この紀行シリーズは書庫「九州の旅 蛇と鉄と海と太陽」カテゴリーにまとめた。
都合4日間のガイド旅行であった。
都合4日間のガイド旅行であった。
初日・・・宇佐の真薦と米神山ドルメンの旅
二日目・・英彦山修験道と王塚古墳・遠賀川から遡上した渡来人たちと日田
三日目・四日目・・・阿蘇の鉄とうなりと生贄・中通古墳群と蛇神
二日目・・英彦山修験道と王塚古墳・遠賀川から遡上した渡来人たちと日田
三日目・四日目・・・阿蘇の鉄とうなりと生贄・中通古墳群と蛇神
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◆阿蘇谷
9万年ほど前というから地史としてはつい最近のことである。
阿蘇噴火によってできたドーナツ型カルデラの北部を阿蘇谷と呼ぶが、観光名所である大観峰(だいかんぽう)から眼下に見える千畳敷の水田盆地である。
9万年ほど前というから地史としてはつい最近のことである。
阿蘇噴火によってできたドーナツ型カルデラの北部を阿蘇谷と呼ぶが、観光名所である大観峰(だいかんぽう)から眼下に見える千畳敷の水田盆地である。
大観峰は太古阿蘇連山の裾野にあたる外輪山にある。いつも書くことだが九州島は日本列島本土の中でもっとも新しく隆起した島で、中でも阿蘇が持ち上げた中央部から有明海まではわずか27万年前と歴史がさらに新しい。九州島周辺部の隆起が270万年前であるからひとけた新しい土地が熊本県に集中していることになる。
隆起が新しい土地には固い鉱物がまだ生まれていない。
鉱物の多くは何度もの揺れ、圧縮の長い長い歴史からようやく生まれる土壌の結晶だと言える。だから九州で鉱山を探すならばそれは阿蘇周辺よりも九州島の周辺部にあることは知っておく方がいい。
◆隆起が新しい土地の鉱物・リモナイト
では熊本・阿蘇あるいは久住周辺にまったく鉱物がないかと言うと、そうではない。しかしそれらは圧縮によって生じた硬質な鉱物ではなく、久住山の硫黄であったり、ここ阿蘇谷のリモナイト(黄鉄鉱)である。リモナイトができあがるメカニズムは「スズ鉄=高師小僧」とよく似ている。
阿蘇谷はかつてカルデラ湖だった時代が長かった。それで葦の湿原に鉄を好むアメーバが集めた黄鉄鉱成分が異常に多量に広域にできあがった。
現在もこの黄土から鉄粉が、日本リモナイト工業によって精製されている。
この黄土は一般にベンガラとも言われている。
古代人が死者の体に魔よけとして塗りこめた、あるいは戦いの際にも顔や体に塗りこめて傷を受けない魔よけとした。さらに縄文時代後期からは鉄分を用いて簡易な製鉄さえ行われる。
では熊本・阿蘇あるいは久住周辺にまったく鉱物がないかと言うと、そうではない。しかしそれらは圧縮によって生じた硬質な鉱物ではなく、久住山の硫黄であったり、ここ阿蘇谷のリモナイト(黄鉄鉱)である。リモナイトができあがるメカニズムは「スズ鉄=高師小僧」とよく似ている。
阿蘇谷はかつてカルデラ湖だった時代が長かった。それで葦の湿原に鉄を好むアメーバが集めた黄鉄鉱成分が異常に多量に広域にできあがった。
現在もこの黄土から鉄粉が、日本リモナイト工業によって精製されている。
この黄土は一般にベンガラとも言われている。
古代人が死者の体に魔よけとして塗りこめた、あるいは戦いの際にも顔や体に塗りこめて傷を受けない魔よけとした。さらに縄文時代後期からは鉄分を用いて簡易な製鉄さえ行われる。
阿蘇谷は今もなお次々に黄土を生み出し続けている。太古のアメーバが湿気の中に生きているからである。掘り出した穴に雨水がたまると、彼らは眠りから醒めて再び活動を開始するのである。
黄土は乾燥すると黄色いが、燃やして酸化すると赤くなる。
工場区域内は一面に鉄サビ色で、鉄の匂いが満ち満ちており、息苦しくなる。
作業員の長靴も、軍手も、家屋の床さえも鉄色であった。
黄土は乾燥すると黄色いが、燃やして酸化すると赤くなる。
工場区域内は一面に鉄サビ色で、鉄の匂いが満ち満ちており、息苦しくなる。
作業員の長靴も、軍手も、家屋の床さえも鉄色であった。
◆鉄と真薦
宇佐神宮のご神体は二つあって、ひとつは田川郡香春岳から採れる銅から作った鏡、今ひとつは元宇佐八幡薦神社の三角池(みすみ・いけ)に生える葦の仲間のコモを編み上げて作る葦船である。
なぜコモを使うかと長らくわからずにいたが、どうやらアシやコモがスズ鉄を集めるからであろうかと行き着くことができた。
宇佐神宮のご神体は二つあって、ひとつは田川郡香春岳から採れる銅から作った鏡、今ひとつは元宇佐八幡薦神社の三角池(みすみ・いけ)に生える葦の仲間のコモを編み上げて作る葦船である。
なぜコモを使うかと長らくわからずにいたが、どうやらアシやコモがスズ鉄を集めるからであろうかと行き着くことができた。
天孫も真床御衾(まとこ・おぶすま)というアシで編んだ船にのって降臨する。こうした伝承は西欧のダビデの葦船での遺棄説話からの着想であろうかと推測可能である。記紀神話や神武東征神話、聖徳太子伝説の多くがこうした中国から経由した西欧英雄譚を元に考え出されたことはすでにここに分析記事をいくつも書いてある。まず間違いない。
宇佐が鍛冶神だと言われる所以は銅鏡と鉄を集めるコモがご神体であることからまず確定していい。
阿蘇の阿蘇神社や国造神社にまつわる御田祭の田歌を前の記事に掲載したが、そこでも真薦が歌いこまれている。農具としての鍬やスキにも古くから簡易製鉄は欠かせなかったのだろう。軍事的な強度の高い製鉄はだいたい本格的ないくさの時代になって殺人集団だった武家が必要としたことから生まれている。
いくさに無関係な民間・祭祀世界では営々としてスズ鉄よる簡易製鉄は引き継がれてきたことだろう。
いくさに無関係な民間・祭祀世界では営々としてスズ鉄よる簡易製鉄は引き継がれてきたことだろう。
◆鉄の氏族と装飾古墳
装飾古墳を持つ北部九州氏族は死ぬと壁画の中に蛇と蛇の目を描かれる。
彼らの多くは海の民の管理者で、倭人である。
その1で貼り付けた画像の一番目に福岡県筑後川沿線の浮羽郡日ノ岡古墳石室側壁壁画があるが、これを見ても、一つ一つのパーツは▲や同心円の連続であるが、少し離れてみると、その全体像が幾何学的に描かれた赤い蛇体(おそらくヤマカガシか)であることに気がつく。
もう一度レプリカを貼っておこう。王塚古墳館展示ミニチュアである。
装飾古墳を持つ北部九州氏族は死ぬと壁画の中に蛇と蛇の目を描かれる。
彼らの多くは海の民の管理者で、倭人である。
その1で貼り付けた画像の一番目に福岡県筑後川沿線の浮羽郡日ノ岡古墳石室側壁壁画があるが、これを見ても、一つ一つのパーツは▲や同心円の連続であるが、少し離れてみると、その全体像が幾何学的に描かれた赤い蛇体(おそらくヤマカガシか)であることに気がつく。
もう一度レプリカを貼っておこう。王塚古墳館展示ミニチュアである。
福岡県の遠賀川沿線にある王塚古墳装飾も蛇のうろこをデザイン化した同志社大学紋章のような絵で石室全体をまず覆いつくした上にさまざまな武具や馬や金印紫綬(双脚輪状紋)などが描かれている。つまりベースにあるのはやはり蛇である。
◆蛇とは何か?
三輪山の神・大物主も蛇体であったというが、その実態は出雲の大国主のような「大穴」=鍛冶の氏族
だと言えよう。敗れた古い銅器の氏族の総称であり、奈良吉野や熊野にいた縄文系土蜘蛛たちもその中に入る。縄文人の簡易製鉄の歴史は相当古いと考えたい。というのは記録にある坂上田村麻呂一行が浜辺に鉄を置いておいたら、布と交換に蝦夷が持ち去ったという話しからも、蝦夷縄文人の古くからの製鉄知識の存在は想定可能であるからだ。
三輪山の神・大物主も蛇体であったというが、その実態は出雲の大国主のような「大穴」=鍛冶の氏族
だと言えよう。敗れた古い銅器の氏族の総称であり、奈良吉野や熊野にいた縄文系土蜘蛛たちもその中に入る。縄文人の簡易製鉄の歴史は相当古いと考えたい。というのは記録にある坂上田村麻呂一行が浜辺に鉄を置いておいたら、布と交換に蝦夷が持ち去ったという話しからも、蝦夷縄文人の古くからの製鉄知識の存在は想定可能であるからだ。
その鉱脈のことを「蛇」と言う。
あるいはムカデともツルとも言うが、鉱脈を探すときの指標となる「スジ」のことである。
また蛇は陽物として生命力の根源とされてきた。いわゆるサエノ神の中で男根の形で祭られてきたのがまさに蛇の頭部の形に類似する。その生命力の象徴である蛇がとぐろを巻く姿は、渦巻き=永遠の命、生命の再生を示していることになる。三輪の大物主がとぐろを三重に巻いた大蛇であるのも、陰陽五行に見合っている。つまり縄文人はすでに原始陰陽と神仙思想を知っていたということになろう。海の民だったからである。
あるいはムカデともツルとも言うが、鉱脈を探すときの指標となる「スジ」のことである。
また蛇は陽物として生命力の根源とされてきた。いわゆるサエノ神の中で男根の形で祭られてきたのがまさに蛇の頭部の形に類似する。その生命力の象徴である蛇がとぐろを巻く姿は、渦巻き=永遠の命、生命の再生を示していることになる。三輪の大物主がとぐろを三重に巻いた大蛇であるのも、陰陽五行に見合っている。つまり縄文人はすでに原始陰陽と神仙思想を知っていたということになろう。海の民だったからである。
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