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タイトルにしたのは1898年、琉球諸島を歩きつくした笹森儀助の著した『南嶋探検』の中の、宮古島に関する一文

「海岸ニ居レドモ、村民漁業ノ何タルカヲ知ラズ。全島総ベテ生魚ヲ得ル稀ナリ」から引いたもの。

「ウソだろう?」と誰でも思えるのだが、柳田國男も驚きながらもこう書いている。

(沖縄の離島の人々は)「海から食料を得ようとする念慮が甚だ乏しかった」(「海女部史のエチュウド」)

海に囲まれて暮らしていながら、離島の人々は海と隔たった暮らしをしているというのである。
ちょっと目から鱗が落ちる二人の記述。

種子島の人は昔の集団就職で大阪や東京に出てきた人が多かった。その中で考古学者になった人がいた。そのひとがまず本土の人たちに言われたことは「野球をやったら、あんな小さな島じゃあ、ボールが海に飛び出しちゃうだろう?」ほとんど真顔でそう言われたという。

また同じ考古学者で八丈島や伊豆諸島を探査して東京に帰ってきて、
「あんな狭い島で、いったい何を食べていたの?」だったそうである。

本土の都会人の島への考えなどはこのような程度のものである。

その種子島はポルトガル人が漂着する前から製鉄鍛冶の盛んな島であった。それで、「種子島」という鉄砲を自前で開発してしまう。私達はタネガシマ銃とはポルトガル人が持ってきた輸入品のことだと思っている。実は種子島で造られたからタネガシマなのである。

島嶼の暮らしや人のなりわいは、オカに住むものにはまったく見当がついておらないのである、大昔から今でも。


民俗学者の宮本常一(みやもと・つねいち 1907~1981)は瀬戸内海の周防大島(屋代島)の生まれである。彼の代表的著書に『周防大島を中心としたる海の生活史』(『宮本常一著作集38』所収)があるが、この中で島々の人々、特に父親は、海の暮らしにや渚に寄り来るものへの興味もさることながら、その田畑への執着心、自意識の強烈さを仕込まれた、と書いている。つまり土地への執着心であろう。島だから漁師だと決め付けられない一面がこれらの文章からよくわかる。

島は土地が狭い。ゆえに広大な海からの糧に頼り切った古い暮らしよりも、むしろ土地における農耕に強く意識を持つようになったのだろう。海は期待すればするほど裏切って来たに違いない。フナビト、海人の生活を切り上げねば、奈良時代以降の税はまかなえなかったということだろうか?

◆遺跡も海と関連しないものが多い
対馬も玄界灘の真ん中の島である。古代から海とは切っても切れない長い時間を過ごしてきた。島の東部にある佐賀(さか)遺跡からはしかしイノシシの骨で作ったシカ笛が出る。

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鹿笛とは、山猟師が鹿狩りをするときに鹿をおびき寄せるためのオカリナ型の笛である。
東北のマタギがまったく同じ笛を使っていた。また宮崎県の山中深くからも出てくる。日本の文化や道具はこのように飛び地的に同じものが出るのが特徴である。これは相当古くからの舟での交流がなければありえない。
音は発情期のオスの物悲しい甲高い「キュー-ン」という音がする。

対馬東岸には二十八ヶ所もの港があって、佐賀遺跡のすぐそばにも佐賀港がある。
にも関わらず対馬の佐賀の人は、目の前の山に上がり、鹿狩りを行っている。古代の漁業がそれほど簡単に毎度大漁ではなかったということがわかる遺物である。

対馬ほどの大きな島で、漁業だけでは不足するタンパク源を獣肉で補っている。そしてネコの額のようなわずかばかりの畑を耕して野菜・穀物も得ていた。しかしそれだけでもまだ足りないから「南北にしてき」したのである。いわんや小さな離島をや。

さすがに対馬では骨製銛が沢山出るから、中心になる生業はやはり漁である。しかし小さな森でしかない山で狩猟もした。その鹿笛が、なぜかはるか北方の白神山地の奥にいるマタギが使う鹿笛とまったく同じであった。

一方、壱岐の方は対馬よりも狭い島だが平地が多い。有名な原の辻(はるのつじ)遺跡には耕作地が多かったし、魏志にも「やや田畑地がある」「竹林や林が多い」などと書かれていて、生活はむしろ対馬より恵まれていたようである。もし韓国が壱岐対馬のどちらかをくださいと言って来たら、まず筆者なら対馬を与える。(もちろんもののたとえである。どっちも絶対にあげるはずもない。どころか済州島と巨済島と交換でもお断りする。そしてその二ヶ所の韓国領土はむしりとりに行くだろう)

その壱岐の原の辻遺跡で、縄文生活に欠かせない石の磨臼が出ている。丸い石と皿状に真ん中が磨り減った臼石の組み合わせで、木の実を割ったり、種をすりつぶしたりする道具である。壱岐でさえ、漁業と農耕だけでなく、採集生活も組み合わせていた。


沖縄の西の最果て与那国島や宮古島では斧が出る。これはシャコガイの殻を研いで加工するための道具である。まったく同じものがフィリピンからも出る。またまえにも書いたが、小笠原ではソロモン諸島からボルネオにまでいたる同型の石器が出てくる。

島でキャッチボールしたら球が海に出て行くなどと思っている人には、海と島の生活はまったく見えないだろうし、それはそのまま本土の日本人の生活に直結していたことにも気がつくまい。魚と海草を食ってきた日本人。その暮らし方に島も本土もありはしない。

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