○象潟や 雨に西施が ねぶの花 芭蕉
きさがたや あめにせいしが ねぶのはな
きさがたや あめにせいしが ねぶのはな
大意;美女西施の憂いを含んだかのごとく、象潟の雨に合歓の花が咲いていることよ。
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◆鰲山里先史遺跡(オサンニ遺跡)
住所;江原道(カンウォンド)襄陽(ヤンヤン)郡鰲山里(オサンニ)
隣接して歴史資料館併設
住所;江原道(カンウォンド)襄陽(ヤンヤン)郡鰲山里(オサンニ)
隣接して歴史資料館併設
「鰲山里遺跡は海岸より200余メートル離れた双湖と呼ばれる自然湖の端の砂丘の上に形成されている韓半島最古の新石器時代の遺跡である。発掘調査の結果、家跡を始めとして遺物道具などが確認され、遺物としては西海岸地域の下尖り櫛の歯紋様土器(櫛文土器)と東北地方の平たい底土器及び南海岸地域の上柄土器(隆起文土器)などの各地域の特徴を持つ土器類といっしょに結合式 釣針、石鋸等の多様な遺物が出土された。」 http://www.dolmen.or.kr/j_html/j_exp/sub01/j_exp01_02_05.html
当ブログの該当する画像と記事→http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51659801.html
他の優秀なサイト→
大陸から俯瞰する日本古代史 http://plaza.rakuten.co.jp/kagamisato/diary/20110331/
『原始古代の長崎県』より海の文化に関すること』 http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/blog/umitonokakawari.html
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『原始古代の長崎県』より海の文化に関すること』 http://gownagownaguinkujira.cocolog-nifty.com/blog/umitonokakawari.html
◆近隣地図
http://map.konest.com/dpoi/201154030
いきなり民宿と食堂へ飛ぶので、その解説小窓は消して、下へスクロールする。
右クリックするとズームイン・アウトができる。
周辺は海岸で、隣接して潟湖の双湖が古代から存在、今も残る。以前は海につながるラグーンである。
http://map.konest.com/dpoi/201154030
いきなり民宿と食堂へ飛ぶので、その解説小窓は消して、下へスクロールする。
右クリックするとズームイン・アウトができる。
周辺は海岸で、隣接して潟湖の双湖が古代から存在、今も残る。以前は海につながるラグーンである。
朝鮮半島東岸、西岸にはこのような潟湖が点在していたが、現在はその多くが砂丘化していたり、日本の八郎潟などのように埋め立てられたものも多い。
先史時代から日本海を渡って日本海文化圏や九州西南部沿岸との潟湖交流貿易があったことは間違いないものとなっている。
先史時代から日本海を渡って日本海文化圏や九州西南部沿岸との潟湖交流貿易があったことは間違いないものとなっている。
◆俯瞰する一覧、総覧的な視野サイトは少ない
潟湖に限らずであるが、いざ、東アジアで日本と同様の地形・遺跡などの分布を捜し求めるが、潟湖なら潟湖の総覧分布図、あるいは総覧しようという視野の広いサイトになかなかお目にかからないから困ってしまう。いわゆる俯瞰する目を持った歴史研究サイトは、つくるのが難しく、なかなか増えてこない。
郷土史家は自分の住んでいる地域・県内・市内の分析には詳細で、ネット上にはいて捨てるほどあるが、そこから、では似たところはないか?と思いつき、さらにどんどん視野を広げようとした結果が見えてこない。それではグローバルな視点には物足りないのである。結局、それらのすべてを検証し、いちいちあたらねばならないので、やっかいこのうえない。大きなスーパーで買い物をするようにワンポイントでわかるサイトが必要である。
潟湖に限らずであるが、いざ、東アジアで日本と同様の地形・遺跡などの分布を捜し求めるが、潟湖なら潟湖の総覧分布図、あるいは総覧しようという視野の広いサイトになかなかお目にかからないから困ってしまう。いわゆる俯瞰する目を持った歴史研究サイトは、つくるのが難しく、なかなか増えてこない。
郷土史家は自分の住んでいる地域・県内・市内の分析には詳細で、ネット上にはいて捨てるほどあるが、そこから、では似たところはないか?と思いつき、さらにどんどん視野を広げようとした結果が見えてこない。それではグローバルな視点には物足りないのである。結局、それらのすべてを検証し、いちいちあたらねばならないので、やっかいこのうえない。大きなスーパーで買い物をするようにワンポイントでわかるサイトが必要である。
◆諸島経由の文化到達は先史時代からあった
海の道、それをつなぐ諸島の風習・文化の類似は確かに存在した。
それは想像を超えて早くて、しかし一過的である。
いかに小舟の物流が広範囲であるかがわかるはず。
しかしながら、それが歴史年表に載るような、地方単位、国家単位の文化にまで発展するには、海人族たちはグローバル過ぎ、定着心に欠けているようだ。先進ではあるが列島内部の大きな流れを作るにはいたっていない。モハメド・アリではないが、蜂のように、アウトサイドから刺すように刺激を与えてはいる。それが大きな文化革命を起こすのは、どうしても北部九州・西部九州の弥生時代からである。島々や孤立した半島ではなく、本島そのものにでっかい砲弾が当たっていないなと見えるのである。
つまり機関銃の弾なら島には何度も届いている。そして中心部の本島を度外視して、どちらかと言えば島々や半島や海岸線を転々と、しかし実にすばやく、列島の外側・外郭に伝播するのである。
ところが日本列島の海岸部は地形が実に複雑で、その届いた弾は河川を通じて内陸部に入り込むと、盆地と山地にはばまれて盆地内で点在して、それぞれの盆地内でバリエーション化してしまい、画一性が薄くなる。やはり瀬戸内海という大動脈の航行を可能にしなければ、なかなか大流通革命にはいたり得なかったと見える。
海の道、それをつなぐ諸島の風習・文化の類似は確かに存在した。
それは想像を超えて早くて、しかし一過的である。
いかに小舟の物流が広範囲であるかがわかるはず。
しかしながら、それが歴史年表に載るような、地方単位、国家単位の文化にまで発展するには、海人族たちはグローバル過ぎ、定着心に欠けているようだ。先進ではあるが列島内部の大きな流れを作るにはいたっていない。モハメド・アリではないが、蜂のように、アウトサイドから刺すように刺激を与えてはいる。それが大きな文化革命を起こすのは、どうしても北部九州・西部九州の弥生時代からである。島々や孤立した半島ではなく、本島そのものにでっかい砲弾が当たっていないなと見えるのである。
つまり機関銃の弾なら島には何度も届いている。そして中心部の本島を度外視して、どちらかと言えば島々や半島や海岸線を転々と、しかし実にすばやく、列島の外側・外郭に伝播するのである。
ところが日本列島の海岸部は地形が実に複雑で、その届いた弾は河川を通じて内陸部に入り込むと、盆地と山地にはばまれて盆地内で点在して、それぞれの盆地内でバリエーション化してしまい、画一性が薄くなる。やはり瀬戸内海という大動脈の航行を可能にしなければ、なかなか大流通革命にはいたり得なかったと見える。
◆ラグーン流通
日本海の、今はほとんどが縄文海進のおもかげなく、海岸ソバ内陸の孤立した湖沼地となったり、また不幸にも開発で埋め立てられてしまった潟湖の数々。現在では出雲の宍道湖や鳥取青谷の潟湖、東郷湖、新潟の多くの潟湖、秋田の八郎潟などをつなぐあるオベリスクが縄文時代にはあった。
栗などの大木で作られた高層のタワー群である。これらの謎も潟湖を港とした海人交流という視点からなら、容易に目印であったと気づくことが出来る。海人族は「山あて」航行法を使う。
日本海の、今はほとんどが縄文海進のおもかげなく、海岸ソバ内陸の孤立した湖沼地となったり、また不幸にも開発で埋め立てられてしまった潟湖の数々。現在では出雲の宍道湖や鳥取青谷の潟湖、東郷湖、新潟の多くの潟湖、秋田の八郎潟などをつなぐあるオベリスクが縄文時代にはあった。
栗などの大木で作られた高層のタワー群である。これらの謎も潟湖を港とした海人交流という視点からなら、容易に目印であったと気づくことが出来る。海人族は「山あて」航行法を使う。
朝鮮半島東部海岸線は地図で見るとのっぺらぼうで、寄り付くリアスの湾も少なく、とても先史時代から海人族が住まっていたとは思えない。けれど朝鮮半島地図をズームしてつぶさに見ると、そこにはやたらに海水浴場と川と潟湖が多いことに気づかされる。また半島西南部の多島海周辺にもそれはある。三韓国家ができる以前から、そこは点在する良港地域だった。
けれどその点々とした位置のために、なかなか巨大な流れにはなりえなかった。
関連
ラグーン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%B3
湖沼 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%96%E6%B2%BC
日本の湖沼一覧http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B9%96%E6%B2%BC%E4%B8%80%E8%A6%A7
世界の湖沼一覧http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%96%E6%B2%BC%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
ラグーン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%B3
湖沼 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%96%E6%B2%BC
日本の湖沼一覧http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%B9%96%E6%B2%BC%E4%B8%80%E8%A6%A7
世界の湖沼一覧http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%96%E6%B2%BC%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
古代文明の発展を形成する大きな物流品は、①稲作②製鉄重工業③文字 であろう。
それらはどうしても弥生時代直前の中国三国時代の騒乱や、飛鳥時代直前の北東部中国燕による三韓侵略が契機になる。潟湖文化は日本人の多様性を地域地域で育てながら消えてゆく。それはちょうど海人族の族長たちが北部九州や大和の歴史的名前の残った人物たちによって懐柔され、帰順してゆく日本古代史の文献上の流れにみあっている。
それらはどうしても弥生時代直前の中国三国時代の騒乱や、飛鳥時代直前の北東部中国燕による三韓侵略が契機になる。潟湖文化は日本人の多様性を地域地域で育てながら消えてゆく。それはちょうど海人族の族長たちが北部九州や大和の歴史的名前の残った人物たちによって懐柔され、帰順してゆく日本古代史の文献上の流れにみあっている。
その中で、最後まで中央の中心にいて、結果、中世から近世に台頭し、日本史の中心に躍り出た武士集団を作り上げたのは尾張の勢力であろう。中部地方の中世武士軍団は、いつのころからか奥深い山間僻地で力を蓄えた土豪であり、その前は都で「習わぬ経を覚えた」ようないかがわしい旅の漂泊呪者に過ぎなかった。古代なら敗北者、漂流者、うつけもの、かぶきもの、厄払いこじき坊主の類である。下克上、天下取りの背景にあるのは尾張・三河・美濃・飛騨・駿府・駿河の、底辺に置かれた賎民の怨念である。
その基層を作り上げて行ったものこそ山奥に鉄を探す海人族であろう。
大和説の学者が言うように、大和畿内が邪馬台国の延長線上にあったというのなら、平安時代後期から江戸時代末期までは狗奴国勢力の時代だったいうことも可能になってしまいかねない。
日本という国家の成立は先史時代の潟湖交流に始まっていた。
参考文献 門田誠一『旅する考古学 遺跡で考えた地域文化』昭和堂 2004
森浩一 『地域学のすすめ 考古学からの提言』 岩波新書 2002
『語っておきたい古代史』 新潮文庫 2001
森浩一 『地域学のすすめ 考古学からの提言』 岩波新書 2002
『語っておきたい古代史』 新潮文庫 2001
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潟湖近くに存在する遺跡
鳥取県青谷上寺地遺跡 あおやかみじち
鳥取県稲吉角田遺跡 いなよすみだ
長瀬高浜遺跡 ながせたかはま
京都府丹後町神明山古墳 しんめいやま
京都府網野町網野銚子山古墳 あみのちょうしやま
横枕遺跡 よこまくら
島根県 妻木晩田遺跡 むきばんだ
新潟県鳥屋遺跡 とりや
鳥取県桂見遺跡 かつらみ
富山県小竹貝塚 おだけ
開ヶ丘狐谷 ひらきがおかきつねだにⅢ遺跡
長岡八町ながおかはっちょう遺跡
福井県三方町鳥浜遺跡 とりはま
京都府桑飼下遺跡 くわかいした
浦入遺跡 うらいり
石川県真脇遺跡 まわき
富山県桜町遺跡 さくらまち
新潟県十日町遺跡 とうかまち
鳥取県青谷上寺地遺跡 あおやかみじち
鳥取県稲吉角田遺跡 いなよすみだ
長瀬高浜遺跡 ながせたかはま
京都府丹後町神明山古墳 しんめいやま
京都府網野町網野銚子山古墳 あみのちょうしやま
横枕遺跡 よこまくら
島根県 妻木晩田遺跡 むきばんだ
新潟県鳥屋遺跡 とりや
鳥取県桂見遺跡 かつらみ
富山県小竹貝塚 おだけ
開ヶ丘狐谷 ひらきがおかきつねだにⅢ遺跡
長岡八町ながおかはっちょう遺跡
福井県三方町鳥浜遺跡 とりはま
京都府桑飼下遺跡 くわかいした
浦入遺跡 うらいり
石川県真脇遺跡 まわき
富山県桜町遺跡 さくらまち
新潟県十日町遺跡 とうかまち
など
近世の北前船も日本海周りの理由のひとつに潟湖良港があげられる。
ちなみに・・・
潟湖の形成には大地震による地盤沈下も深くかかわる。
その多い場所が富山・新潟・島根・鳥取・秋田・高知・愛知・静岡・茨城などであることはお忘れなく。お忘れなく。くれぐれもお忘れなきよう。
潟湖の形成には大地震による地盤沈下も深くかかわる。
その多い場所が富山・新潟・島根・鳥取・秋田・高知・愛知・静岡・茨城などであることはお忘れなく。お忘れなく。くれぐれもお忘れなきよう。
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コメント
コメント一覧 (2)
>先史時代の潟湖交流
海洋の利用が盛んだったり しぼんだり
いつの時代も均一でない変動が地理的要因にあろうかと感じておりましたか なるほどな視点ですね。
傑作&ランクリ
kawakatu
が
しました
kawakatu
が
しました