◆閖上(ゆりあげ)
「古来この地は,「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から,「ゆりあげ浜」と呼ばれていました」
http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/8aa4401d43753f297d0581b929248201
それが・・・
「昔、何代目かの殿様が大年寺の参拝を終わって、石段を降りかけると、惣門内から遥かに名取川が生みにそそぐ河口付近の水が光って見えたので、近侍の者に「あれは何処か」と訊ねた。近侍の者が「ゆり上げで浜でございます」と答えると、殿様は即座に「門の中に水が見えたのであるから、これからは門の中に水を書いて『閖上』とするように」と命ぜられたことに始まったといわれている。また、地元では承応年中(一六五二~一六五五)に火災が頻発したので、この地の水門神社(湊明神)の神託を乞うたところ、神名を地名にすれば永く火災を除くといわれ、神名{水門」を一字に合成し「閖」と作字して地名にあてたという。 」
http://taihakumachikyo.org/taihk/taihk088/index.html

というのが一般的な町内の伝承。
その元になった記録は以下のごとく。

『封内風土記』に曰く
閖上は「古くは「名取の浦」と呼ばれていた。名取川河口の南岸に位置する。
地名の由来は養老三年(七一九)海岸に十一面観音像がゆりあげられたので、ゆりあげ浜と称したという。
「封内風土記」吉田村の項によれば、この仏像はその後吉田村の高館山に移されて羽黒権現として祀られ、のち熊野那智権現と号するようになったといわれる。」

◆文字由来
「閖上の「閖」の字は「奥羽観蹟聞老志」に「按ずるに閖字未だ字書に見えず俗間用い来る」とあるように,従来の漢字にはなく仙台地方だけの文字である(宮城県地名考)。
この文字の成立については,千代藩主綱村が大年寺に参拝したとき,山門内からゆりあげ浜を見て,門構えの中に水を書いて閖上とせよといってできたという(宮城県町村合併誌〉。
 また,水門(ミナト)明神の神託により,神名を地名にしたともいう(閖上風土記〉。
伊達政宗が豊臣秀吉からもらい受けた門をそのまま船で運び,この港から水上げしたので閖上の地名が生まれたとの説もある(朝倉日本地名大辞典〉。」


「古くは「名取の浦」と呼ばれたこの地が何時の頃から「ゆりあげ浜」と呼ばれるようになったか分かりませんが、古くは「淘(ユリ)上浜」「淘揚浜」と表記されていたようで、この「淘」も「淘汰」などの様に「振るい分ける」動作を表します。」
以上ここまでの引用元 http://blog.goo.ne.jp/amachan_001/e/8aa4401d43753f297d0581b929248201

◆「ゆり」
「「ゆり」は「ゆら」にも通じ、海岸の緩やかな砂地や平地。                   「あげ」は陸や丘、川の沿岸の微高地
 閖上はまさにこの地形通りの様相を呈している。」
http://baba72885.exblog.jp/16446589/

「ゆり」には「揺れ」「淘汰された地質」の意がある地名もある。
表記は「百合」「由利」「由里」「有里」「由梨」「由良」などがある。

◆由利鎌之助(ゆり・かまのすけ)
「由利 鎌之助(ゆり かまのすけ)。『真田三代記』にも、由利鎌之助の名で登場する。講談本の立川文庫には、『真田三勇士 由利鎌之助』の巻がある。十勇士の由利鎌之助は、「史実の彼を元にしている」という説と、「創作された架空の人物」という説がある。鎖鎌の名手。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%8D%81%E5%8B%87%E5%A3%AB#.E7.94.B1.E5.88.A9.E9.8E.8C.E4.B9.8B.E5.8A.A9

「由利の地名についてその由来を考えると、地名辞書には、古書に郡名を百合、油理、油里、由理等と記され、元禄時代に現在の由利郡に改められたといっている。」
http://www.city.yurihonjo.akita.jp/yashima/kinenkan/yuritimei01.htm

由利氏が製鉄氏族であることは伝説の人物・由利鎌之助という名前から想像できる。
由利氏のい「ゆり」は淘汰由来であろう。つまり俵藤太の「とうた」と同じ鉱物淘汰=ゆりである。

◆「ふきあげ」
「ゆりあげ」の「あげ」は吹き上げるだろうと思う。
大分県日田市に吹上遺跡がある。製鉄遺跡が出た弥生時代の遺跡。
「吹き上げる」とは今は家屋の塗装や瓦を葺くなどに用いるが、かつては火を用いて炊き上げることにも使われた。この場合は製鉄を意味する。
刀を携帯することを古代から中世にかけて「はく」と言った。
「ふく」も「はく」も呼吸を意味する言葉から出ている。今は「ズボンを履く」「靴を履く」などに用いられる。
製鉄のたたら、ふいごによる生成過程から、その業物を持つことも人の呼吸に例えたのだろう。


◆相模国ゆるぎ郡
淘綾郡(ゆるぎぐん)。
淘綾郡(ゆるぎぐん)は相模国にかつて存在した郡である。
現在は中郡と平塚市にあたる。
「なか」は海人地名である。
古代の律令制下では余綾郡(よろぎぐん・よろぎのこほり)と表記された。相模国中部、大磯丘陵南側の相模湾沿岸部をその領域とする。近世以降は淘綾郡と表記することが多くなり、明治政府による郡編制の際にもこの表記が採用された。
「よろぐ」と「ゆるぐ」は同じ意味の異訓。よろめく、くるめく、ゆらぐのこと。
古代余綾郡の郡衙は現在の大磯町国府本郷付近にあったと推定されている。

「大磯町洪水・津波ハザードマップの概要」によれば
「大磯町では、河川改修や浚渫などで10年以上に渡り大きな浸水被害は見られませんが、近年はゲリラ豪雨で、今までは予想されないほどの雨量が短時間で降る現象が見られるようになりました。また、東海地震、神奈川県西部地震、神縄・国府津-松田断層帯地震といったさまざまな地震の発生が危惧され、相模湾に面した大磯町では地震だけでなく津波による被害も想定されます。 」
http://www.town.oiso.kanagawa.jp/bosai/saigai/hazardmap/hazardmap.html
とされており、神縄・国府津-松田断層帯が過去幾度かの大地震を引き起こしてきた。つまり淘綾郡(ゆるぎぐん)は活断層の上にあり、これは地震・淘汰や断層双方がある土地としていいだろう。

◆平塚市博物館「大磯型地震を起こす国府津ー松田断層」
「国府津−松田断層は大磯丘陵の西縁に沿って、 国府津から松田にかけて走る活断層で、A級の変位量を持つ活断層(逆断層)として知られています。しかし、歴史時代に活動したことがありません。この断層の活動により、大磯丘陵が隆起し、足柄平野が沈降すると考えられています。5万年前に箱根火山から噴出した火砕流堆積物(箱根新期軽石流)の高度は、この国府津−松田断層を境に、200m以上変位していることから、国府津−松田断層の変位速度は、4m/1000年となります。
 1923年の関東地震では、国府津−松田断層を挟んで、大磯丘陵も足柄平野も共に1.8m程隆起しました。」
http://www.hirahaku.jp/web_yomimono/geomado/jiban07.html

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つまり地震・地殻変動と鉱物圧縮・淘汰地名はリンクすることが多く、両方の意味を持たされていることがわかる。そこに製鉄遺跡や鉱山があるのは必然ということになる。

このように旧地名にはさまざまのヒントが含まれている。昨今それがどんどん地名変更されている。
●●ヶ丘、●●台などと耳に高級なイメージで変更されてしまうと、新たな住民になんの危険も教えてくれなくなってしまう。

このような地名がかつてつけられていて、しかも近くに横穴古墳があるところなどは充分に注意が必要だろう。横穴古墳の被葬者は職能民の親分であり、彼らの仕事の多くは鉱山採掘だったからである。そして彼らの切り出した鉱物を運んだのが船の民であるから、当然、海人地名である「那珂」「那賀」「中」ともリンクする。

温故知新とはまさに歴史を知って今を知ることなのだ。


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