一応「氏族分析」書庫に入れたが、この記事の真意は「鎮魂・祟り」である。
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■義経はいなかった

1 源氏系図はまず第一に武家がみなそうしていたように系図買取改変でできている(武家分析の大前提)

2 義経は鎌倉幕府に追われて、まず西国へ逃亡する。九州宇佐である。ここはかつて自らが滅ぼした平家も頼って逃げたときかくまうことを拒否された経緯がある。これは因果応報譚に仕立ててある。

3 つまり中世軍記物語というのは押しなべて仏教説話という側面を持っている。

4 その証拠に『平家物語』も仏教的な因果応報と宿命論から書き出される。
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者必滅の理りを現す・・・」まさに仏教の言い方である。

5 その後宇佐から豊後に入った義経を迎えたのが豊後武士団でも札付きの緒方一族。この土着氏族は海部と蝦夷俘囚の子孫をかき集めた、自称大和三輪の蛇の子孫である。ここに仏教の古い神祇への蔑視と差別が噴出している。蛇の鱗を腰に持つという緒方氏は江戸時代の医師緒方洪庵や俳優緒方拳の先祖でもある。それが義経一党を迎え入れたことは、弁慶が和歌山の海人族出身というエピソードに対応した古豪海人族、あるいは蝦夷俘囚たちの怨念を言いたいのだろう。

6 ところが西国から一転、今度ははるか北方の奥州藤原氏を頼って日本列島を北上する。こんな危険な逃避行はない。

7 奥州藤原氏は奥羽金山で一家を成し、金で対外貿易を行って大もうけした成金氏族だった。鎌倉幕府はもとから中央の言うことを聞かないこの北方の蝦夷と混血している土豪の金力が軍資金として欲しかった。それで特に理由もなくやっつけては金目当てがばればれゆえに、なにか理由が欲しかった。

8 飛んで火に入る夏の虫。義経は奥州へ逃げ込んだ。頼朝の人質になっていた妻・静を無視して。

9 このころ、頼朝の妻・北条政子は酒宴の席で静の心根を試しそうとする頼朝をたしなめている。頼朝の心情に隠れた兄弟愛を見たからだ。これでは確固たる政権はおぼつかぬ。そう感じた政子はこのときから頼朝をあきらめ、父とともに北条政権確立を画策し始めたと筆者は考えている。そしてついに狩りに出かける頼朝の愛馬の鞍ひもに切り込みを入れた。武士である頼朝が落馬するなどありえない。

10 このように『平家物語』『源平盛衰記』の120パーセントは空想物語でできている。

源義経も物語の狂言回しとしてどこかから持ってきて仕立てた「配役」のひとりであろう。



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鎌倉幕府は頼朝を頂点とする全国武士協同組合である。
トップは頼朝だけでよかった。
ナンバー2で、兄を助けようなどという安直で優柔不断な義経のような人物は鎌倉幕府は必要としていない。ナンバー1だからこそ頼朝は北条に取って代わられた。
ナンバー2など北条から見ても無用の存在である。ナンバー2では相手にされない。銀メダルでは選手は全員悔し涙を流す。銀メダルは一位に負けたということだからだ。

そもそも武士が目指すところはナンバーワン。
それ以外は死である。
「ナンバー2じゃいけないんですか?!」
男はナンバー1を目指すもの。
ナンバーツー=日本敗戦と考えて見ればいい。
「ナンバー2、つまり敗戦国でいいんですか、このままずっと?」
と言い返していただきたい。

ま、これもむちゃな論理であるが、ナンバー2になろうとした義経も仏教説話では殺されることになる。
日本がナンバー2を目指すということはずうっと負けたマンマでアメリカにおもねる生き方をしろということになる。恥を知れ。



冗談でしょ?

源義経批判を日本人は嫌う。
判官贔屓とこれを言う。
なぜかというと、悪く言うと、真実を言うと義経が祟るからにほかならない。
これが言霊思想である。つまり筆者は祟られるのだから、多分もうじきうっと死ぬであろう。
ところがそれは祟りなどではなく、贅沢病の通風や高脂血症による不摂生な生活習慣病のためである。
ちゃんと宣言しておこう。Kawakatuは死んだら祟るよ、我が一族に。

ここは冗談ではない。




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