◆阿蘇の田歌
     ひとつ歌いてこの田の神に参らせう
     神も歓ぶ 田主も 植えて歓ぶ
     
     吹けや浜風 なびけやササの若立て
     ササの若立て枝うちはえて雑々めく
     枝は雑々めく殿ばら心雑々めく
 
     宇奈酒飲むには 肴がのうては飲まれぬ
     肴さかなと買うたれば まこもヶ池の子持ち鮒
     二番肴と乞うたれば 瀬帰山越ゆる雁の鳥

     阿蘇に住みたや坂梨越えて
     宮の地宮地名どころや お宮に楽は絶えせぬ
     まいれば諸作はこころのままに実らせう
     天が下に国土もおだいに
     五穀成就して  人民ますます繁栄
http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/aso.html



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「熊本阿蘇国造神社の虫送り行事の生娘「うなり」は顔を白い布で覆い隠し、頭に(阿蘇の神への神饌の品々を入れた)櫃(ひつ)を乗せて炎天下、水田のあぜ道を行進した挙句、神の前で自決し、自らが生贄となった・・・」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54099622.html

窪田蔵郎『増補改訂鉄の民俗史』によると、うなりは「宇成」と書いて、鉱山労働者のための給食係・・・すなわち今も炭焼き用語として残っている「かしぎ」のことを指した言葉らしい。
うなりはもとは月経を終えた老婆の役目であった。
それは山に女性が入れないという禁忌から始まる。月経は「赤不浄」であるから、それがない老女ならば不浄の心配がないわけである。実際、「ねこばば」「やりてばばあ」などの言葉はまかないの老女が砂金などをよく盗んだことから生まれてきた言葉で、昔から男女の心配事の必要がなくなった老女たちが山に入って賄いをしている話は宇江敏勝もちゃんと書いている。
阿蘇神社のこの祭りは、だから山師の元締めである阿蘇神社、国造神社へ山の神への食べ物(みけ)を運んだのが始まりだと解明できる。阿蘇大宮司は阿蘇氏出身者であり、鉱山労働者の元締めであるから理屈がちゃんと通る。
2007/4/26 かわかつワールドより転載
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