去る10月16日にン十年ぶりに公開された大分県日田市のガランドヤ古墳。
現地説明会へ行った蕨手氏ブログから画像をいくつか・・・。
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/51297506.html
現地説明会へ行った蕨手氏ブログから画像をいくつか・・・。
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/51297506.html
図にするとこんな風である。
大の字にたっている人物・・・大太=魔よけ
船=もがり船・天の鳥船
亀=玄武
鳥
馬
×や○の幾何学模様などが描かれている。
おそらく古墳時代の靫負氏族である日下部氏か弓連だろう。
日田は「天のやちまた」なのであり、狗奴国と女王国の中間地点。
英彦山を越えると王塚古墳へ出るし、東へゆくと玖珠に円紋氏族が、南へゆけば浮羽の的臣、西へ行けば奴国・伊都国へ出られる場所。
アカホヤ火山灰地層の真上にあり、豊前・遠賀への通り道でもある。
倭五王時代には宰相大伴氏の傘下にあったと思われる。
装飾古墳は海人族系氏族のステータスだ。
継体大王と戦った筑紫国造とは同盟関係にあった。
大分県は地形が起伏が多く、川や海で筑紫・有明海氏族とつながったため、真ん中の山間地帯には装飾古墳がなく、あるのは日田・玖珠をのぞくとみな海岸線沿いに点在している。
まとまりがないように見えるだろうが、船を使って日向にまで足を伸ばせた。
海岸線を利する氏族だったゆえに中央の海部が置かれ、その散漫な点在氏族をとりまとめようとしたのだろう。大分君も日田にいたのか大分にいたのか臼杵にいたのか意見はまとまらない。
拠点があやふやだが、日田・玖珠氏族はあきらかに筑紫文化で福岡と一括される文化が広がった。
豊前の秦氏や修験道で周防灘の渡来系とも親しくし、遠賀川の渡来氏族とも、宇土・有明とも、菊池とも阿蘇とも近しかったはずであり、まさに「八街」の土地である。
中国から錯眼鉄鏡をもらえるほどの有力海人族がいたのであろう。
大の字にたっている人物・・・大太=魔よけ
船=もがり船・天の鳥船
亀=玄武
鳥
馬
×や○の幾何学模様などが描かれている。
おそらく古墳時代の靫負氏族である日下部氏か弓連だろう。
日田は「天のやちまた」なのであり、狗奴国と女王国の中間地点。
英彦山を越えると王塚古墳へ出るし、東へゆくと玖珠に円紋氏族が、南へゆけば浮羽の的臣、西へ行けば奴国・伊都国へ出られる場所。
アカホヤ火山灰地層の真上にあり、豊前・遠賀への通り道でもある。
倭五王時代には宰相大伴氏の傘下にあったと思われる。
装飾古墳は海人族系氏族のステータスだ。
継体大王と戦った筑紫国造とは同盟関係にあった。
大分県は地形が起伏が多く、川や海で筑紫・有明海氏族とつながったため、真ん中の山間地帯には装飾古墳がなく、あるのは日田・玖珠をのぞくとみな海岸線沿いに点在している。
まとまりがないように見えるだろうが、船を使って日向にまで足を伸ばせた。
海岸線を利する氏族だったゆえに中央の海部が置かれ、その散漫な点在氏族をとりまとめようとしたのだろう。大分君も日田にいたのか大分にいたのか臼杵にいたのか意見はまとまらない。
拠点があやふやだが、日田・玖珠氏族はあきらかに筑紫文化で福岡と一括される文化が広がった。
豊前の秦氏や修験道で周防灘の渡来系とも親しくし、遠賀川の渡来氏族とも、宇土・有明とも、菊池とも阿蘇とも近しかったはずであり、まさに「八街」の土地である。
中国から錯眼鉄鏡をもらえるほどの有力海人族がいたのであろう。
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コメント
コメント一覧 (2)
kawakatu
が
しました
古代の九州は 国力あったのだとつくづく思います。
しかし 日本の教育 こんなの教えないとだめだ~
傑作&ランクリ
kawakatu
が
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