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上野国は「こうづけの・くに」と読む。
一方下野国は「しもつけの・くに」である。
その前の表記は上毛野国、下毛野国(かみつけのの・くに、しもつけのの・くに)である。
今は上野、下野と書くことが多いが、最初は「毛」が入る。
おそらく「かみつみけの」の国、「しもつみけの」の国だろう。
「みけ」野である。
「御食野」の国だろう。

「みけ」は「みけつ」で神饌を差し出すところという意味である。
今の群馬県とその周辺だ。

古代、ここはお隣の埼玉県=武蔵国にあるさきたま古墳群に埋葬された豪族の手足となった職能民・技術者がいた土地であろうと思う。

日本で現在、前方後円墳の数が一番多いのがここである。(古墳全般ならば宮崎県西都原)
また古墳に立てる埴輪の数も近畿に匹敵するほど多い。
これは古墳に関わる土木関係者・土器製造者が山ほど群馬県にいた証拠でもある。
土師氏を筆頭に、佐伯氏、大生部なども多かっただろう。だから彼等の古墳も多いわけだが、その多くが小さいながらもちゃんと前方後円墳や前方後方墳で、その様式の時代に一気に入り、そして関東一円で勢力を増やし、その後、彼等から関東武士が出てきた可能性が充分に考えられる。
さらに渡来系技術者と蝦夷(えみし)系技術者も、早くから公民として同化していた。
そして以前も書いたが東海の尾張氏一族とその配下の海人族や隼人も大量に入った。いわばコスモポリタンな地域である。
またこれは関東・東北に共通するが、墨書土器が多い。
土器に顔面や文字を描いた、いわゆる念呪の土器である。
文字文化が関東・東北に早くから広がっていた証拠品でも或る。
7~8世紀には上野三碑(多胡・山ノ上・金井沢)という碑文の石が建てられた。

文字文化と民間信仰がミックスした不思議な空間だっただろう。
異国的である。

それで万葉集があつめた和歌や長歌が山ほど生まれたわけだろう。
文字と古墳と民間信仰で見れば、日本一の文化都市である。

もちろんその歌内容は稚拙でほほえましいものばかりだ。
奈良のような文化の薫り高い格調のある歌は少ない。

しかしその分、面白くて直情型で笑えるものが多い。

「毛」は産物である。
それが神饌になって「みけ」となる。
今、二毛作、三毛作などという言葉が西日本など温かいところで行われているが、この「毛」も産物のことである。年に二回作物が取れるから二毛作である。

なぜ東毛にはそういう集中地帯がなにのだろうか?

赤城山からの水が湧く東上野地域には古墳集中地帯がなく散漫としている。
一番問題だったのは活火山の榛名山の存在だろう。それは西毛が遠くの浅間山の噴火による火山灰で悩まされていたよりも頻繁にあったのかも知れない。

関東一円が、将門時代など、非常に開墾に苦労した、そのごろた石のほおとんどがこうした火山弾であった。古墳時代と六世紀の二回、榛名山は噴火している。

万葉集で八ヶ所に出てくる西毛地名がある。

伊香保である。
榛名山の麓に伊香保神社がある。

 伊香保峯に 雷(かみ)な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ

 伊香保峯とは榛名山である。
雷とは、そのままいなづまととってもよかろうが、火山の鳴動かもしれない。いずれにせよ古代人には榛名山は雷電の神がます山なのである。となると鹿島や阿蘇のなまず信仰をもたらすような人々も、古墳造営で入っていたかもしれない。阿蘇氏や多氏である。


思うのは、茨城の鹿島神宮などになまず信仰があることなどは、果たして今の地震学者の脳裏に少しでもあるだろうか?民間信仰がそれをタケミカヅチに相当させたという事実は、これはもうそこが地震の巣窟だったからではないのか?

学者の脳みそはザルでできているのだろう。そうとしか思えない。



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そして万葉集東歌でも最多なのがここで歌われた歌である。

中でも集中的に多いのが上毛野国西部・・・つまり西毛地域であると以前も書いた。