金色堂が奥州で作られる根源は、奈良東大寺大仏金鍍金の必要から始まる、金山開発の歴史を抜きにしては語れない。最初の奥羽金発掘者は天智天皇白村江敗北で滅びた百済国から渡来した百済王族である。
その名を百済王敬福(きょうふく)。
奥州藤原三代はその後の奥州金山開発後継者だったと言える。
金あって藤原三代も繁栄した。
金あって藤原三代も繁栄した。
その繁栄も源義経の逃避行によって灰塵に帰すことは著名である。そうした意味で義経という存在は迷惑なものだったとも言えるが、それを言う者は誰もいないだろう。というよりも義経がではなく、本当に鎌倉が欲しかったのは金だったのである。義経などはただのきっかけに過ぎない。と、言うよりも義経が本当にいたかも実は定かではない。藤原三代を滅ぼすための鎌倉の狂言記事とも言えなくもない。
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コメント
コメント一覧 (9)
kawakatu
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金、金(こん)、昆、今、金野、紺野、今野さん、等々が系図で祖と崇めておりますぞ…。
義経奥州下向説は吾妻鏡の捏造じゃ~・・・あははははは。
kawakatu
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かねと読まないは鉱山師。
へえ。
kawakatu
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がははははっははははははh
kawakatu
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kawakatu
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義経どころか弟なんか頼朝にはおらんの。
頼朝にしても源氏の子孫を平家が残しておくはずもないです。
すべては物語、ウソ。
平家の世の中は終わってはいない。
その証拠に北条は東国平氏だわ。
乗っ取りでもない。北条=平家。
平家物語のすべては創作された虚偽。違いますか?^●^
kawakatu
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東北復興へのお土産になれば結構なこと。
kawakatu
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kawakatu
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あれは源平から隔絶されたセンミンの子で、秀吉と同じですよ。
だからこそ武家社会とはまったく違う発想ができたある意味で選民でした。
kawakatu
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