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「千本槍で有名な古くからの勤皇党の菊池氏は、勿論朝廷方として出てくる。主人公・懐良を支える菊池武光は準主役といった役どころ。懐良の軍勢は、菊池氏の軍勢とほぼイコールである。また菊池氏と同じ肥後の勢力として、阿蘇氏も出てくるが態度が揺れ動く。松浦水軍の波多氏、忽那(くつな)水軍や、村上水軍(村上義弘)なども懐良を助ける勢力として出てくる。ただし当初、松浦水軍の主力・佐志披(ひらく)は一色方として登場。このあたりも一筋縄ではない。
 勿論、風見鶏のような勢力も沢山いる。これらの色々な勢力が、九州の統一を目指して戦いあうのである。」
http://unegen.exblog.jp/6088517/

引用した一文は北方謙三の時代小説『武王の門』の解説であるが、佐賀県唐津の松浦党構成氏族については正確である。その一族はWiki松浦党に掲載されている。

■松浦党氏族
松浦氏
波多氏
鶴田氏
伊万里氏
佐志氏
有田氏
大河野氏
峯氏
山代氏
御厨(みくりや)氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E5%85%9A

この中で佐志(さし)地域について少し書いておきたい。

■佐志の考古学
縄文最古級のイネが出ることで知られる菜畑遺跡に程近い唐津は弥生時代の「末盧国」があったところである。唐津湾に注ぎ込む佐志川から朝鮮半島様式の釣り針が出る、徳蔵遺跡という縄文中期後半くらいの遺跡だが、後期前半の磨消(すりけし)文土器も出る長期の遺跡である。
ここが中世松浦党・佐志氏の本拠地ともなった。
志多留貝塚からは骨剣とアワビオコシという潜水海部たちの道具が出ている。
佐賀貝塚の調査では海からはミガキボラガイ、ミガキナガニシガイ、ヒオウギガイ、テングニシガイ、イタヤガイが多く、サザエ、アワビも驚くほど大きいと記述されている。貝塚からは大型のものばかり出てくるので、大量採集ではなく、海に潜って手作業で取ったことがわかる。つまり弥生時代の唐津=末羅国とは倭の水人の本拠地である。

■ホシキヌタ
佐賀遺跡から出たものの中に日本では珍しいホシキヌタというタカラガイのペンダントがあった。宝貝は中国交易の重要な産物で、中世にも佐志氏は中国貿易で繁栄した。
ホシキヌタは沖縄地方でしか採集できない宝貝である。

■外耳道骨腫
この佐賀遺跡の人骨調査で、一体の耳に外耳道骨腫が見つかっている。潜水海人族の証明である。

■潜り=かつき
そしてチェジュド、対馬、壱岐、五島、唐津、有明海沿岸、薩摩地方という九州西部の南北で倭の水人は共通した言葉や文化を持っていた。彼等はみな潜り(かづき)アマだった。
面白いのは博多湾よりも東では潜ることを「かづく」と言い、唐津湾から糸島半島でだけは「すむ」と言う。
壱岐対馬では「かづく」。
中九州から沖縄の太平洋ルートでは「すむ」(谷川健一)というそうである。
海人族に二種あることがわかる。
それは「すむ」方が安曇の範囲で、残りは隼人の範囲であると推定する。
安曇と隼人は住み分けと交流があったと見ていいだろう。
別記で安曇・阿多隼人・阿知女・ワダツミについて扱う。


■成人T細胞白血病(ATL)死亡率
1位長崎県
2位鹿児島・沖縄県
その他 四国西南部、紀伊半島南部、佐渡、北陸海岸
すべて海人系の風習、神社、神祇、漁師がいつく場所。
ATLは半島やアジア大陸にはまったくなく、台湾にはある。(台湾原住民がそうかどうかは不明。沖縄からの移住者だと言われている)

長崎県内では
1位壱岐・対馬
2位松浦
という結果が出ている(永留)。

つまりATLを持つ人々は南九州縄文系の倭人=水人の子孫であると考えられている。

ということは魏志が書いた「倭の水人」つまり倭人とは彼らのことなのだろう。渡来した弥生人ではないということになる。これにより倭人とはアマのことと決定した。

そのDNAは中国南部海岸部の越人とは別種である。

ちなみに「佐志」を地名とする海岸域は大分県大分市佐賀関半島の漁師町に佐志生がある。ここも海人族がいた場所だろう。


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