。
そして西都原で有名な舟形埴輪を発見するのである。
そして西都原で有名な舟形埴輪を発見するのである。
1954年、京都大学で日本考古学会第14回総会が開かれ、今は考古学会の長老となった若き日の大塚初重(現在明大名誉教授)が「舟形石棺に関する二・三の問題」という論考を発表している最中、K教授やI教授ら京大権威大先生諸氏の大ブーイングと批判を浴びて立ち往生する。
これで完全に舟葬についての明大派閥からの論考は失墜し、考古学は数十年立ち遅れてしまうのである。
これで完全に舟葬についての明大派閥からの論考は失墜し、考古学は数十年立ち遅れてしまうのである。
しかもなおさらひどいことにKやIは意気消沈ししょげかえっていた大塚を出口で待ちうけ、飲み屋に誘い、恥の上塗りをさせたのである。
案ずるに、もしやKたちももう舟葬の存在は認めつつも、京大諸先輩がまだ存命であったために、そうせざるを得なかったのかも知れないが、あまりにも考古学の将来を見る目のない行為である。
ここまでの参考文献辰巳和弘『他界へ翔る船』2011
案ずるに、もしやKたちももう舟葬の存在は認めつつも、京大諸先輩がまだ存命であったために、そうせざるを得なかったのかも知れないが、あまりにも考古学の将来を見る目のない行為である。
ここまでの参考文献辰巳和弘『他界へ翔る船』2011
これ以降、考古学は信頼感を失墜した。そして日本古代史の中心には神話学・文献学がどっかりと根を下ろしてしまったのである。京大考古学は自分で自分の首を絞めることに成ったのであった。馬鹿なことである。
この文献史学中心主義こそが日本の考古学者を随分長い間「文献学者のつかいっぱしり」状態に追い込んだことは実に情けない話しではあるまいか?
この文献史学中心主義こそが日本の考古学者を随分長い間「文献学者のつかいっぱしり」状態に追い込んだことは実に情けない話しではあるまいか?
これがかの「三角縁神獣鏡」卑弥呼の鏡だ、分配説だとした大学者がやったことである。
そしてこれが学閥と徒弟制度の悪癖であり、数十年前までの学者の人間関係相関図から出ていることは「人間」学徒のああ無情であるとしか言いようがない。日本の考古学はこれで数十年足踏みをする。
その後、続々と天鳥船としての舟形石棺、舟形木棺、舟形郭の発掘は続いたが、マスコミは一顧だにしなかった。そしてついに前回も書いた洞穴石郭が発見された。ようやくマスコミが飛びついたのは、KやIがすでに他界して、鳥船に乗って昇天していたからだろう。
つまりなぜ京大が鳥船を無視しようとしたかというと、それが民俗学・神話学そして九州考古学から出た論考を必要とする理論だったからである。
民俗考古学はいまや大流行しているが、KやIの時代に、民俗学なんぞは「だじゃれ話し」オンパレードの漫画扱いだったのである。この間違いだらけの戦中派近畿にしか通用しない権威的常識を叩き壊していったのが森浩一を中心とする同志社大学の「古代史学」である。だから筆者は森浩一をもっとも尊敬し、信頼できる学者だと思っている。
現在、船の形の石棺や木棺が近畿で出てくるのは、九州からの来訪者のあった証拠品として充分認知されるようになった。もう当たり前の話になっている。
学者とはこのような集団だった時代がある。
そして彼らの「亡霊」は今もまだ畿内説学者の多くをとりこにしたままである。一般好事家の誰もがそんなものを信じていないのに、彼らは何か発見があるたびに神獣鏡を持ち出してくる。『日本書紀』を持ち出してきて「はじめにヤマトありき」と呪文を唱えるのである。するとまったく勉強していないマスコミだけが走り回り、すわ「邪馬台国はヤマトだあ~~~!!」と宣伝してくれるのである。馬鹿が間抜けを養育し、金が動いて村おこしになるからやめられない。視聴率、購買率上昇のためには嘘も方便ある。
すくわれない。学問が金で動く時代を作ったのだ、コバヤシさん。サハラさん。イトウさん、あんたがたは。
そして彼らの「亡霊」は今もまだ畿内説学者の多くをとりこにしたままである。一般好事家の誰もがそんなものを信じていないのに、彼らは何か発見があるたびに神獣鏡を持ち出してくる。『日本書紀』を持ち出してきて「はじめにヤマトありき」と呪文を唱えるのである。するとまったく勉強していないマスコミだけが走り回り、すわ「邪馬台国はヤマトだあ~~~!!」と宣伝してくれるのである。馬鹿が間抜けを養育し、金が動いて村おこしになるからやめられない。視聴率、購買率上昇のためには嘘も方便ある。
すくわれない。学問が金で動く時代を作ったのだ、コバヤシさん。サハラさん。イトウさん、あんたがたは。
やすらかに。
もうヨミガエラナクテいいからね。
もうヨミガエラナクテいいからね。
前世紀の異物たち。
結界の直孤文を墓にはるべし。
破鏡で周囲を囲むべし。
葉っぱの絵柄をさかさまに描き、蕨手紋はまっすぐに描くべし。
破鏡で周囲を囲むべし。
葉っぱの絵柄をさかさまに描き、蕨手紋はまっすぐに描くべし。
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コメント
コメント一覧 (1)
馬鹿が多いから先に書いておく。
kawakatu
がしました
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さんログアウト
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