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◆『三国志』
「魏書」「呉書」「蜀書」から成る中国史書。
「東夷伝」はその文末付録である。
時代的背景は、魏・呉・蜀の三国が並立していた緊張時代の出来事を、最後に勝った魏のすぐあとを継いだ晋時代に書かれた史書。魏は勝つには勝ったが、すぐに晋に取って代わられている。晋を作ったのは魏の宰相だった司馬氏である。
「魏書」「呉書」「蜀書」から成る中国史書。
「東夷伝」はその文末付録である。
時代的背景は、魏・呉・蜀の三国が並立していた緊張時代の出来事を、最後に勝った魏のすぐあとを継いだ晋時代に書かれた史書。魏は勝つには勝ったが、すぐに晋に取って代わられている。晋を作ったのは魏の宰相だった司馬氏である。
◆倭人伝
三国志・魏書の中の付録記事「東夷伝」の中にある日本列島海岸部に住んでいた「倭人」に関する記録である。倭人伝は通称で、『三国志』「魏書」「東夷伝」倭人の条というのが正しい。
「東夷伝」中、もっとも文面を割いて記してある。
また登場する実在人物の数も九名と最多である。
女王国と、対立する南の狗奴国について書いてあるが、倭人の風習については両方が書かれていると見られている。
三国志・魏書の中の付録記事「東夷伝」の中にある日本列島海岸部に住んでいた「倭人」に関する記録である。倭人伝は通称で、『三国志』「魏書」「東夷伝」倭人の条というのが正しい。
「東夷伝」中、もっとも文面を割いて記してある。
また登場する実在人物の数も九名と最多である。
女王国と、対立する南の狗奴国について書いてあるが、倭人の風習については両方が書かれていると見られている。
◆倭人
倭国ではなく倭人のことを書いている。
つまり倭国という把握を当時の中国ではまだしておらない。
倭人が海人族で、舟を使い、広く東アジアの海岸線に拠点をもっていた、海上移動を中心にした人々だったからである。
ということは倭人が3世紀以前に中国南部や朝鮮半島からやってきた渡来異人種という捉え方が倭人のすべてとは言えない、縄文からの海人族も含まれるということになる。むしろそちらのほうが、九州北西部を占めていた甕棺氏族である可能性もある。
倭国ではなく倭人のことを書いている。
つまり倭国という把握を当時の中国ではまだしておらない。
倭人が海人族で、舟を使い、広く東アジアの海岸線に拠点をもっていた、海上移動を中心にした人々だったからである。
ということは倭人が3世紀以前に中国南部や朝鮮半島からやってきた渡来異人種という捉え方が倭人のすべてとは言えない、縄文からの海人族も含まれるということになる。むしろそちらのほうが、九州北西部を占めていた甕棺氏族である可能性もある。
このシリーズは数回続く
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