◆竹取と富士山
「『竹取物語』は物語後半で富士が舞台となり、時の天皇がかぐや姫から贈られた不老不死の薬を、つきの岩笠と大勢の士に命じて天に一番近い山の山頂で燃やしたことになっている。それからその山は数多の士に因んでふじ山(富士山)と名付けられたとする命名説話を記している。なお、富士山麓の静岡県富士市比奈地区には、「竹採塚」として言い伝えられている場所が現存している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1

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◆最初の舞台は綴喜郡
あまり言及する人はいないようだが、これは不思議な話である。
『竹取』ははじめは都の話で始まる。
舞台はおそらく奈良北部の筒木郡である。
そこは大住地名があって筒木宮があり、竹の名産地であるから、大隈隼人が竹を畿内に持ち込んだと分析できる。山背川(今の木津川)沿線で、近江の息長氏の系譜である大筒木垂根王(おおつつき・たりねおう)の支配地であり、その娘の名前がカグヤ姫であるからまずここが舞台だろうと以前分析した。
森浩一も同じことを最近の本で書いている(『萬葉集に歴史を読む』2011)。

そもそも垂根王という名前も竹の根がはっていて安定した土地から付いた名前である。

 竹の根の 根垂る宮 木の根の根蔓(は)る宮 八百土(やおに)よし い築き(いきずき)の宮(雄略記・三重采女)


◆近江の息長氏
大筒木氏の大元である息長氏が近江を本拠地にしたのは日本海交易で半島と深くかかわるためである。
商船氏族である。これは継体天皇時代からそうである。弥生時代の地形を見ると琵琶湖と福井の海岸は縄文海進ですぐだったことがわかる。琵琶湖から宇治川、木津川を使った畿内との百済貿易の出発点である。息長と葛城の血を引く神功皇后が新羅に攻め入るのも、そういうところから生まれた息長氏の伝説がもとだろう。

そして筒木宮がある大住周辺に隼人が置かれたのは、そこが奈良盆地への北の入り口だからであろう。今、JR奈良線~学研都市線が走る谷あいは、北からの唯一の低地である。

この筒木で亡くなった往古の姫がいる。
仁徳天皇の皇后だった葛城磐之媛(かづらきの・いわの・ひめ)である。
悲劇の女性で、仁徳は別の姫(八田皇女)を娶ってしまう。
磐之媛の主張に嫌気が差したのであろう。
その主張とは・・・
天皇の一夫多妻制に対する頑強な否定であった。
絶対に認めなかったのである。それで黒姫というもうひとりの妃は吉備へ帰ってしまう。
しかし今度ばかりは仁徳は八田皇女を選んでしまい、磐之媛自身が怒って故郷葛城へ戻る身の上になってしまう。しかし彼女はへこたれない人である。思わせぶりな歌を残す。

君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎えか行かむ 待ちにか待たむ 伝磐之媛詠歌・万葉集85

『古事記』はこの歌を衣通王(そとうしのいらつめ)の詠歌としている。万葉集はそれを磐之媛の方がぴったりと考えたのだろう磐之媛作とした。
彼は迎えに来るだろう、それを待ちに待っているからね・・・

ということで淀川を遡上してわざわざ遠回りして(女心であろうか)、筒木の巨椋池(おぐらいけ)から木津川周りで奈良県境の山背国筒木宮まで南下し、そこで留まるのである。なぜか葛城には戻らずに。
夫への思いを残した逃避行である。
しかし結局、「黒髪に櫛を入れることもせず、夫の迎えを潔斎して待ち続けた」姫は、筒木宮でついに死んでしまう。悲恋の物語。亡骸は近くのナラ山に葬られたと言う(佐紀古墳群ヒシアゲ古墳に比定)
この乃羅山が「なら」の由来かと見えるが、実は「ナラ」は京都の久世郡にもある。表記も「奈良」だった時代がある。

つぎねふや 山代川を
  宮のぼり わがのぼれば
  あをによし 那良を過ぎ
  をだて 大和をすぎ
  わが見ほし国は 葛城高宮
  吾家(わぎへ)のあたり
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/archive/2010/10?m=lc&p=4

これは里帰りのときの歌である。
そういう道順が当時では普通だったようである。
実に大回りするのだが、葛城氏が大住の隼人や大筒木氏とも深い関わりがあったからだろう。

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さてなぜ場面は突然富士山に変わるのだろう?
まず富士山の神を思い出していただきたい。
それはコノハナサクヤビメである。
この美女は父親が南九州の大山積である。
それでそもそも日本の山の神とは最初、大山積命であったのが、途中から中国の道教思想が入って女神に変わる。それが磐長媛とコノハナサクヤの姉妹であり、姉の磐長媛は山の岩石・鉱物を表している。
この信仰はつまり・・・やはり南九州の隼人起源であろうとなるだろう。
天孫降臨の霧島タカチホ峰の神は大山積である。その地域を姶良(あいら)と言い、阿多隼人の伝承では霧島の姫神は姶良都媛である。
そこでコノハナサクヤの行き場所、祭る神は西日本にない。新しい着想から生まれた姫だったからだ。そこで東国の山に持っていかれた。富士山になった。
そして面白いことだが、その信仰を東国一円に持ち込むのも尾張氏に付随していった隼人だっただろうとなるのである。

要するに隼人の最初の移住地である山背の話から、いきなり船で飛んだかのような富士山説話がどうしても付け加えたくなったということだろう。月から来たという話も調=つきであることから、それは底辺の税を産する人々のことだろう。

まさに海の民は神出鬼没である。
月には兎とカエルがいるというのは中国の神仙思想であるが、隼人たち海人族はその思想を日本で一番最初に知っていた人々である。そして民間人であることこそが、都を斜にながめて皮肉を言える立場でもあり、さらに朝廷は大隈隼人には完膚なきまでに別族として差別した気配が濃厚。まるで彼等がかつての狗奴国・熊襲だったかのような扱いをする。それが尾張氏の傘下になって東海、関東、東北までも北上する。関東に前方後方墳が多いこと、それが狗奴国の古墳ではないかという考古学者がいることなどは、いちいちぴんとくることばかりである。

竹取物語の舞台にはこのように隼人・息長氏などの海人族が大きく関わる。
そして一番面白いのは息長氏が天智・天武・持統に始まる日本最初の日本国朝廷の海の親であることであろう。これじゃあ、出汁にされた登場人物のモデルも文句は言えない。なにしろ相手は皇祖の親方である。神功皇后相手に文句を言う者などいない。なにしろ祟るのだから。

富士山は藤=葛=隼人が山ほど入って鉱物を探した山である。大生部も入っている。地名解説はこれが最も正しかろう。富士、久住(くずう)、葛城(かづらぎ)などの高い山・聖なる山の名はおおむね「葛」起源である。くず=ふじである。

月から来たとはつまりたか~~い山のてっぺんからおりてきた南方系縄文人の娘でいいだろう。
てっ辺に満月がかかるほどのお山のことであろう。


中秋の かぐや姫なる大本の 女神は大和の外の不思議な世界

そこは「埒外の人々がいた」からふじ・くずなのだ。

吉野も同じ。
葛城も。